言うと、上尾さんと目を見合わせた文香さんが、はにかむようにして一つ頷いた。店の外で大方の話は済ませてきたらしい。


 渉が上尾さん、と口にしても彼は特に驚いた様子もなかったし、文香さんのほうもまた、長い話になる予感がしているのかもしれない。


「お願いします」と言った文香さんは、野乃や元樹君を気にかけつつも上尾さんとともに窓際の席に向かい合った。


 野乃たちに散々話を聞いてもらっておいて席を移動することに申し訳なさを感じているのだろう。


 けれど野乃も元樹君も、少しも気にしていない。


「渉さん、俺、帰りますね。野乃、また明日、学校でな」


 そう言い置いて元樹君は席を立ち、野乃は渋々ながらも小さく首肯すると、元樹君が向かうほうとは逆――カウンター脇の階段のほうへと向かっていった。


 すれ違いざま、野乃が渉にしか聞こえないような声で「うまくいくといいですよね」と微笑んだ。


 渉は「そうだね」と笑って返しつつも、やはりどこか陰あるその顔に胸の奥がキュッと縮むような感覚を覚えた。


 文香さんたちの幸せを心から願っている顔ではあったけれど、その奥には野乃が抱えているだろう苦しみがチラチラと見え隠れしているのだ。