やることがないというわけではないけれど、渉もこの時間は自分用に淹れたコーヒーを飲みつつ本を読む習慣がある。


 カウンターの中には渉専用の椅子があり、客足が途切れたときなど、そこに座って自分も休憩するのが常なのである。


 椅子の上に置いていた単行本を手に足を組み、ページを開く。


 ――と。


「あの、友達から聞いたんですけど、このお店、失恋を美味しく淹れてくれるって……」


 意を決したような声でカプチーノの女性客が口を開いた。


 ええ、と相づちを打つと、


「どういう意味なんでしょうか。その子、それ以上は教えてくれなくて」


 と、彼女は言う。


 パタリと単行本を閉じた渉は、それを再び椅子に置くと、代わりに新しいカプチーノを淹れはじめた。


 慣れた手つきで準備を進めながら、戸惑う女性ににっこりと笑いかける。


 やはりそうだったか。初見のお客さんには、こういう人もわりと多い。


「そのお友達が言ったこと、そのままの意味ですよ。どういう因果か、僕のところには、そういうお客様が集まるんです。でも、僕には何の力もありませんから、大したことはできないんです。お客様の話を聞いて、一緒にコーヒーを飲んで。ただ、それだけです」