「……それ、は、渉さんの……失くした恋の話、ですか?」


 おずおずと、本当におずおずと、そう尋ねた。


「そうだね。この店がオープンする前、一時期ここに、もう一人住んでいたことがある。その人の名前は、小湊《こみなと》知世《ちせ》。ある日突然、簡単な荷物だけまとめて、飼っていた猫を連れてどこかに行っちゃったんだ。今も連絡はない。そんな、俺の恋人だった人」


 隣で野乃がはっと息を呑むのがわかった。カップを拭く手も止まり、ピクリともしない。


 ここまで詳しく話してくれるとは思っていなかったのだろう。どう言葉を返そうかと必死に頭を巡らせている空気が隣からひしひしと伝わり、その気遣いが胸に痛い。


 それでも渉は、数秒か、十数秒か、とにかく間を空けると再度口を開くことにした。


「どうして彼女は突然いなくなっちゃったんだろう。――この謎、野乃ちゃんに解いてほしいんだ。二年経った今も、俺にはさっぱりわからないから。お願いできないかな?」


 野乃は、


「……私でいいんですか?」


「うん。野乃ちゃんがいい」


「でも私、まだ子供で。それに、ここに来た理由もまだ……」


「そんなことはいいんだよ。野乃ちゃんはもうちゃんとしてる。自分でいたいと思う場所を選んでるんだから、俺なんかよりよっぽど大人だよ」