「……と、とりあえず、行ってきます。自転車、ありがとうございました」


「う、うん。いってらっしゃい。気をつけて」


 ただ一つ確かなのは、初めて学校に送り出す朝なのに全然格好がつかなかったことだ。


 逃げるようにして出ていく野乃の背中に、渉は苦笑するしかなかった。


     *


『恋し浜珈琲店』の開店は午前十時だ。閉店は午後八時。


 田舎町の店にしては開店時間が遅いような気もするけれど、それでお客様からクレームが出たことはないし、むしろ午後八時の閉店時間のほうが遅いんじゃないかと、馴染みの客からはたびたび言われる。


 都会とは違って、ここは日が昇れば活動をはじめ、日が沈めば休むように人間の体がそのリズムに慣れている。


 午後六時には客足はぱったりと途絶え、街灯もまばらなこの辺りは、渉の店から漏れ出る明かりのほうが、少し変わっていると言える。


 それでもなんとか食べていけるのは――。


「いらっ――」


「おうおう。そんな堅っ苦しいあいさつは逆に胸が痒くなる。今朝、水揚げしたばかりの鰹《かつお》持ってきてやったぞ。いつ見ても細っそい体してんだから、これ食ってもっと太れ」