そう言いながら、ここ数年手紙を広げていないことに気がついた。
優しかった父親は、高校受験が近づくにつれて人が変わったように口うるさくなった。
あたしの学校生活や人間関係を気にしてくれていたハズが、口を開けば勉強の話ししかしなくなった。
そんな父親の言葉をストレスに感じ、プレッシャーを受けていた事は事実だった。
だからといって受験に失敗してしまったことへの言い訳にはならない。
それは自分自身が一番よくわかっていた。
受験の失敗は、自分への甘さが原因だ。
「菜々花?」
健太に声をかけられて、ハッと我に返った。
「ごめん、ちょっと色々思い出してた」
そう言って笑顔を見せる。
同時にお腹がグーっと鳴った。
そういえば今日はまだお昼を食べていないのだ。
今さら教室へ戻ってもお昼ごはんはないし、購買へ行くにしても財布は鞄の中だということを思い出した。
「なんだよ、食べてないのか?」
源太にそう聞かれてあたしは頷いた。
「それならこれ食べてよ」
穂香がそう言い、ポーチの中からラッピングされたカップケーキを取り出した。
透明なラッピング袋の中に2つ入れられている。
「え、いいの?」
ピンク色のリボンで結ばれている袋は、どう見ても誰かにあげるために持ってきたものだった。
「もちろん。ここにいるみんなの為に作ってきたんだから」
穂香はそう言うと、5人分のカップケーキを取り出した。
「うわ、まじで? 穂香の作るお菓子美味いんだよなぁ!」
有馬はそう言い、さっそく袋から取り出している。
「えっと……ありがとう」
おずおずと穂香へそう言う。
「どういたしまして」
高校に入学してからこんな風に手作りお菓子を貰ったことがないので、新鮮な気分だった。
袋を開けると甘い香りがフワリと漂ってきて食欲をそそった。
「いただきます」
そう言ってひと口かじる。
フワリとした触感にほどよい甘みが広がって行く。
「おいしい……!」
「あはは、菜々花大げさ」
穂香はそう言いながらも嬉しそうだ。
軽い食感のため、2つのカップケーキはあっという間に胃におさまってしまった。
「これも食べていいよ」
健太がそう言い、自分の分のカップケーキを指さして来た。
「それは悪いよ。せっかく穂香がみんなのためにって作ってきてくれたんだから、健太が食べなよ」
「でも、お腹減ってるんだろ?」
そう言われた瞬間、またあたしのお腹が鳴った。
「健太もそう言ってるし、菜々花が食べてよ」
穂香が笑いをこらえてそう言った。
恥ずかしくて死んでしまいそうになりながら、健太の前に置かれたカップケーキを手に取る。
「ありがとう健太、穂香」
「いえいえ。食べたい人に食べてもらうのが一番だからね」
穂香はそう言ながらも、少しだけ寂しそうな顔をしたのだった。
それからどうにか最後まで授業を受け、あたしは家に戻ってきていた。
今日は玄関に父親の靴が無く、それを見て安堵している自分がいた。
リビングにいる母親に声をかけてそのまま自室へとむかった。
屋上のみんなに話をしたから、もう1度父親からの手紙を読んでみようと思ったのだ。
引き出しの中に移動させた手紙を取り出し、開いてみる。
そこに書かれた文字も、大きく歪んで見えた。
それを確認した瞬間ため息が漏れた。
「これもダメなんだ……」
そう呟いて椅子にストンッと腰を下ろした。
自分にとって宝物であるこの手紙なら読めるかもしれない。
微かな期待は簡単に打ち砕かれてしまった。
手紙の上に踊る文字はグネグネとダンスしていて本来の原型をとどめていない。
「拝啓、可愛い菜々花ちゃんへ」
それでもあたしは口に出して読み始めた。
目を閉じていても、その文面は蘇ってくる。
「菜々花ちゃんはこれから沢山のことを経験するでしょう。辛い事、悲しい事、楽しい事、嬉しい事。そのどれもが宝物になればいいなと思います。人生は1度きり、できれば菜々花ちゃんの好きな事を好きなようにしてほしいと思います」
それが、いつからかそんな言葉は聞かなくなった。
好きな事を好きなように。
それは、昔の父親は無条件にあたしを愛していたのだとわかる文面だった。
「……あたしが好きな事ってなんだっけ?」
ふと、そう呟いた。
この手紙をもらった頃は珍しい物が大好きだった記憶がある。
友達関係も勉強も良好で、それこそ毎日が宝石のように輝いていた。
そんなあたしはもういない。
あたしは読めなくなってしまった手紙を見つめた。
何が書かれているのかわからないそれは、机の上のラクガキと同じだった。
あたしは手紙を封筒へ戻し、机の奥深くへとしまい込んだのだった。
☆☆☆
文字が読めなくなったことを、あたしは両親に伝えていなかった。
そんなことがバレるとどんなことを言われるかわからない。
そんな恐怖心があったからだった。
「勉強はどうだ」
翌日の朝、相変わらずの調子で父親がそう聞いて来た。
視線はあたしには向けられておらず、広げた新聞へと向いている。
ぼんやりと、そのゆがんだ文字が印刷された新聞をみていると「聞いてるのか」と、強い口調で言われた。
「うん……大丈夫」
あたしはそう言ってウインナーを口に運ぶ。
本当は大丈夫じゃなかった。
文字が読めなくて授業に追いつけなくなってきている。
「青南高校なんだから1位でもいいくらいだぞ」
父親は口癖のようにそう言った。
「わかってる」
あたしは短く返事をすると、半分ほど朝ご飯を残して席を立ったのだった。
☆☆☆
このまま文字が読めないままだと、あたしはどうなってしまうんだろう。
学校へ向かう途中、不意にそんな不安が胸をよぎった。
クラスメートたちにはすでにバレていることだし、先生だっていぶかしく感じているはずだ。
いつまでも黙っていることはできない。
でも、どのタイミングで両親に打ち明ければいいかわからなかった。
「菜々花?」
後ろからそんな声が聞こえてきて振り向くと、有馬と源太の2人が登校して来る途中だった。
「どうしたんだよ菜々花。すっげー怖い顔して」
有馬がそう言ってあたしの顔を覗き込んで来た。
「そんなに怖い顔してた?」
そう聞きながら自分の頬に触れる。
少し、筋肉が硬直しているかもしれない。