「あたしは3年2組の北村みゆな(キタムラ ミユナ)」
ショートカットの先輩がそう言ってニコリと笑った。
穂香先輩と同じくらい童顔だけど、凛とした雰囲気がある。
「俺は中塚有馬(ナカツカ ユウマ)2年3組」
「境田源太(サカイダ ゲンタ)有馬と同じ3組」
早口に自己紹介をする2人の先輩にあたしは慌てて頭を下げた。
なんだかわからないけど、ここはもう1度ちゃんと自己紹介をしたほうがよさそうだ。
「あたしは1年3組の枝松菜々花です」
「菜々花ちゃん可愛い!」
「本当! あたしたちよりずっと大人っぽさもあるよねぇ」
「お前ら卒業前にメークでも教わっとけば?」
「いいねそれ! 菜々花ちゃん教えてくれる?」
グイグイと話を進める先輩たちにあたしは「い、いいですけど……」と、たじろきながら頷く。
するとそれを聞いた健太がプッと噴き出した。
「な、なにがおかしいの?」
笑われるようなことは言っていないはずだ。
「ここでは先輩も後輩もなく、全員タメ口なんだよ」
そう言われて、あたしは先輩たちを見まわした。
みんな一様にうんうんと頷いている。
「でも……知らない先輩たちにいきなりタメ口だなんて……」
元先輩が相手なら自然とタメ口になってしまうけれど、付き合っている年数が違う。
「大丈夫大丈夫。ここではみんな平等なんだから」
みゆな先輩はそう言ってあたしの肩を叩いた。
みんな平等……。
その言葉に1年3組のクラスカーストの様子が一瞬にして蘇って来た。
今のトップは栞奈と美月と龍一の3人だ。
少し前まではあたしは美月よりも上にいたのに……。
そう考えて、その考えをかき消した。
ここではそんなものどうでもいいのだ。
先輩も後輩もない、みんな平等。
その考え方に惹かれた。
「じゃ、じゃあ、みゆなと穂香にメークを教えてあげるよ」
緊張しながらも、あたしは2人の先輩へ向けてそう言った。
2人とも嫌な顔1つせず、本当に嬉しがっている。
そんな2人を見ていると、こちらも自然と笑顔になっていた。
「すごいね、こんなに沢山メーク道具があるんだ」
「そうだよ。あまり濃い色を付けると派手になりすぎるから、2人はナチュラルな方がいいかなぁ」
少し前まではこんな会話を栞奈ともしていた。
その事を思い出して、一瞬胸が痛む。
「なに? どうかした?」
あたしたちの横で寝転んでいた健太が、すぐにそう聞いて来た。
「ううん、なんでもない」
あたしは左右に首を振り、そう言ったのだった。
教室と屋上を行き来していると、あっという間に放課後が来ていた。
ホームルームが終ってそのまま帰ろうかと思ったが、まだ健太たちが屋上にいるかもしれないと思い、一旦旧校舎へと向かった。
その足取りは驚くほどに軽い。
最近は学校へ来ることが苦痛になりはじめていたので、久しぶりの感覚だった。
トントンとリズミカルに屋上への階段を上がる。
ドアを開けると、ちょうど5人が鞄を持って帰るところだった。
「あ、菜々花! また来たんだ!」
そう言ってすぐにかけて来る穂香とみゆな。
「うん。みんなまだいるかなって思ったから」
予想が当たった事が嬉しかった。
「わざわざ来てくれるなんて嬉しい~!」
みゆなは大げさにそう言ってあたしに抱き着いて来た。
「じゃあ、新校舎の入り口まで一緒に行こうか」
そう言ったのは穂香だった。
「男子たちは?」
屋上へ視線を向けると、健太たちはまだなにかしている様子だ。
「男同士の内緒話だって。だからあたしたちは女同士の内緒話をしながら帰ろう」
穂香がそう言い、あたしの腕を取って歩き出した。
「じゃあねみんな!」
あたしは屋上へ残っている男子へそう声をかけ、3人で歩き出したのだった。
最近では教室から逃げるように出て帰る毎日だったから、こうして友達と歩いて帰る事も久しぶりだった。
珍しくもないそんなことが、今は嬉しくてたまらない。
「じゃあ、ここまでね」
新校舎のつなぎ目まで来てみゆなはそう言い、立ち止まった。
3年生と1年生では下駄箱の場所が違うから、ここでお別れになってしまうようだ。
名残惜しさを感じながら立ち止まる。
「じゃあ、またね菜々花」
みゆなに言われてあたしは目を見開いた。
『またね』と言われた事が嬉しくて、徐々に顔がにやけてくる。
「また、屋上でね」
穂香もそう言い、手を振ってくれた。
あたしは大きく頷いた。
教室じゃなくたって友達はいる。
そう思うと元気になれた。
「うん、またね!」
あたしは2人へ向けて大きく手を振ったのだった。
☆☆☆
その日の帰り道は気分がよかった。
友達に『またね』と手を振って別れるだけで、これほど気分が違うのだと自分で驚いたほどだった。
だから、家に帰ってからの出来事を想定していなかったんだ。
「ただいま」
玄関を開けてすぐ、リビングにいるはずの母親へ向けてそう声をかける。
その時、玄関に父親の革靴がある事に気が付いた。
今日は仕事が早く終わったんだろうか?
そう思った瞬間、怒鳴り声が聞こえて来た。
「お前は家に居ながらなにをしてるんだ!」
突然聞こえて来た罵声に身がすくんだ。
「私だって気を付けてました!」
そう言い返すお母さんの声。
玄関に立ち尽くしていると、ドタドタと足音が聞こえてきてリビングのドアが開いた。
目を吊り上げ、鬼のような形相をした父親が真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
咄嗟に体を反転させていた。
玄関を開けて逃げようとして、ドアノブに手を伸ばす。
しかし、あたしの手がノブを掴む前に父親に左手をつかまれていた。
「早くリビングに入りなさい」
その声は低く、怒っていることが明確に伝わって来た。
あたしはぎくしゃくと振り向いて、頷く。
最近のあたしは早く家に帰って来ていたし、勉強もしていた。
なにも怒られるような事はしていないはずだ。
自分にそう言い聞かせてみても、気持ちは落ち着かなかった。