あたしはグッと奥歯を噛みしめた。
その瞬間、思い出した。
真由子のネイルをバカにして、使い切ったこと。
美羽の腕まで灰色に染めたこと。
あたしは悪くない。
だってあの時はそうした方が盛り上がったし、栞奈だって……。
「謝れ!」
誰かが言った。
それが、真由子と美羽の声に聞こえてビクリと体を震わせた。
今だって同じじゃないの?
盛り上がるから、栞奈だって満足するから。
だからあたしが……。
「……ごめんなさい」
あたしは、ひび割れた声でそう言ったのだった。
☆☆☆
あたしが謝罪したことで栞奈と龍一は満足し、クラスメートたちからのヤジも止んだ。
しかしあたしはなかなか顔を上げることができなかった。
2人が、クラスメートたちがどんな顔であたしを見ているのか、確認することが怖かった。
地獄のような学校が終り、あたしはすぐに教室をでた。
ぼんやりしていればきっとすぐに栞奈が絡んでくるだろう。
放課後まで栞奈に振り回されると、こっちの身が持たなかった。
「今日も早いのね、よかったわ」
家に帰ると、母親がホッとしたようにそう言った。
急に娘の帰りが早くなっても、心配した素振りはない。
むしろ、やっと勉強に専念する気になったのだと安心しているのだ。
あたしは母親に適当に声をかけてすぐに自室へと上がった。
ようやく1人でなると、途端に張っていた気持ちが切れるのを感じてベッドへ横になった。
龍一からの告白を断った。
たったそれだけのことで、こんなに世界が変化してしまうとは思っていなかった。
あたしは親指の爪をキツク噛んだ。
これから先も教室内での風当たりは強くなるだろう。
どうすればやり過ごすことができるだろうか。
そう思った時、青南高校へ入学する時父親に言われた事を思い出した。
『学年で5位以下になったら自主退学』
成績が落ちれば学校に行かなくて済む……。
そんな考えが湧いて来て、あたしはすぐに頭を強く振った。
なに考えてるんだろう。
そんなことできるわけない。
高校を辞めて勉強に専念したって、それは父親の思惑通りの人生を歩むことと同じなのだ。
家でも学校でも自分を押し殺していなければならない。
そうなると、自分が自分じゃなくなってしまいそうだ。
「とにかく、勉強しなきゃ」
そう呟いて、あたしは勉強机へと向かったのだった。
栞奈たちからハブられるようになって2週間が経過していた。
セミの泣き声が一層激しくなってきている。
もうすぐ夏休みだから、それまでの辛抱だ。
あたしは自分にそう言い聞かせて、今日も学校へ向かっていた。
「じゃあ次の行から枝松さん、読んで」
国語の授業中、突然名前を呼ばれてあたしは我に返った。
「はい」
そう返事をして席を立ち、教科書を持つ。
何行目だろうか?
そう思って栞奈へ視線を向けても、栞奈は手鏡でリップを塗っている所だった。
「どうしたの? 3行目からですよ」
先生が教えてくれて、教科書へ視線を落として文字を探す。
3行目、3行目……。
心なしか文字が歪んでいるように見えた。
目の霞みだろうか?
そう思って指先で目をこすった。
しかし、文字のゆがみは直らない。
それ所か歪みは徐々に激しさを増し、文字が読めなくなっていく。
「枝松さん?」
「えっと……。わ……れわ……れ……に、ほ……んじん……」
片言のように文字を追いかけて行く。
しかし、それがなんの意味を示しているのか、どういう文章なのか全くわからなかった。
次第にクラスメートたちから囁き声が聞こえ始めて、栞奈からの視線を感じた。
全身から嫌な汗が吹き出し始める。
「は……たく……さん……」
「どうしたんですか枝松さん。大丈夫?」
途中で先生がそう言い、あたしは教科書から顔を上げた。
先生の顔や、教室の風景はしっかりと見ることができた。
いやらしく笑う栞奈の顔さえ、歪んでは見えない。
あたしは棒立ちになったまま、再び教科書に視線を落とす。
そこに書かれている文字は激しくねじれて、もはやどこから読み始めればいいのかもわからない状態だった。
まさか、栞奈たちがあたしの教科書にイタズラをしたんだろうか?
そう思い、栞奈を見る。
栞奈はすでに興味を無くしたように、手鏡の中の自分の顔に夢中になっている。
「すみません、読めません」
あたしは小さな声でそう言って、席に座ったのだった。
☆☆☆
「わ……たし……はぁ」
授業が終わると同時に栞奈があたしの机までやってきて、わざとらしくそう言った。
さっきの話方を真似しているのがすぐにわかった。
あたしはうつむき、下唇を噛みしめた。
あたしだって好きであんな風に読んだワケじゃない。
「栞奈でしょ、あたしの教科書にイタズラしたのは」
勇気を出してそう言った。
すると栞奈は怪訝そうな表情をこちらへ投げかけて来た。
「はぁ? なんのこと?」
「これだよ!」
そう言って国語の教科書を広げて見せた。
栞奈はそれを見て首をかしげている。
「普通の教科書じゃん」
そう言ったのは美月だった。
「なに言ってんの? こんなに歪んだ文字じゃ読めないじゃん!」
しらばっくれるつもりだと思い、あたしはそう怒鳴った。
「歪んでる? それって菜々花の性格の事?」
栞奈がそう言うと、教室中に笑い声が溢れた。
あたしは勢いよく教科書を閉じて、席を立った。
もういい。
教科書が使えないんじゃ授業だって受けられない。
そう思い、大股で教室を出た。
栞奈と美月が何か言っているが、あたしはそれを無視して旧校舎へと向かったのだった。