それは今から10年前の青南高校での出来事だったらしい。


当時1年1組に在籍していた向井健太という男子生徒は、女性が大の苦手だった。


女子生徒と会話することはおろか、女性の先生が相手でもまともに顔を見ることができないくらいだった。


しかし健太は成績が良かった。


元々医者になるべく勉強をしてきていたから、青南高校では難なくトップクラスの成績を保つ事が出来ていた。


しかしそれは健太自身の異質さを際立たせる結果となってしまった。


極度の女性嫌いと成績優秀。


それらの反するものは生徒たちの興味を誘い、徐々にイジられる対象になって行った。


それでも最初は健太もそれを受け入れ、楽しんでいた部分があった。


男子生徒たちとの戯れだと考えていたのだ。


でも、そのイジりはイジりだけでは終わらなかった。
1組の一部の生徒たちの行動が過激化して行き、健太は徐々にクラス内での居場所を失っていった。


健太が保健室登校になって一週間ほど経過した時、偶然その日は保険の先生が不在で健太は1組で授業を受けていた。


久しぶりの教室にどれだけ緊張したことか、今のあたしには痛いほどに理解できた。


そして、それはイジメていた生徒たちにとっても久しぶりのことだった。


イジメてもいい健太がクラスにいる。


そう感じた生徒たちはここぞとばかりに健太を被弾した。


今まで頑張ってきた勉強すらも見下され、なんの根拠もないままカンニングの疑いをかけられた。


教室内だけで終わっていればよかったものの、あろうことはそれを信じ込んでしまった担任の教師が、健太の親に連絡を入れてしまったのだ。
カンニングなんてしていない。


悪い事なんてなにもしていない。


どれだけ訴えてみても、医者としての進学ができなかった健太に対し、両親は冷たかった。


そして、ある日の放課後。


午後5時を知らせるチャイムが鳴ったとき。


ついに健太はここから飛び降りたのだ。


16年という短い人生を自分の手で終わらせるために……。


「その時からなんだ。健太は朝ここに現れて、5時のチャイムと同時に消えるようになった」


工藤先生はそう言って、オレンジ色になった空を見上げた。


「俺が来る前に、前任の先生もここにいて、健太と一緒に青空クラスに来る生徒たちを見守っていたんだ」
そんなにも長い間、健太はここに居続けていたのか。


みんなが青空クラスを卒業しても、健太だけは卒業できずにいるのだ。


あたしは滲んで来た涙を脱ぐい、フェンスにくくられている風船の紐をほどいた。


手から離してみても、しぼんだ風船は自力では飛んでいくことができない。


健太も、これと同じ状態なのかもしれない。


「健太のお墓に行きたいです」


あたしは工藤先生へ向けてそう言った。


10年も前からここに縛りつけられている健太を、すぐにでも楽にしてあげたかった。


あたしたちのことならもう心配ないよ。


次は健太の番だよ。


そう言ってあげたかった……。
そのお墓を目の前にしても、あまり実感はわいてこなかった。


向井健太。


墓石に掘られた名前にゆるゆると息を吐きだす。


「本当だったんだね」


あたしの隣で穂香が呟くようにそう言った。


「……うん」


あたしはただ頷いた。


本当だった。


健太が10年前に死んでいたというのは、本当だった。


それなのに、つい数時間前まで会話をしていた健太も本物だった。


そして明日の朝になればまた、健太は青空クラスに戻って来ることだろう。


あたしたちのような、教室に居場所にない生徒を心配して、話し相手になってくれるのだろう。
「健太、ありがとう」


あたしはそう言い、白い百合を花筒に活けた。


灰色の墓石がオレンジ色の太陽を浴びてキラキラと輝いている。


周囲も綺麗に掃除されていて、健太が今でも愛されていることがわかった。


「健太。俺たちはもう大丈夫だから」


線香を立てて、有馬が言った。


そうだよ。


あたしたちはもう大丈夫。


だから健太も、もう安心していいからね……。


そんな思いで手を合わせる。


その時だった。


砂利を踏む音が聞こえてきて、あたしは目を開けた。
20代半ばくらいの4人の男性が、花をもってこちらに近づいてくるところだった。


あたしたちを見て戸惑った表情を浮かべている。


「こんにちは」


男性たちに気が付いた工藤先生が、そう声をかけた。


男性たちは安心したように頭を下げ、近づいてくる。


「君たち、青南高校の生徒だよね?」


あたしたちの制服を見て、1人がそう声をかけてきた。


「そうです」


あたしは、コクリと頷く。


「健太のことを知ってるのか?」


そう聞かれて、あたしは工藤先生を見た。


どう答えていいのかわからなかったのだ。
「少しだけ」


工藤先生はそう返事をした。


「そうですか……」


「あの、失礼ですがあなたたちも青南高校の生徒さんだったんですか?」


工藤先生が質問すると、男性たちは頷いた。


「そうです。健太と同じ1組でした」


その言葉にあたしの心臓はドクンッと跳ねた。


穂香たちの表情も険しくなる。


まさか、この4人って……。


「今日、やっとここへ来ることができたんです。ずっと来たかったけど、勇気がでなくて……」


そう言って俯く男性。
やっぱり、健太をイジメていた人たちなのかもしれない。


そう思い、グッと拳を握りしめた。


健太は未だに青空クラスにいる。


たった1人で、飛び立つ事ができないまま。


「健太。本当に、ごめん」


そう言い4人は深く頭を下げた。


それは死者を拝むというよりも、心からの謝罪をしているような姿だった。


健太は彼らを許すだろうか。


自分を死に追いやった人間に対し、何を感じるだろうか。


その思った時だった。


ザァッと強い風が吹いた。


どこからともなく『ありがとう』という声が、聞こえて来た気がした……。