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健太が提案した体育の授業内容は鬼ごっこだった。


まるっきり子供な内容に呆れてしまいそうになったけれど、なにもない屋上でできる授業といえばそのくらいなものだった。


この学校で一番青空に近い場所で走り回っていると、自然と笑顔がこぼれていた。


今までの嫌なことや、不安なことが、走るたびに消え去って行くような気分だった。


「次、有馬の鬼~!」


鬼のみゆな有馬にタッチしてそう言った。


「有馬、足早いんだから手加減してよ!」


近くにいた穂香がそう言いながら逃げ出す。


あたしも一緒になって駆け出した。


風が頬に当たって心地いい。


小学生の頃の自分に戻ったような感覚だった。


無心になって遊んだあの頃を思い出すと、怖い事なんてなにもなかった。


勉強も、両親も、友達も。


今よりも、もっとずっと素直で真っ直ぐに受け止めることができていた。
「次、菜々花の鬼~」


有馬に追いつかれ、背中をタッチされてあたしは立ち止まった。


大きく呼吸を繰り返して周囲を見回す。


みんな、額に汗を滲ませて遊んでいる。


鬼も、そうじゃない子もみんな笑顔で。


それは忘れてしまったように感じていた、幼いころの自分と重なった。


あたしは忘れてなんかない。


沢山の理不尽に囲まれて窮屈な毎日を送っているけれど、あの頃の楽しさを忘れたわけじゃないんだ。


そう思うと、途端に嬉しくなった。


逃げるみんなを捕まえるたびに再び走り出す。


みゆなと穂香がきゃあきゃあ騒ぎながら走って行く。


あたしはめいっぱい手を伸ばして、みんなを捕まえに行く。
不意に、逃げ遅れた健太が視界に入った。


方向転換し、健太へ向けて手を伸ばす。


ようやくあたしが近づいてきていることに気が付いた健太が、驚いた表情を浮かべる。


逃げようと右足を出す健太。


けれど、少し遅かった。


あたしの手が健太の肩に触れた……。


え……?


その瞬間、すり抜けていた。


「あっぶねぇ! もう少しで鬼になるところだった!」


唖然として立ち止まるあたしに、健太がゲラゲラと笑いながらそう言った。


「え、ねぇ、今……」


あたしは健太の肩に触れたよね?


そう聞きたかったけれど、聞けなかった。


聞いちゃいけないような気がしたし、自分の思い過ごしだったのかもしれないと思った。


「はいはい、今日の体育はここまで! もう放課後だぞぉ」


工藤先生のそんな言葉が聞こえてきて、今日の授業は終わったのだった。
それから一週間。


あたしは学校へ登校してくると、そのまま青空クラスへと向かうようになっていた。


青空クラスへ行くといつでも健太がいて、他愛のない会話をして過ごした。


そうこうしている間に工藤先生が来たり、他のメンバーが来たりして、また話に花が咲くのだ。


穂香たちが言っていた通り、必ず全員がそろうワケじゃなかった。


特に、有馬と源太は州の半分くらいしか青空クラスに来ていないだという事が、この一週間でわかった。


「健太は教室に戻らないの?」


ある日の朝。


あたしはいつものように青空クラスへ来て、健太の隣に座ってそう聞いた。
「戻りたくなったら、戻るよ」


健太は口元の笑顔を消さないまま、そう返事をした。


健太はどうして青空クラスにいるんだろう?


聞きたくても、聞いちゃ悪い気がして質問が喉の奥にとどまっている。


「菜々花は?」


そう聞かれて、あたしは相変わらず青い空を見上げた。


ここ最近ずっといい天気で、雨雲なんて少しも見えていない。


あたしの心もこの空のようにパッと晴れてくれればいいのにな。


「あたしも、健太と同じ」


そう言って笑顔を浮かべる。


「じゃあ、もうしばらくはここにいそうだな。俺たち」


健太の言葉にあたしは笑った。


「そうだね」
今教室がどんな状態になっているのかわからない。


あたしがいないことで、なにか変化があっただろうか?


知りたい気持ちと、知ることが怖い気持ちが半々だった。


「菜々花には、クラスメートから連絡が来たりするんだろ?」


健太の言葉に、あたしは左右に首を振った。


「わからない」


「わからないって、どうして? 連絡先くらい、交換してるんだろ?」


その質問に、あたしは縦に首を振った。


確かに、みんなの連絡先は知っている。


けれど、文字が読めなくなってしまってから、あたしはスマホを確認していなかった。


誰かからメッセージが送られてきていても、それを読むことができないからだ。


その説明を健太にすると、健太は眉間にシワを寄せて、なんだか痛そうな表情になった。
「俺が読もうか?」


その提案に、今度は横に首をふる。


もし、あまりよくない内容のメッセージだと余計につらいだけだ。


健太のことだから、あたしに気をつかっていいメッセージしか読まないかもしれない。


でも、それじゃメッセージを読んでもらう意味がなかった。


「大丈夫。また文字が読めるようになったら、その時にちゃんと読むから」
☆☆☆

この日は工藤先生が青空クラスに来る日だった。


先生が屋上へやって来る前に、穂香、みゆな、有馬、源太の4人も揃っていた。


全員がそろうタイミングは、工藤先生の授業がある日なのだということも、だんだん見えて来た。


「今日はなんの授業ですか?」


ビニールシートに座り、みゆなが工藤先生へ向けてそう聞いた。


「今日は……1日だけ頑張って教室で勉強することを課題にする」


工藤先生の言葉に、一瞬全員が黙り込んでいた。


みんな目を丸くして工藤先生を見ている。


工藤先生がそんな風に言うなんて、初めてのことだった。


「ここにいるなってことですか?」


あたしはそう質問をしていた。


この青空クラスはみんなにとって、あたしにとって、大切な教室だ。
周囲に気を使う事もなく、同調する必要もなく、自分自身を出せる場所だ。


「そういうことだ」


あたしの質問に工藤先生は頷いた。


あたしはゆるゆると口から息を吐きだし、隣に座っているみゆなへ視線を向けた。


みゆなはキュッと口を引き結び、下をむいている。


「今日1日だけだ。明日からはまたここへ来ればいい」


工藤先生の明るい声が、余計に胸を重たくした。


今日1日だけかもしれない。


けれどあたしたちにとってその1日は、とてつもなく長いものになるだろう。


「ほら、立った立った!」


工藤先生はそう言い、あたしたちが座っているビニールシートを強引に片付け始めた。
こうなると立ち上がざるを得ない。


しぶしぶビニールシートから下りて、健太と視線を見交わせた。


健太は眉を寄せ、肩をすくめてみせた。