「あ、間違った。佐山(サヤマ)先輩」
山しかあってないのに、普通間違えるか。わざと言っているのではないかと胸が騒いだ。だって、その名前にわたしは反応してはいけないことを知ったうえで、間違われたような気がしたから。
何事もないように振り反った。
「なに?」
「止まって」
「えっ?」
「そこで待ってて」
引き留めたくせに、慌てる様子もなく、ゆっくりとした足取りでわたしの前に来た。
「先輩、俺のこと知ってますか?」
「知ってるよ。柊くんでしょ?」
舌足らずみたいな発音になって、ちょっと悔しかった。ヒイラギと心で復唱する。無表情が一変して、ニッと唇が微笑みの形に変わった。
「じゃあ自己紹介みたいな面倒くさいことは省きます」
「はあ」
「丁度良かった。実は先輩に頼みたいことがあったから」
「えっ……と……初対面ですよね?」と、確認する。
「はい。一応。俺は前から先輩のこと知っていましたけど」
わたしのことを知っていたという言葉が気持ち悪く感じた。
それは、わたしが彼みたいに目立つタイプではないことくらい知っているからだ。
委員会や部活が同じとかそういったきっかけがないとわたしの名前なんか知る由もない。もちろんそういったこともなかったし、わたしの記憶の中では彼と話したことはない。
第一、そんな一方的に知っている相手に頼みたいことなんて普通はないから、余計に怪しく感じて身構えてしまう。