「晴海さん。準備が終わりました」

 話をしてから、1時間後には夕花の準備が終わってしまった。もともと、奴隷市場で売られていて、晴海が入札したので当然と言えば当然だ。晴海も、情報端末と身分証明が行える物だけを持って奴隷市場に来たのだ。
 お互い、このホテルで用立てた物か、晴海が能見に依頼して用意した物しか荷物はない。

 夕花の提案から、姿を消す方法で伊豆に向かうと決めたので、コンシェルジュに頼んでいた方法で脱出すると決めた。

 晴海と夕花は、明日以降のスケジュールを大まかに決める。

「夕花。それじゃ、エステに行っておいで、僕も髪の毛を調整してくるよ」

「はい。あと、出来ましたら、晴海さんは目の色を変えられたらどうですか?」

 二人は変装の相談をしている。
 変装はするが、簡単に戻せるようにすると決めた。うまく抜け出したが、逃亡先の伊豆や駿河では晴海と夕花だと解らせる必要がある。伊豆に到着するまでは、なるべく穏便に進みたいが、伊豆に到着した後は、探し出してもらわないと、計画の大部分に支障が出てしまう。その為に、すぐに戻せるようにしようと決めたのだ。

 夕花は、数日前に行った全身コースを受ける。夕花は、最後まで抵抗したが、晴海が強引に受けさせたのだ。数日前に受けたので、ムダ毛や垢は大丈夫だった。全身マッサージはとても気持ちがいい。しかし、とてつもなく恥ずかしかった。

 晴海は、夕花をエステに向かわせてから、能見にコールした。

『愛しの晴海さんから連絡を頂けて私は・・・。私は、もうどうなっても構いません』

「わかった。わかった。それで、義母の墓を荒らした奴らの事情は解ったのか?」

『はい。ご当主様。御義母上様の寝所を荒らした奴らは、半島系のシンジケートに連なる奴らでした』

「そうか、夕花を狙う奴らの方が直接的だな」

『はい。少しおかしな事を言っていた様です』

「ん?市花に調べさせたのだろう?」

『はい。市花家からの報告です。ご当主様の情報端末に送ります』

「あっそうだ。新しい鍵を渡していなかったな。いつもの方法で送っておく」

『ありがとうございます』

 一旦コールを切ってから、能見に公開鍵を、能見の鍵で暗号化して送付する。すぐに、折返しで資料が送られてきた。復号して中身を確認する。

 晴海は資料に目を通してから、能見をコールする。

「確かに、おかしな話だな。ボタンの掛け違い程度ではなさそうだな」

『はい。奥様のお話と食い違ってしまいます』

「そうだな。夕花の実家を調べてくれ、それと行方不明になっている兄も探してみてくれ、何か出てくるかもしれない」

『わかりました。あっそれから、百家が騒いでいます』

「何を?奴らが騒ぐような状況ではないだろう?」

『どうやらスポンサーが利権の一つでももってこいと言っているようです』

「潰せ。ゴミクズをかまっている場合ではない」

『はっ。フルコースで?』

「面倒だよ。祖父も、父も、そこまでやらなかった。首の挿げ替えだけでいい」

『かしこまりました』

「スポンサーの方は、完全に潰せ。業種が何か知らないけど、どっかの家に吸収させろ!」

『はっ。ご当主様の御心のままに』

 コールを切って、晴海はソファーの背もたれに身体を預ける。深く息を吸い込んでから吐き出した。
 情報端末には、能見から送られてきた資料が開かれていた。

”文月家の父親が使っていた情報端末の奪取が目的”

 夕花の兄が持ち逃げしたという組織の資料ならわかるが、兄よりも先に死んでいる父親の情報端末を狙うのがわからない。それも、墓所を狙ったのは、すでに家は調べたのだろう。それで見つからなくて、墓所に夕花が現れるのを待っていた。それなら、奴隷市場に来た連中と墓所を荒らした人間が違うことになる。

『文月晴海様。準備が整いました』

 コンシェルジュがモニター越しに連絡してきた。
 そこで、晴海は思考を打ち切った。これから、支度をして夕花に会うのだ。夕花とのデートを楽しもうと思考を切り替えた。

 晴海は、夕花から目の色を換える方法として、コンタクトレンズを進められた。目立つと言われた髪の毛を染めた上で、エクステをしてさらに印象を変えたほうがいいと言われた。夕花はエステに押し込まれる前に、コンシェルジュに連絡をして晴海のコーディネイトを行った。晴海も、少々強引に夕花をエステに行かせるので、自分は必要ないと言えなかったのだ。
 髪の毛の色は二人で揃える。同系色にするのだ。晴海は、瞳の色も髪の毛の色に合わせたコーディネイトになっている。

 エステの終了と晴海の準備の時間は同じになるようにセッティングされている。
 その後で、ホテルをチェックアウトして、歩いてホテルの外に出る。食事をしてから、地下に降りて車で移動する。能見が用意した、晴海名義の車は能見の部下が運転して、東北の奥州を目指す。奥州にも、六条の別荘があるので、別荘まで車で移動するのだ。背格好が、同じくらいの男女で行動する。
 他にも、能見はデコイを撒いた。北陸方面はわざとデコイのバラマキを少なくした。

 晴海が着替えを済ませて、ロビーで待っていると、夕花もシックなワンピース姿で現れた。

「・・・。晴海さん?」

「あっ。ごめん。あまりにも可愛かったから見とれていたよ」

「・・・」

 夕花は、顔を真っ赤にして俯いた。エステを受けているときに、エステティシャンから『旦那様も褒めてくれますよ。すごく可愛らしいです』と褒められて、本当に晴海が可愛いと言ってくれたのが嬉しかったのだ。そして、もう一つが、下着だ。エステティシャンに言われて、晴海に”いつ”見られてもいいようにセクシーな下着を身に付けておくべきだと言われた。そして、多少は残っていた髪の毛以外の毛を全部処理されてしまった。自分でやるからいいと言ったがダメだった。肌が綺麗だからしっかりとした処理をしないと抜いたあとが汚くなってしまうと言われたのだ。そして、出された下着は、下着なの?と思ってしまう物だった。殆ど隠せていない。むしろ透けて見えているよね?と言いたくなってしまった。ブラも下に合わせた。慎ましやかな胸が少しだけ、本当に少しだけ、ワンサイズだけ大きくなった気がした。そして、生まれてはじめてガーターベルトをしている。ショーツの下にベルトを通している。ショーツだけを脱げるので、良いと教えられた。

「夕花?」

「ごめんなさい。アナタ」

「うん。すごく可愛いよ。それでは行きましょう。奥様」

「はい」

 変装すると決めた時に、外では奴隷と主人ではなく、若い新婚カップルとして振る舞うと決めた。
 夕花に、晴海を名前で呼ぶのではなく”アナタ”と呼ぶようにお願いしたのだ。

 夕花は、晴海の腕に自分の腕を絡ませた。胸が押し付けられる形になってしまった。晴海が少しだけ慌てたのを感じて、夕花はイタズラ心が出て、慎ましやかの胸を晴海の腕に押し付けた。

「(可愛い。可愛い。僕の奥さん。そんなにして欲しいのなら、この場でキスするよ)」

「え?」

 晴海が夕花を抱き寄せて耳元で囁いた。夕花が驚いて身体を離したのを見てニヤニヤしている。

「夕花。何が食べたい?」

 少しだけ照れた顔と、少しだけ怒った顔が可愛らしいと晴海が思ったが、夕花には違うセリフを告げて手を差し出したのだ。夕花は晴海の手を照れながらもしっかりと握った。

「そうですね。普段、アナタが食べているような物じゃなくて、私が好きだった店がありますから、そこでいいですか?」

「わかった。夕花に任せるよ」

 夕花が案内したのは、一世紀前から営業している”誰が見てもわかる”ファミリーレストランだ。運営母体や資本提携を変えながらしぶとく生き残った老舗だ。100年以上続いているファミリーレストランと考えると不思議な気持ちになるが、老舗には違いない。

 店に入ってすぐに案内された。
 別に、晴海がファミリーレストランは始めてきたわけではない。システムも解っているので問題はない。テーブルに置かれているタブレットで注文すればいいのだ。支払いも、情報端末をリンクすれば支払いも終了する。

「夕花は、いつもこのファミリーレストランで食べていたのか?」

「あ・・・。いえ・・・。この系列でバイトをしていました」

「へぇ・・・」

 晴海は、ウェイトレスが着ている制服を見てから、夕花を見る。そして、さぞかし似合っただろうと思った。そして、”モテた”だろうと、考えたときに、自分が苛ついているのに気がついた。なぜ苛ついたのかは解らなかったが、晴海は夕花が目の前に座って自分を見ているのを感じて安心したのだ。

「あっ・・・。アナタ。私は、裏方で、あの制服は着ていません。着てみたかったけど・・・。学校に黙ってのバイトだったので・・・」

「そう?今でも着てみたい?」

「え?アナタが着て欲しいと言うのなら着ます」

「うーん。すごく似合いそうだけど、またの機会だな」

「はい」

 二人は、食事を終えて、街を二人でショッピングを楽しむかのように歩いた。初々しいカップルのデートに見えただろう。
 公園で、フルーツをたっぷりとトッピングをしたクレープを、夕花が幸せそうに食べていると、能見からコールが入った。

「夕花」

「はい」

「大丈夫なようだ」

「わかりました」

 残っていたクレープを口に放り込んで、ゴミをゴミ箱に捨てて、夕花は差し出された晴海の手を握った。これから、二人の逃避行が始まるのだ。
 晴海は、能見に自分たちを付けている者や監視している者が居ないか探らせていた。

 能見からのコールは、ホテルにも二人の周りも”オールクリア”だという報告のコールだったのだ。