ボクは、同じ苦悩を抱えているであろう風の北天に、声を掛けた。
「瑠威は、いつから自覚症状があるのかな。東吾は、何か聞いている???」
「いえ…瑠威の持病についても、症状の進行具合も、先程初めて知りました。」
深く消沈する東吾。
北天という立場に在りながら、当主の変化に何も気づかなかった自分を責めている。
そんな彼に、ボクは瑠威から受けた印象を語った。
「瑠威と話して感じたんだ。あの子は何かを憎んでいる。同時に、酷く怯えてもいるんじゃないかって。」
硬張ったあの表情を思い出せば、胸が痛む。
震える肩。青褪めた顔。
混迷する心理は深い闇の底にあり、どんなに手を延べても、彼の元には届かない。
「病気の原因や詳しい症状は、良く解った。確かに大変そうな病気だけれど…治療を受ければ、完治は無理でも、症状の改善は可能だって事も解った。なのに瑠威は、その一切を拒んでいる。医者に掛かるのを避けているみたいだ。…あの子が抱えているものは、病気だけじゃないって気がする。」
「首座さま。」
戸惑いの表情を見せる東吾に、ボクは思い切って切り出した。
「瑠威は、誰に対しても壁を作っている。あんなに頑なに人を拒むのは、何か他に『特別』な理由があるからじゃないの?」
真摯な眼差しを向けた途端──東吾は、不意に渋面を解いた。
「有難うございます、首座さま。貴女はそこまで、瑠威を見ていて下さったのですね。」
「教えて。東吾は何を知っているの?」
「申し訳ございません。『詳しくご説明する』と申し出ておきながら…貴女方があまりに楽しそうなので、つい言い出しそびれてしまった。」
迷いを吹っ切る様に、彼は続けた。
「話せば長くなりますが…聞いて頂けますか?」
「長いのは構わない。だけど…」
「だけど?」
「だけど、その前に確認させて?本当にボク等が聞いちゃって良いの??本人から聞こうと思っていたけれど…瑠威は、知られる事を嫌がっている様だった。」
思うに──これは、とてもデリケートな問題だ。瑠威の人権に触れる様な、深刻な内容に違いない。
だからつい、躊躇してしまう。
──どこまで立ち入って良いのか?
正直、自分でも判断がつかない。
東吾は、優しく破顔して言った。
「構いません…いや、寧ろ、貴女にだけは知っておいて頂きたい。それは最初に申し上げた通りです。…ああ見えて瑠威は、構って欲しい気持ちは人一倍なんですよ。首座さまが御味方に就いて下されば、我等四天も、随分気が楽になります。」
東吾の黒曜石の瞳が静かに閉じられる。
そうして再び見開かれた時…僅かに残っていた迷いの色は、綺麗さっぱり消え失せていた。
「では、全てをお話し致します。」
東吾は、徐ろに語り始めた。
「瑠威と瑠佳は、『特殊な生まれ方』をした双子なのです。」
「特殊?」
ボクの問いに、東吾が頷く。
「彼等は、異性一卵性双生児──世界でも報告例が少ない事で知られる、極めて稀な一卵性の双子なのです。」
「何だって…?」
途端に、祐介の表情が凍り付いた。
「確かなのか?」
「あぁ。国内最高の遺伝子研究チームが実証したんだ。間違いないだろう。」
「成程、遺伝子異常の一つはそれか…」
祐介は、細い指で顎を捕え首肯した。
「瑠威には、複数の遺伝子異常があると、右京さんは言っていた。アルビノの様な外見も、遺伝子の色素異常に因るものだろう。生まれの特異性を考えれば、性染色体異常が起きても不思議じゃない。クラインフェルターの症状が表れたという事から、瑠威の性染色体は[47,XXY]以上の配列を持っていると考えられる。『異性一卵性双生児』の片方が、性染色体異常として生まれて来た…世界でも、極めて稀な症例だ…」
「らしいな、俺も詳しくは解らないが…」
何やら、話が急に難しくなってきた。
遥が、不意に話に割って入る。
「なぁ、祐ちゃん?俺もう既に、会話に付いていかれへんのやけど…XやらYやらて、何なん?」
祐介は『少しややこしいけれど』と前置きをしてから、説明を始めた。
ヒトの性別は、女が[XX]、男が[XY]という性染色体を有する事で分かれていく。
だが稀に『染色体異常』が発生し、[XXY]という、X染色体を多く持つ男性が生まれる事があるのだ。同様に、X染色体が欠落した『XO性染色体』を持つ女性もいる。
前者を『クラインフェルター症候群』、後者を『ターナー症候群』と云うらしい。
…この様に。
[XXY染色体]を持つ男性は、XX(女)とXY(男)──両方の性特性を持つが故に、男性的な第二次性徴が、上手く促進されない場合がある。
瑠威は、当にその典型だ。
性染色体異常の患者は、500~1000人に1人の割合で生まれるというが──瑠威と瑠佳の様に、『異性一卵性双生児』が起因して発症する例は、世界でも極めて稀なのである。
「異性の一卵性双生児って…そんなに珍しいの?」
門外漢のボクには、それが如何に稀少な例であるかも解らない。素人丸出しを承知で訊ねると、祐介は僅かに渋面を解いて言った。
「かなり珍しいね。奇跡に近い存在だ。」
「奇跡…そんなに?」
「一卵性双生児は、同性で生まれるのが普通だからね。ひとつの受精卵から、異性の双子が誕生する確率は、限り無く0に近い。」
「そうなの!?」
思わず声が裏返る。
そんなに珍しい現象だとは知らなかった。
傍らの遥も、複雑な表情で呟く。
「つまり、瑠威と瑠佳は『奇跡の双子』なんだね。さっき、あの子が言っていた『出生の秘密』とやらは、これの事を差していたのか…。」
片や。一慶は、慣れた手付きで祐介に包帯を巻きながら、静かにこの遣り取りを聞いていた。剥き出しになった男らしい腕に、くるくると包帯を巻き付けていく指の動きは、何やら妙に艶かしい。
やはり、あの細くて長い指の所為だろうか?
ピアニストである事を証明しているかの様な、美しく繊細な指先──。倒錯シュミに走るなと云う方が、無理だ。
目の遣り場に困ったボクは、取り繕う様に話の続きを促した。
「そ、そんな奇跡的な例なら、当時はかなり話題になったんだろうね?」
その言葉に、東吾が深刻な顔で頷いた。
「えぇ。研究者の間では、かなり騒がれた様です。」
「それは僕も覚えているよ。」
すっかり処置が終わった祐介は、着物に袖を通しながら言った。その肩に、一慶が然り気無く羽織を着せ掛ける。
礼を云う様に軽く手を挙げると、祐介は話を続けた。
「だけどまさか、渦中の人物が身内にいるとは思わなかったな。プライバシーの保護が、厳重だったんだろう。一座でも全く話題にならなかった。」
「伸之さんが、首座の権限で箝口令を敷いたらしい。真実を知るのは、ごく限られた人間だけだ。《風の星》の俺達さえ、長いこと詳細を知らされていなかった。先代は、一人で重荷を背負うつもりだったのだと思う。」
右京さんらしい気遣いだ…。
きっと、一人で沢山のものを守り続けてきたのだろう。
もっと楽な生き方も出来た筈なのに。
そこへ、救急箱を片付けていた一慶が唐突に口を挟んだ。
「で?瑠威がひねくれた原因と、その出生の秘密とやらが、どう関わっているんだ?」
「それなんだが…」
東吾は一瞬、言い難そうに言葉を濁した。…が、すぐに顔を上げ、重々しく語り始める。
「ある大物政治家のテコ入れで、瑠威と瑠佳を研究対象とする『遺伝子研究チーム』が立ち上げられたんだ。当時、権威と呼ばれた有識者らが、主要メンバーとして参加していた。当主は、我が子を研究対象に差し出す事に、強く反発したが…件の大物政治家が、一座の公的立場を盾に、圧力を掛けて来たらしい。」
「その大物政治家って、当時の厚生労働大臣だろう?」
一慶の問いに、東吾は、曖昧な苦笑を返して言った。
「まぁ──そこは察してくれよ。」
「はいはい、これ以上は言及しないでおくよ。ともあれ、大体の事情は解った。一座の立場を考えると、右京さんも、無下には断れなかったんだろうな。」
「あぁ。結局、彼等に協力するしかなかったそうだ。」
「そんなの…!ただの脅しじゃないか!? ウチの親父は、何も言わなかったの?」
思わず口を突いて出た言葉に、東吾は力無く首を横に振る。
「この件に関しては、伸之さんにも秘密にしていたようです。先代首座に、個人的な事情で迷惑を掛けたくなかったんでしょう。変に義理堅いところがありますからね…あれで。」
「右京さん…水臭いよ。親父に相談してくれれば、きっと何とかしてくれた筈なのに…」
「えぇ、本人も後悔していました。まさか、あんな事件が起きるなんて想像もしていなかった、と。」
「あんな事件?」
言葉尻を捉えたボクに、東吾は慎重に言葉を選びながら語る。
「瑠威と瑠佳は赤ん坊の頃から、その成育データを彼等に提供し続けました。そうして十歳を過ぎた頃でしょうか?瑠威の体が、急激に変化し始めたのです。」
「…クラインフェルター症候群…」
「えぇ。元々病弱だった瑠威は、瑠佳に比べて成長の遅れが目立つようになりました。そんなある日、事件が起きたのです。ある研究員から連絡を受けて、瑠威は研究室に向かいました。その男は、『病気について調べたい事がある』と言って、瑠威だけを呼び出したのです。そこで、あの子は性的虐待を受けた。」
「え──」
衝撃的な事実の前に、ボクは、言葉を失ってしまった。
「その時の行為を、動画や写真に撮られ、それをネタに、瑠威は何度となく奴に関係を強要された様です。」
「…ひどい…っ!」
思わず口元を覆う。
他に言葉が出て来ない。
怒りに震える肩を、遥が然り気無く抱き寄せる。
──だが。ボクの気持ちは収まらなかった。
瑠威…可哀想に。
どんなに辛かっただろう。
彼が大人に対して不信感を抱くのも、医師という職種に向ける嫌悪感も、全ては、これが原因だったのだ。
東吾は、抑揚の無い声で、淡々と事実を語る。
「この研究員は少年性愛の遍歴があり、以前から問題にされていた様です。」
だが、政治家の息子だという事で、その行為は全て揉み消されていた。更に男は、『要求に応じないと、瑠佳にも同様の行為をする』と脅して、益々、瑠威を追い詰めていったのだ。
妹を守る為に、瑠威は幼いその身で必死に凌辱に耐えたのである。
聞けば聞くほど腹が立った。
こんな悪辣な人間が、何の咎めも無く巷に野放しにされているなんて…!
「…申し訳ありません、首座さま。こんな内輪話に付き合わせてしまって。顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
「平気だ。瑠威の事は…ちゃんと全部受け止めるから──続けて。」
東吾は、小さく頷いて話を再開した。
「そんな事が何度か続いた、ある日。ついに瑠威は、我慢の限界を越えてしまいました。この研究員に対して、封印していた風の力を開放してしまったのです。」
「力って…?」
「《降魔術(ゴウマジュツ)》です。魔神の力を以て魂魄を縛し、一気に奈落に追い落とすという荒技です。《風の星》の力は浄化を表しますが…中でもこれは究極奥義と言われる秘法であり、当主の力の象徴なのです。」
「聞いた事あるな、それ。」
一慶が、ボソリと呟いた。
「生身の魂魄を、生きたまま無間地獄に落とすっていうやつだろう?」
「そんな凄い術があるの?」
驚いて一慶を見上げると、彼は複雑な表情で頷いた。
「あぁ…《六星降伏秘法》のひとつだよ。行者の力量が問われる、高度な術だ。大自在天の功徳で暴風を起こし、体から魂魄だけを吹き飛ばして、地獄の最下層に叩き落とす。これを施された人間は、確実に精神崩壊する。」
その言葉を受けて、東吾が言った。
「度重なる暴挙に耐えていた瑠威が、渾身の祈りで放った秘術です。常人には、一堪りもなかったでしょう。男は精神を破壊されて、再起不能になりました。最早、廃人ですよ。」