緊迫した空気が緩む。
巳美は、最早立ち上がる事すら出来ない様だった。

 …ホッと胸を撫で下ろした、その時。
不意討ちの様に、肩をポンと叩かれた。

「ゴメンね、薙。遅れちゃって。」

 そう言って、頼もしく頬笑む紫に続き、蒼摩が小さく会釈をする。

「大丈夫だった?怪我は?」

 横目で巳美を一蔑してから、紫は真剣な眼差しを向けた。

「ボクは平気…」

 だけど。祐介が怪我をした──ボクを庇って。

横一文字に切れた右袖から、二の腕を横切る大きな傷が覗いている。

 医師でもある彼は、冷静に自分の処置をしていた。懐からハンカチを取り出し、サッと口に咥えると、器用な手付きで腕に巻き始める。

 ボクは居ても立ってもいられなくなり、彼の元へ駆け寄った。利き手が使えない祐介の代わりに、ハンカチの両端を結ぶ。

「有難う、薙。助かった。」
「そんな…」

 お礼を言いたいのはボクの方だ。
こんな怪我を負わせてしまって…。

 だが、謝ろうと口を開いた刹那、人差し指で唇を封じられてしまった。

「大丈夫だから、内緒にして?」
「でも、手当てをしなきゃ。」
「僕は癒者だよ。自分で出来る。」

「……。」

 優しい眼差しに気圧(ケオ)されて、二の句が継げなくなる。そこには、心配させまいという彼の気遣いが感じられた。

「…紫くんが心配している。行っておいで。彼と巳美には因縁がある。暴走する様なら、キミが止めなさい。」

「うん…。」

 祐介に促されて、ボクは紫の元へ戻った。案の定、彼は険しい表情で、倒れた巳美を見下ろしている。

 紫は鈴掛行者に依って、大きく運命を変えられた一人だ。母親を悪事に利用され、兄を犯罪者に貶(オトシ)め、家庭を滅茶苦茶にした憎い仇──。

 事件に直接関わっていたかどうかは定かでないが…巳美に対する怨みも人一倍であろう。

怒りに燃える瞳で、睨め付けている。