身動(ミジロ)ぎ一つも出来ない体。
額から流れた汗が、額から顎を伝ってポタリと畳に落ちる。

「首座さま…!」

 思わず一歩踏み出したものの…そのまま為す術も無く足を止めたのは、姫宮庸一郎だった。
『触れるな』というボクの命令に、従うべきか否か逡巡している。

「誰か…首座さまを助けて…」

 譫言(ウワゴト)の様に呟く、篝の声。

誰もがボクを遠巻きにしている。
焦れる様な緊迫の中で、不意に温かい手が背中に触れた。

「…オン、コロコロ、センダリマトウギ、ソハカ」

 囀(サエ)ずる様な真言が聞こえる。

ゆるゆると顔を上げれば、ボクの傍らに紫がチョコンとしゃがみ込んで、背中を優しく擦ってくれていた。

「…紫。危ないよ…」

「平気。狐霊の扱いには、馴れているんだ。憑依なんてされない。」

「でも…」
「大丈夫。すぐ楽にしてあげるからね。」

 ボクの言葉を遮る様に、紫は一頻り真言を唱える。その響きは、穏やかな朝の光の様に、魂の奥へと吸い込まれた。

呪縛が解け、体がフッと軽くなる。
胸の痛みも不快感も、嘘の様に消えていた。

「楽になった?」
「うん。ありがとう、紫。」
「どういたしまして。」

 紫に支えられて、ボクは身を起こした。

見れば…烈火と一慶に両脇を支えられた真織が、祐介の癒霊を受けている。

半分に裂かれた魂魄が引き攣れて、痛むのだろう。

顔面蒼白だ。そこへ──

「首座さま!今度は玲一おじ様が…!!」

 切羽詰まった篝の訴えに、ボクは慌てて視線を巡らせた。右京と庸一郎に上体を支えられた玲一が、胸を押さえてグッタリしている。

…これは、いけない。

真織の狐霊に引き摺られて、こうした異変が起きる事は想定していたが、予定よりも早い段階で、覚醒が始まった様だ。

 ボクに残された時間も、あと僅か。
もうじき、金目の効果が切れてしまう。
急いで、最後の仕上げに取り掛かろう。