紫は、その場に端座(タンザ)したまま、微動だにしなかった。只、一心に経を唱えて続けている。

凄い集中力だ。

周りの空気が声に共鳴して、ビリビリと震動している。顔は見えないけれど、鬼気迫るその後ろ姿に圧倒された。

まるでそこだけ、現実世界から切り取られた様な…神聖で清らかな空間だ。

「紫…別人みたいだ…。」

「あれが『行者』だ。お前も今から、この領域に入る。良く見とくんだな。」

一慶の言葉が、ジワリと胸に沁みた。

 『行者』…あれが六星行者の真の姿。
見ている内に、手が震えてきた。急に自信が無くなる。

あれを…自分が行う?
本当に出来るのだろうか??

「邪魔しちゃ悪いな。他を当たろう。」

一慶の手が、そっと背に添えられた瞬間。
ボクの体がビクン!と震えた。

「薙、お前…。」

 彼は忽ち、怪訝に目を眇める。

「どうした…顔色が悪い。」

心配そうに覗き込まれて、ボクはぎこちなく視線を外した。

「大丈夫だよ、どうして?」
「──いや。」

 取り繕う様に答えたボクに、一慶は何か言い掛けて、ふと口を閉ざした。

「早く行こう。邪魔したくない。」

 …そう言って。
ボクは、本堂に背を向けた。
一歩遅れて、一慶が後を附いて来る。

 彼は心配してくれた──なのに。
ボクは、それを拒んでしまった。
自分が、この場に相応しく無い様に思えて…酷く惨めな気分になる。

 此処は、霊域。

この世には、祈りから成る《浄土》があるという事を、この時ボクは思い知った…。