其処は、当(マサ)に『仏の領域』だった。

初めて分け入った聖域。

まるで別世界だ。
空気の重さが違う。
色も薫りも温度も、だ。

ピンと張り詰めた緊張感が隅々にまで及び、息が詰まりそうになる…。

「初めて入ったけど…凄いね、此処…」

そんな言葉が、思わず口を突いて出た。

「何もかもが真っ白に見える…。」
「霊気の坩堝(ルツボ)に入ったからだよ。」
「霊気の…るつぼ?」

「この領戒にある木々や花々。其処に棲む生物、池の水、岩も…焚かれている燈明の炎さえ、皆命を持って活性化している。霊的な波動を放出しているんだ。此処は《霊域》と呼ばれる場所だからな。」

 一慶は、淡々と答えてくれたけれど。
何やら、物凄い事を言われた気がした。

改めて辺りを見回すと…確かに。
其処ら中、噎せ返る様な生命の脈動に満ちている。

「…薙。」

一慶が、静かに声を掛けた。

「これからの段取りを説明する。」
「うん。」

「うちの本尊は《不動明王》だ。だから《護摩壇(ゴマダン)》と呼ばれるものが設(シツ)らえてある。流石に今日は、護摩を焚(タ)いたりはしないが…。先ずは、本尊の前で読経して『行場』を結界する。加行(ケギョウ)に入るのは、それからだ。」

「…解った。」
「じゃあ、行くか?」

 その言葉に確り頷いて…ボクは、本堂に歩を進めた。高鳴る胸を落ち着けるのに苦労しながら堂内を見渡すと…。

本堂に──誰かいる??

 白い装束に紫色の襟袈裟を掛けた華奢な人影が、良く通る澄んだ声で読経していた。

「先客か…。あれは、紫だな。」
「え?」

驚いて目を凝らすと、確かに。
本尊の前に座して祈っているのは、長い髪を背で一つに束ねた見覚えのある後ろ姿だ。

「紫…何をしているんだろう?」
「観音経(カンノンギョウ)を唱えているんだよ。」
「観音経?」

「一日に百回から千回、観音経を唱える修行だ。経を唱えて、ちょうど百万回目が満願(マンガン)となる。」

 百万回──そんなに!?