「薙!」

 不意に名前を呼ばれて…ボクは思い切り頭を反らせる。逆さまな景色の中に、細くて長い脚が見えた。

一慶が、部屋の入口に立ってキョロキョロと部屋中を見回している。

「一慶、此処だよ!」
「??…何やってんの、お前?」

 埃だらけの部屋で、畳に寝転がっているボクを見て、一慶は不審に眉根を寄り合わせた。

 二歩三歩と近付き、不意に足を止める。

「それ、紫か?」
「うん。眠っちゃった…。」

 抱き締めて直ぐに、紫は眠ってしまった。

ボクの体の上で、仔犬の様に小さく背中を丸めて、スゥスゥ寝息を立てている。芯まで冷えていた体も、すっかり温まっていた。

 人肌の温もりが、心地良かったのかも知れない。紫は…永い事、それに触れていなかったのだ。

 其処へ、蒼摩と真織が駆け付けた。

「紫!なんて事を…!?」

弟の姿を見た途端、真織は、何とも言えない表情になった。

「申し訳ありません、首座さま。直ぐに弟を退かして…」

「いいよ、このままで。」
「しかし…」
「良いんだ。このまま寝かせてあげて。」

 真織は、困った様に沈黙してしまった。

ボクの手は、無意識の内に彼の背中をトントン…と叩いている。まるで赤ん坊を寝かし付けるみたいに。

 ややあって、蒼摩が足音も無く寄って来た。
紫の長い前髪を、指先で優しく払う。

「変わりませんね、紫さん。あの頃と同じ顔だ。」

 そう呟いて、懐かしそうに目を細める蒼摩は、いつになく優しい顔をしていた。

「何日も眠っていなかったんですね。」

「そうみたいだな。恐らく、千里さんが亡くなってから…紫は、安眠した事が無かったんだろうよ。」

 一慶が、静かに同意した。