「お母さん…。」

 弱々しい囁きが聞こえる。
今の声は、紫──?

驚いて顔を覗き込むと、白装束の人物は、か細い声でまた呟いた。

「お母さん。何処に行っていたの?」
「あ、え…と…。」

 直ぐに、勘違いされていると解ったが…それでもボクは、動揺してしまった。

こんな風に男の人に抱きつかれるのも、『お母さん』と呼ばれるのも生まれて初めての経験だ。

「遅いよ、お母さん。ずっと待っていたのに…どうして早く来てくれなかったの?」

「紫、あの…ボクは、お母さんじゃな」

 すると紫はフルフルと首を横に振って、ボクの言葉を遮った。

「お母さん、お母さんお母さん。」

 頻りに母を呼びながら、紫は益々キュウッと抱き付いて来る。ボクを千里さんだと思い込んでいる…。

「紫──。」

 ボクは思わず、紫の頭を撫でた。
痩せた腕。骨張った肩。のし掛られているのに…まるで重さを感じない。

こんなに痩せ細って、顔も小さくて…

ボクと同じ年齢の男性だとは、とても思えない。本当に、小さな男の子みたいだ。

 離れに閉じ籠った日…。
紫は、未だ十三歳だった。
その日から、彼の時間は止まっている。
向坂紫は十三歳の少年のままなのだ。

「お母さん。」

 ボクの胸に頬を擦り付けて来る紫。
気が付くと、ボクは紫の細い体をギュッと抱き締めていた。

今の彼には、それが一番必要だと思ったのだ。