「ところで、玲一さん?」

 沈み掛けた空気を混ぜ返す様に、ボクは唐突に話題を変えた。

「ずっと気になっていたんだけれど…。離れに居る間、二人の食事や着替えはどうしているの?」

 玲一は一瞬、面喰らった様に、切れ長な双眸を瞬(シバタタ)かせた…が。直ぐに、気を取り直して答える。

「電気や水道等の設備は、整っております。離れでの日常生活には、何ら支障ありません。食材その他の用向きは、全て、電話連絡を行ってから物品を揃え、山の裏側から、車で運び入れます。この裏山には、車が一台通れる程の林道が通っていて…其処からならば、誰でも自由に出入り出来ます。千里はともかく…紫は、その気になれば、いつでも脱出する事が可能なのです。なのに、敢えてそれをしようとしない…」

 それを訊いて、ボクは少し絶望的な気持ちになった。

いつでも逃げられた…。
なのに、紫は逃げなかった。
紫本人に、戻る意思がないのか──それとも。

何か別の理由があって戻らないのか。

 紫が千里と共に離れに引き籠った時、彼は未だ十三歳だった。当時の紫が『自分の意思』で、黄泉比良坂を登ったとは到底考えられない。

 社会から切り離された山奥で、多感な思春期を過ごした紫。果たして今、どんな青年に成長しているのだろうか?