──こうして。
向坂真織は、静かに東の対屋を後にした。
彼の足音が遠退き、聞こえなくなったのを見計らって、烈火が神妙に話し掛けてくる。

「薙。」
「ん?」

「アイツには気を付けろよ。」
「どうして?」

 烈火は、真顔だった。
何やら、重い空気が立ち込める。
誰も何も言わないけれど…皆が、烈火と同じ意見を持っている様だった。

「ねぇ。気を付けろって、何を?」

 質問を繰り返すと、向かいの席から、いっそう抑揚のない声で蒼摩が答えた。

「あの方は《狐霊遣(コレイツカ)い》なんです。」

──狐霊遣(コレイツカ)い?
またしても知らない単語が飛び出して、困惑する。

勿論、ボクには何を意味しているのか解らない…だが。それが、皆に好感を持たれていないものなのだという事だけは、ハッキリと読み取れた。

「狐霊遣いって?」

 知りたい様な、知りたくない様な…。

そんな矛盾した気分で、誰にともなく尋ねてみれば、真っ先に答えてくれたのは、火の当主・火邑烈火だった。

「狐霊遣いってのは、所謂(イワユ)る《狐憑き》の事さ。」

「狐…」

「あぁ。ある日突然、人が変わった様に気性が荒くなったり、奇行が目立つ様になったり…見えないモノが見える様になったり、意味不明な事を口走ったり…さ。そういう奴らを、昔は《狐憑き》って呼んでいたんだよ。狐って云っても、元は動物霊や自然霊の寄せ集めで出来た《集合霊》なんだけどな。」

 一気にそれだけ言うと、烈火は、グイッとビールを飲み干した。

隣に居た祐介が、気を利かせてジョッキを満たす。その序(ツイ)でとばかりに、烈火の話を引き継いだ。

「…ところがね。狐は決して悪霊ばかりとも言えないんだ。中には、神として崇められる、霊格の高い《狐霊》もいる。狐霊は、千年修行する毎に霊格が上がって、神使(シンジ)──神の遣いに昇格するんだよ。これを《七狐(シチコ)の境界(キョウガイ)》と云うんだ。」