「天魔って何?」

その意味を知らないボクには、皆が騒いでる理由が解らない。

 ──すると。

いつの間にか傍らに控えていた一慶が、然り気無く耳打ちしてくれた。

「天魔とは、欲界の王の事だ。天上界の最下層にあり、他化自在天(タケジザイテン)とも云う。」

「たけ…じざい??」

「生死の境を問わず、永遠に流転を続ける世界の事だよ。」

「───え?」

 えーと。…今、何て?

仏教用語は本当に難解だ。何を言われているのか、一度聞いただけでは、全く意味が解らない。頻りに首を捻っていると──

「薙。」

 不意に、おっちゃんが口を開いた。

「少し難しい事言うかも知れねぇが、我慢して聞いてくれるか?」

「うん。」

「天魔ってのは、元々は神なんだ。天界には幾つか階層があってな。その中の六番目の階層である《第六天魔界》って所に住んでいる。此処には、釈迦の成道を妨害した事で有名な、波旬(ハジュン)という魔王がいてな。この王は、釈迦が入滅する際、仏教の守護者となる事を誓って、護法の神に昇格したんだ。それから暫くの間、第六天魔界には王が不在だったんだが…数百年前、そこに新たな魔王が誕生したんだよ。」

「新たな魔王って…?」
「戦国武将、織田信長公や。」

 ボクの問いに答えてくれたのは鍵爺だった。白濁した瞳で、上座のボクを虚ろに仰ぎ見ている。

あまりに奇想天外な話で…ボクは、返す言葉を失ってしまった。

 何故ここに、戦国武将の織田信長が登場するのだろう?しかも…魔王になった?? 信長が!?

 それが真実だと言うのなら、事態は既に、ボクの理解の範疇を超えている。

 長くて短い沈黙が訪れた。
ややあって…混乱するボクを気遣う様に、おっちゃんが口を開く。

「信長公は、自らを『第六天魔』だと言ったそうだが…。比叡山の焼き討ちで、大勢の僧侶を虐殺した罪で、それが現実のものになってしまったんだ。そうして、本能寺の変で命を落とした後は、その言葉通り《第六天魔》になった。多くの魔縁を従え、新しい第六天魔界を造り上げたんだよ。天草四郎時貞、細川ガラシャ、芦屋道満、菅原道真、藤原薬子、崇徳院、蘇我入鹿…。今現在判っているだけで、これだけの怨霊が、第六天魔界の頭領となっている。」

 おっちゃんの表情が、いつになく険しくなる。

「この頭領達を、俺達は《天魔》と呼んでいるんだよ。」