東の対へ向かう途中、厨房に立ち寄って膳を返した。

ボク等の食事を、毎日作ってくれるのは、料理番の柴崎啓一さん──通称・柴さん。料理一筋、この道五十有余年の大ベテランだ。

 此の屋敷に勤める前は、銀座の高級日本料理店で、板長をしていたらしい。道理で一品一品が、洗練されている。

「柴さん、ご馳走様でした。今日もとても美味しかったです。」

 ボクが声を掛けると、柴さんはニカッと豪快に微笑んでくれた。

「そう言って頂くと嬉しいやねぇ。お嬢さんは食が細いんで、正直、俺の料理が口に合わねぇんじゃねぇかと心配していたんだよ。」

 ──え? そうだったの?

「…ごめんなさい、気を遣わせちゃって。ボク、ちょっと体調を崩していたから。」

「そうみたいだねぇ。」

 柴さんは忙しい手を休めずに応えた。

「お体には、気を付けて下さいよ?お嬢さんは、大事な人なんだからさぁ。」

「え…」

「貧血ですって?氷見から訊いて、びっくりしましたよ。いや、俺の娘も似た様な体質なもんで…だからかねぇ?な~んか気になっちまってさぁ。」

「柴さん、娘さんがいるんだ?」

「えぇ。一人娘が先月、嫁にいきましてね。今頃、ちゃんとやってんだか心配で心配で。元気にしててくれりゃ、それだけで俺は構わねぇんだが。」

 まるで、娘さんとボクを重ねて見る様な温かい眼差し…。娘を想う父の心が伝わってきて、不意に切なくなる。

 親父も、そんな風にボクを想っていてくれたのだろうか?脳裡を掠めた思い出に、ふと感傷的になる。

「有難うね、柴さん。」

 何とかそれだけを伝えて、ボクは静かに厨房を後にした。