…甲本家の屋敷に帰ったのは、その日の午後の事である。いろんな事があって、すっかり疲れてしまったボクは、帰りの車中で迂濶にも、熟睡してしまったらしい。

 眼が覚めた時──
其処は、自室の布団の上だった。

「…あれ…?」

思わず呟いてしまう。
開け放たれた窓からは、初秋の風が、そよそよと吹き込んでいた。

 ゆっくりと体を起こした…その時。
静かに部屋の戸が開いて、氷見が入って来た。

「お目覚めでしたか?」
「うん、今起きた。」

 氷見の手元には、水挿しと薬袋が乗った盆が掲げられている。

「丁度、お薬を御持ちしたところです。お食事になさいませんか?」

そう言えば、お昼御飯を食べ損ねたままだ。
…気付いた途端、猛烈な空腹感に襲われて、はしたなくも腹の虫が悲鳴を上げる。

「今、何時?」

「午後三時半を少し回りました。良くお寝みでしたので、お声を掛けませんでしたが…祐介さまが。」

「祐介が?」
「食事は、毎回必ず摂る様にと。」

 ──そう言って。
作務衣の懐から、例の小冊子を取り出して見せる氷見。

ボクは、思わず吹き出してしまった。

「…祐介らしいね。」
「はい。」

 氷見は含みのある微笑を口元に履いた。

「ちゃんと冊子通りの御膳を用意致しました。主治医様のご指示には従いませんと…私が叱られてしまいます。」

「大変だね、氷見も。」
「これも、務めで御座いますので。」

 …そう言うと。
ボク等は、そっと笑い合った。