「高原奈津美に会うかい?」

突然、祐介が訊いた。

「今ならまだ、会えるよ。」

「…会いたい。」

 反射的にそう答えていた。

氷見は一瞬、何か言い掛けたが…ボクの顔を見て直ぐに口を閉ざした。止めても無駄だと思ったのだろう。

 そうしてボクらは病室を出て、最上階のフロアを目指した。だが…辿り着いてみると、510号室は既に裳抜けの殻だった。

閉ざされていたカーテンも、今は開け放たれている。室内には、穏やかな午後の光が充満していた。

 …眩しい。白い壁に太陽光が反射して、目を開けていられない。ボクは、顔を伏せてゴシゴシと目を擦った。

明るさに目が慣れるのを待ち、ゆっくりと顔を上げる──その時。

信じられない光景が目に飛び込んで来た。

「…奈津美…ちゃん?」

 目の前に、高原奈津美が立っている。
彼女の体は透けて、後ろの壁が見えていた。
何故、死んだ彼女が此処に居るのか。
何故、ボクに彼女の姿が見えるのか。

そんな疑問が一瞬、脳裏を過(ヨギ)ったけれど…彼女の顔を見ていたら、そんな事は、どうでも良くなっていた。

 ──笑っている。
ホッとした様な、安らかな顔で。

…もう、それだけで充分だと思った。
彼女の魂魄が救われた事を、ボクは本能的に覚(シ)る。

 ──すると。
不意に『ありがとう』と、彼女の唇が動いた。

「ボクの方こそ、お礼を言わせて。君のお陰で、色んな事が解ったよ。…有難う。さようなら、奈津美ちゃん。」

 少女は、最後に小さく手を振ってくれた。
そうして。目映い初秋の陽射しの中に、ゆっくりと姿を消したのである。

「気が済んだかい、薙?」
「…うん。」

「じゃあ病室に戻りなさい。少し休んでから帰るんだ。点滴を用意させるよ。帰宅後も、暫くは横になっていなさい。」

「祐介…」

「解ったらサッサと行きなさい。ボクは、此の部屋の浄めをしなくちゃいけないんだ。これも癒者の務めでね。」

「い、忙しいんだね。お疲れ様…」

「そう思うなら、今日はもう面倒は起こさないでくれ。ちゃんと僕の言い付けを守るんだよ?解ったね??」

 何度も念を押してから、祐介は癒者の務めとやらを遂行すべく、また眼鏡を外した。

 そんな彼の邪魔をしない様に──。
ボクは、そっと510号室を後にした。