「終わったよ、薙?」

 遥の穏やかな声がして…ボクは、緩やかに眼を開いた。恐る恐る前を覗き込むと…

「…あれ?」

 あれ程いた筈の《蛇》がいない。
梅の古木も、跡形も無く消えている。

…代わりに。真っ白な和紙の切れ端が、回廊の手前に堆く山を為していた。

 そこへ、またもや微風が吹いて来る。
紙片の山は、まるで砂丘の砂の様に、少しずつ少しずつ飛ばされていった。

 幻想的なその光景を眺めながら、遥は、呆れた様に溜め息を吐く。

「その程度の風じゃ足りないだろう?」

──そう言うと。
彼は、また何事か唱えた。

「オン、バヤベイ、ソワカ!」

パチリと指を鳴らせば、忽ち風が強くなる。真っ白な紙片の山が、空気を孕んで大きく盛り上がった。

「…わ!」

 ボクは、思わず声を挙げる。

小さな白い紙切れ達は、クルクルと螺旋を描きながら、秋の空高く舞い上がった。そのまま、煙の様に融けて消えてしまう。

 ──何とも不思議な現象だった。
夢でも見ている様な心地がする。

 暫し呆然とそれを見送った後で…。

「──ねぇ、遥。」

澄んだ朝の空を見上げながら…ボクは、遥のシャツの袖を引いて訊ねた。

「今のも、鍵爺の式神なの?」

「そうだよ。ゴメンね、気持ち悪いもの見せちゃって。大丈夫?」

心配そうに覗き込む遥に、辛うじて「大丈夫」と答える。

 少し考えてから、ボクは再び彼に訊ねた。

「変な蛇だったね。どうして赤いの?」
「爺ちゃんの血で出来ているからだよ。」
「え!?」

 思わずギョッと見上げてしまう。

「血で…出来ている?」

「うん。今のは、鍵島流呪阻還しと呼ばれる術だよ。式を打つ際、予(アラカジ)め、式札に自分の血液を染み込ませておくんだ。そこへ特殊な祈念を籠めれば、呪詛を破った行者の術力を、即座に跳ね返す事が出来る。謂わば、カウンターアタックだ。爺ちゃんは最初から、それを狙っていたんだよ。」

「…う、怖い。」

「あの人は、いつもそうなんだ。俺がどう出るか、何を考えるかを、ちゃんと予測している。それで今回も、ちゃっかり呪詛返しを仕掛けておいたんだよ。」

「……」

 変態…。
確かに鍵爺は変態だ。

それも、超弩級の大変態だ──!!