心臓の疾患が見つかったのは柚月が小学生のときだった。

国内では15歳未満の脳死臓器提供が可能になったとはいえ、ドナーが少ない。
柚月も医者から心臓移植しか助かる道がないと言われた際には渡米して手術をすることも視野に入れていた。その矢先、運よく国内でドナー提供者が現れ、心臓移植の手術が行えた。
心配された拒絶反応もなく術後も良好で今は運動だってできるくらいに元気だ。

美織が言うように移植をする前の自分と今の自分はどこか違うのかもしれない。
でもそれは臓器提供をしてくれた人、医療従事者、家族や友人といった様々な存在の助けがあったからだ。感謝をもって生きようと思ったからだ。
だから人に優しい自分でありたかったし、できれば周りのみんなが笑っていてほしい。争い事などで傷つく存在もいてほしくなかった。

だから、移植したせいではない。経験を通して考え方が変わっただけだと信じていた。

しかし時折戸惑うのは、見たことのないはずの景色をなぜか懐かしいとか、苦手な生き物が触れるようになったり、明らかに以前とは違う自分を見つけてしまうときだ。
その都度、これは自分の感覚なのかとふと考えてしまう。
だけどそこでやっぱり追及するのをやめる。気のせいだと言いたくなる。美織が悲しむから。

世の中には臓器移植後に柚月が感じたことのあるような違和感を感じている人がいるとは聞いたことがある。
だけどきっとそれは一握りだ。
そんなことあるわけないという気持ちと移植をしたせいでこうなったのかもしれないという二つの大きな感情の中、柚月は生きていた。