「二人とも透子が可愛くないんですか? 絶対に嫌です。透子は戻ってきます。それまで一生……」
「一生は無理だ。私たちの方が先に逝く。あの子を置いて君は逝けるのか」
父の言葉に母は激しく嗚咽しながらガラス窓に縋り付いた。
「あの子はまだ温かいの、生きているの。それを殺すなんて……それに、あの子はドナー登録しているのよ。体を傷つけられるなんて、絶対に嫌!」
「それは違う。透子は死して尚、人様の役に立ち、生きることを望んでいるんだ。誇りに思わなければ」
その言葉にハッとした母はその場に泣き崩れた。
「ごめんなさい。親不孝な娘で」
抱き合う三人を私は抱き締めた。
「透子……?」
霊感のない母がベッドに横たわる私を見る。
「聞こえた。今、あの子が……ごめんねって……」
母は決心すると即実行の人だ。グッと涙を飲むといきなり立ち上がって看護師長に「延命維持装置を外して下さい」と言った。
(これで葵宇宙の妹は助かる)
フワッと体が軽くなり、気付けば葵宇宙の側に立っていた。
「ツキミ、悪い、ちょっとだけ仮眠させて」
「また遅くまで映画見ていたんでしょう?」
妹の嫌味を聞き流すと、葵宇宙は大きな欠伸を一つして目を瞑った。
屋上で偶然彼と出会った。でも、今なら分かる。あれは必然だったと……。
「宇宙君、ありがとう」
高校生になったらいろんなことがしたかった。当然、恋も……。
〈あれっ、君は……君に会ったことがある〉
私の声に答えるように、突然、葵宇宙の思考が心に流れ込んできた。
〈懐かしいなぁ、会いたかったんだ。君は僕の初恋の相手だから〉
初恋? 誰かと勘違いしているの?
ちょっとショックだった。
「お兄ちゃん、何を寝ながら笑ってるの? 不気味」
葵宇宙に視線を向けた妹が肩を竦める。
眠っているのは確かみたいだ。でも、妹の声は彼に届いていないようだ。
〈そうだ、思い出した。名前はトトちゃんだ〉
えっ、と葵宇宙を見つめる。
トトというのは、私の幼い頃の呼び名だった。『とうこ』と発音できず『トト』と言っていたのだ。
それを知っているということは……本当に私は葵宇宙の初恋の相手?
覚えがないがそれが本当ならどんな因果だろう……。
満足そうな笑みを浮かべ、葵宇宙は深い眠りに陥った。
こうなると、もう葵宇宙の思考と交信することはできない。
「宇宙君、さようなら」
たとえ彼の思い違いでも、私が彼の初恋だったら……と思うだけで顔が綻ぶ。
「宇宙君、ありがとう」
キョロキョロと辺りを見回し、私は彼の唇に自分の唇をそっと重ねた。
……これが私のファーストキスだった。
***
ピッピッと機械音が聞こえる。また自室に戻った。
病室周りがバタバタと慌ただしい。
両親と姉は私の枕元で肩を寄せ合い最後の別れを惜しんでいるようだ。
私の声は決して届かないが、大丈夫だよ、と三人に話し掛ける。そして、付け足すように、私ね、キスしちゃった、と告白する。
「見ろ。透子の顔、何て穏やかで綺麗なんだ」
「本当、微笑んでいるみたい」
姉の言葉に母の瞳から涙が溢れ出す。
「お母さん、笑顔で送り出そうって約束したじゃない」
「分かっているけど……」
そういう姉もポロポロ涙を零している。
あっ、光だ。目が眩むほど眩しい。
ん? あれは何? 光の中に何か見える。
目を凝らして見ると……未来?
お姉ちゃんが赤ちゃんを抱いている。
そうか、姉が体調を崩したのは妊娠の予兆だったんだ。
赤ちゃんを囲んで父も母も笑顔だ。
もしかしたら、あの赤ちゃんは私かもしれない。いや、きっとそうだ。
あっ、今度は葵家。
賑やかで楽しそうだ。良かった。妹は拒絶反応も無く元気そうだ。
葵宇宙はモテモテだけど相変わらず女性に無関心みたいだ。
でも私には見える。葵宇宙は生まれかわった私をまた好きになる。そして、私もまた葵宇宙を好きになる。
葵宇宙が十七も離れた花嫁を貰うのはもっとずっと先だけど……待っていてね……。
男の子が廊下の端っこで顔を膝に埋め座っていた。
「ねぇ、なに泣いてるの? どこかいたいの?」
顔を上げた男の子は……世の中で一番綺麗だと思っていた姉より、もっとずっと綺麗だった。
鼻を啜りながら男の子は、「僕ね、疫病神なんだ」と言った。
「やくびょうがみ? それって神様?」
「うん、パソコンで調べたら、悪い事を授ける神様だって」
同じ歳ぐらいなのに、物知りだなぁ、と単純に感心した。
「パソコン、使えるの? むずかしい字もよめるの?」
「使えるよ。漢字も読めるよ」
袖で涙を拭くと、男の子が初めて私の顔を見た。
目と目が会う。私はその瞳に見入った。
涙で濡れた彼の瞳が姉のペンダントよりキラキラしていて、とても綺麗だったからだ。
「君は誰?」
「私はトト」
「僕は宇宙」
泣き顔に笑みが浮かび、その顔があまりに美しくて胸がドキドキした。
「トトちゃんもどこか悪いの?」
「うん。私、弱虫だからすぐお熱が出るの」
そっかぁ、と男の子が私の頭を撫でる。
「でもね、本当の弱虫は自分のことを弱虫って言わないと思うよ。だから、本当はトトちゃんは強い子なんだよ」
まるで魔法にかかったように、そうか私は強いんだ。そう思った。
「そら君は〝やくびょうがみ〟じゃなくて、〝まほうつかい〟だよ。ここをホカホカにしてくれたもん」
「ここって心臓?」
「うん」
男の子は私をじっと見つめ、「魔法使いかぁ」と繰り返し言った。
「ありがとう。僕、疫病神だけど魔法使いになるよ。そして、魔法で悪いことを失くすね」
元気を取り戻したように男の子が満面の笑みを浮かべた。それがとても嬉しかった。
「うん! あのね、トトとお友達になってくれる? 〝まほうつかい〟のお友達ほしかったんだ。」
「友達?」男の子は少し考え、ニッと口角を上げた。
「すっごくいいことを思い付いた」
「何?」
「トトちゃんを僕のお嫁さんにしてあげる」
「おヨメさん?」
お嫁さんという言葉で、親戚のお姉さんが着た綺麗なウエディングドレスを思い出した。
「おひめさまにしてくれるの! うん、宇宙君のおヨメさんになる」
男の子はやっぱり魔法使いだったんだと、私はその時そう思った。
***
(そうか、そうだったんだ)
光の中に入る瞬間、私はその事を思い出した。
私と葵宇宙の出会いは……必然で……運命だったんだ。
~THE END~
孤独を愛する透子は家族との折り合いが悪く疎外感を覚えていた。
超難関校と言われている高校に合格した透子は、入学式の後、屋上で魔法使いになりたいという美しい少年、葵宇宙に出会う。
優秀なのにどこかヘンテコな謎多き彼は、自分のことを疫病神と言い、妹の病気も自分のせいだと責任を感じているようだった。
本当に彼は疫病神なのか? 好奇心に駆られて彼の秘密を探るうちに、透子は宇宙に惹かれている自分に気付く。
しかし、紐解かれた秘密の裏には、悲しい現実が待っていた。
透子は現在、脳死状態で、彼女の心臓は葵宇宙の妹に移植されることになっていたのだ。
延命装置を外したら、やっと分かり合えた家族とも、初めて恋をした葵宇宙ともさよならしなくてはいけない。
透子は悲しく思いながらも、宇宙の代わりに魔法使いになることにした。
だが、それは透子と葵宇宙にとって、新たな未来へと続く一ページでもあった。