血の香りが僅かに香る女は、魔法で作られているとはいえ躊躇なくネズミを踏み潰しこちらに振り返る。

「何か御用かしら?」

 フード付きローブを目深く被っているため見えるのは口元だけだが、どこか妖艶な笑みを見せたまま半歩こちらに歩いた瞬間ゾクリと背筋が凍る。

「アースガントレット ダブルアーム」

 反射的にガントレットを構成し、安定化すると同時に飛び掛ってきた女のダガーが右ガントレットに突き刺さる。

「衛兵詰め所にきてもらう。理由は分かるな」

 動きは早いがこのダガー心臓を一突きにしたとは思えない。あれは刃物ではなく爪によるもの、捕縛しようと左腕でダガーを握る手を掴もうとした瞬間、視界の隅に透明な何かがローブの隙間から光るのが目に入った。
 心臓目掛けて突き出されたそれを左腕のガントレットで受け止め、先ほどの冒険者の心臓を抉った正体が分かった。半透明な氷の爪、一般的なものと形状が異なるが アイスクロー と思われる。ガントレットに食い込んだことで心臓を突き刺されることは逃れたが、躊躇なく引き抜くと顔・腹部・左肩・胸部と狙いを変えて突き出してくる。訓練していないのか予備動作も多く不意打ち以外はガントレットで受け流し、いまだ突き刺さったダガーを握っている腕ごと体勢を崩そうと打ち払う。
 僅かに体勢を崩しながらダガーを捨て距離を取った女はゆっくりとローブを脱ぎ捨てた。ローブの下の真っ赤な髪のロングヘアーは血に塗れ、高価な服装からして商家もしくは貴族がお忍びと言ったところだろうが、新しい玩具を見つけた子供のように、幸せそうな表情を浮かべるその姿は朱に染まっている。

「うふふふ」

 狂気をまったく感じさせない自然な笑顔にゾクリとした感覚が走る。僅かに血が付着した爪をうっとりと眺め、歓喜とは違い快感に浸りきっているその表情は淫猥で危険な美しさをかもし出していた。
 受け流し続けた左腕のガントレットは深い傷が刻まれ、完全ではないが僅かに貫通し血が少し流れている。随分訓練されたモノなのかアイスクローは非常に鋭くアースガントレットよりも魔法の精度は良いようだ。

「大地の精霊 グノーメ。 我は今魔力を捧げ助力を望む者、身を護る土の力に大地の力を貸し与えたまえ」

 青銅色だったガントレットは磨かれた鉄色に変わり、造形も丸みを帯びた単純なものから衝撃や刃をそらし受け流す作りに変化していく。
 魔法には魔方陣を除いて三種の使用方法があるが、無詠唱の発動キーワード無し。無詠唱の発動キーワード有り。詠唱し発動キーワード有りとなる。魔法とはこの世界を構成する何かしらの <存在> に <力を借りる> ことであり、最大限効率を上げ効果を高めるには相手が望む方法や言語で語り掛け、等価交換となる魔力等を渡す事で人では魔法構成不可能な事を行う事が出来る。もちろん精霊だけではなく神々や悪魔や魔物の力を借りる事も出来るのだが、対象の性格や主義や信頼関係ももちろん、相手が望む方法で語り掛け代償を支払えるかどうかが問題だ。
 詠唱は素人向きや無駄だと言う魔導士や魔法使いもいるが、大きな魔力で無理やり従わせる自分勝手な魔法では精霊が自発的に力を使ってくれることはない。なんであれどんな存在が相手でも信頼関係が大事なのだから。

「アースガントレット ダブルアーム エレメント」

 銀色のガントレットは淡く光を放ち少なからず精霊の加護を受けている事が分かる。大地の精霊と親しければさらなる力を持つ可能性もあるのだが、特に何かしているわけでもない現状ではこれが限界だ。
 充分快楽に酔い気分が高揚しているのか、頬を赤く染め光悦とした表情のまま優雅な足取りでこちらに向ってくる。戦士の立ち振る舞いと異なりすぎていつ踏み込んで来るのか読めない。迎え撃てず突き出された爪をガントレットで防ぐと今度は喰いこむ事も無く弾かれる。どうやら水の精霊と対話して作り上げたものではないようだ。引っかくように振るっていた爪がはじかれ、動きが鈍ったところにガントレットが腹部にめり込み弾き飛ばす。いくらか後ろに自ら跳ぶ事で抑えたようだが、少なからず内臓にダメージが通ったのか口元から溢れた血を丁寧にハンカチで拭っている。その表情は楽しそうなままで自分が攻撃を受ける事さえも楽しんでいるようだ。

「素晴らしい才能だな。 他に生かそうとは思わないのか?」

「いやよ。楽しくないもの」

 つまらなそうな表情をするとハンカチをしまい、今度は走ってこちらに向ってくる。どこにも組せず死のやり取りを楽しんでいるだけで勝ち負けにも興味は無いだろう。例え力でねじ伏せても自らが切り刻まれ殺される事を喜ぶだけ、自らの享楽以外関心を示さない。本能的で男のように美学やロマンを殆ど持たない故に取引が可能な可能性が高い人材。
 本能で戦っているのかでたらめに目や首筋など急所ばかり、徐々にだが動きの先が読めてきたことで捕縛するタイミングを計れる。頭部と腹部を狙ってくるタイミングで両腕を掴み、これで武器は封じたがそのまま跳躍すると身を丸める。

「アイススパイク レッグエッジ」

 靴の底に氷の刃が形成、両足を伸ばし胸部目掛け突き出した。足に氷の刃を持たせる魔法は聞いたことない。独自に開発した魔法なのだろうが、接触距離でもない限り無駄なものだが余りにも予想外すぎた。
 とっさに両手を離し体を捻るが右胸部に左足が突き刺さり、顔を狙った右足はガントレットで弾かれたことで突き刺さった左足が引き抜かれ距離が離れる。さすがに体勢を整えられなかったのかそれほど深くは刺さらず、僅かに右肺まで届いた程度で済んだだが軽いものではない。

「ウォーターヒール」

 傷口に薄緑色の液体が纏わりつき、解毒と血の流出を防ぎながら徐々にだが傷を塞いでいく。

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 ウォーターヒール 水属性の中級治癒魔法
 切り傷などに特化した魔法だが、解毒効果もあり傷を綺麗に塞いでくれる。
 便利なのだが即効性が無く、骨折など体内の怪我や重度の損傷には効果は薄い。
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 痛みは治りきるまで残るがこれで出血死と窒息死の可能性は無くなった。このまま一気にしとめるつもりなのか、飛び掛るように眼前に迫っている。身体強化が使えるのにいままで隠していたのだろうが、このタイミングでいきなり使用した上、空中では体制の変更がしにくいのに飛び掛るなど想定外だ。
 ガントレットで両爪を受け止めるが、まだ傷が完全にふさがっておらず右胸から血が流れ出す。その様子を見て心底楽しそうな笑みを浮かべ、今度はガントレットを掴み頭部を蹴りつけるように跳躍し離れた。訓練されてはいない無駄が多い本能的な動き、それ故にセオリーが無く先が全く読めない。やっかいな相手だが、殺すのも捕らえて衛兵に突き出すのが心底惜しくなってきた。

「アイスソード ワンハンド」

 身体強化を7割まで使用。さすがに強化しないでもなんとか対処できただけにすべてが遅く、両腕の腱を断ち切り太ももにアイスソードを貫通させる。動けなくなりその場に座り込んだのだが、血まみれでも幸せそうな表情は変わっておらず、戦いというか殺すという物事に関して適正がありすぎるのだろう。命さえあれば噛み付いてきそうだ。

「筋を絶ってある。 身動きは取れないだろう」

 状態を説明しても、ただ楽しそうにこちらを見ながらどうやって殺そうかと考えているようだ。何よりもその目は血に飢えているように見える。

「取引しよう。断るなら君にとって一番つまらないはずの衛兵に生かしたまま突き出す」

 何も答えてはいないが、表情に変化があった。笑顔が無くなりこちらの意図を深く読むつもりなのか、こちらを見定めるようにじっと見ていた表情が少し和らぎ何かを決めたようだ。

「取引内容によっては受けてもいいわ」

 そろそろ出血死しかねないと判断してアイスソードを消し、ウォーターヒールで傷を癒しながら取引内容を話すと厄介なものだった。

 彼女の名はサーシャ・サターナ。タイレル・トイス・メア・ヴァイカウント・サターナ、王都に住む領地を持たない子爵の次女。家柄として騎士ではなく文官など公務を執り行う家らしい。
 1.依頼を受ける代わりに襲ってきた相手は事情がない限り好きに殺してよい
 2.半年後ランドルフ伯爵家に嫁ぐ事になりかねない件をどうにかする
 3.無差別な殺しを止めさせたいなら定期的に相手を用意するか、自ら相手をする


 領地持ちの貴族達とは立場が全く異なり、王宮に仕える騎士団や文官など公務を行う貴族。そのような立場にある子爵の次女ならば、権力争いの道具として嫁ぐなどよくあることだ。綺麗で美しい娘ならば年上だろうが老人となっていようが第二婦人や第三婦人として嫁がせ、自らの地位を安定させたりコネクションを持とうとする女性にとっては最悪な環境。子爵や男爵などの下級貴族と言われる立場なら、最悪何かしらの優遇と引き換えに女好きの侯爵や伯爵に嫁がせる事だってあるだろう。
 相手側はランドルフ家、伯爵だが騎士として名のある家柄。手出しや口出ししてどうにかできる相手ではないが、家柄がしっかりしている故に婚姻を回避する方法はある。

「かなり手間な手順を追うか、もしくは」

 まだ傷が完全に塞がっていないのに、足が動くようになると突然立ち上がり首に噛み付かれた。皮膚が千切れ血が流れ出し、それと同時に舐め取られている感覚があるが、飲む音は聞こえない。
 引き剥がそうと体に触れたがそれ以上動くことは無く、確認してみると傷が開いた痛みと大量の出血で意識を失ってしまったようだ。噛み付いたままなのは執念というべきか。本当に惜しい存在だが、口説き落とすには手間取りそうだ。
 何をするにしても一旦この殺人鬼を家に帰すために途中だった怪我の治療を終わらせ、血まみれをどうにかしないといけない。氷の鋭い刃で負った傷は切り口に一切の汚れも潰れも無く、水属性の治癒魔法 ウォーターヒールで簡単に癒すことは出来た。残るは血の汚れだが、余りやりたくはないが洗浄魔法を使うしかない。

「清浄なる水の流れよ。 澱みを流し去り穢れを取り去り給え。 プリュシス」

  ブリュシス----------
 ダンジョンや冒険中に使用する身に付着した穢れや血や汗等の汚れを洗い流す基本的な魔法。
 確かに綺麗にはなるのだが、ダンジョンで態々限られた魔法を身奇麗にする為に使うことは殆どなく、大抵毒や酸などを受けた時に身を護る為に使う。
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 一瞬水が現れると全身を覆い、全身と服の汚れが落ち一応綺麗にはなる。問題は召還された水が消滅するまでの10秒間程度はびしょぬれになるという欠点があること、そして綺麗にはなるのだが洗ったりしたものと比べると若干服などの着心地が悪くなることだ。
 気絶したまま抱きかかえてギルドまで運び、隣接して設置されている24時間開かれているギルド専任馬車屋に運んでいく。その辺の馬車屋なら夜間に女性一人は少々危険だが、ギルドが責任を持って管理をしている専任馬車屋、賞金首にでもなりたいのなら話は別だが問題が起こることは滅多にない。金銭を支払ってサターナ家のまで依頼を行い一旦はこれで終わりだ。貴族の家は門番が常に居るので問題はない。
 再び警邏を再開し、何事も無く日が開けたことで早朝勤務の衛兵と引継ぎを行い無事依頼を完了した。他の地区でも喧嘩などで数名の死亡者が出たようだが、貴族や兵士の関係者でない限り誰が殺されようと大した問題にはならない。殺された冒険者も場所が貧民街との境だった為通常の事故として処理され話にさえ上がらなかったようだ。
 無事ランクCに昇格し冒険者カードの更新が行われた。これで条件によってはBランクの依頼を受けれるし、少々難しい討伐や排除依頼も受ける事が出来るようになることができた。