「はじめまして。小林明と申します」
玄関先で頭を下げる僕に対し、二人の親子も同様に頭を下げた。
「よろしくお願いします。新田愛華の母です。こちらが娘の愛華です。正直、家庭教師をお願いするのも久しぶりで、わからないことも多いですが、何卒愛華をよろしくお願いします」
母親の方は心配そうな視線をこちらに向けるが、僕は笑顔で返した。隣にいる女の子は、制服姿のままこちらを見ていたが、僕が目を合わせると、すぐに俯いてしまった。
僕は林道さんと高藤さんの力添えをもらい、家庭教師のアルバイトを始めることとなった。初めの頃は緊張で上手く接することが出来ない点もあったが、教えること自体は自分の性に合っているらしく、生徒の学力向上に一助を担うことができ、それなりの評価を頂戴している。
そして、今日は僕としては二人目の生徒となる新田愛華さんの御宅へと馳せ参じたわけである。
「そうなんですか。僕も家庭教師の仕事を始めたばかりで、御無礼があるかもしれません。何卒御容赦をお願いします」
簡単な世間話に花を咲かせながら、僕は玄関からリビングへと進められた。リビングのテーブルを使い、カリキュラムの話を簡単に行なう。新田愛華さんは高校二年生ということで、国数英の三教科を週二日の二時間程度で教えてもらいたい、とのことだ。受験対策、というのももちろんあるが、まずは勉強をしっかりさせてあげて欲しい、と母親は僕に語ってくれた。まだバイトを初めて経験の浅い僕だが、今回は塾長から直々に、「小林くんに行ってもらいたいのだが」と依頼を受けたので、かなり緊張して新田さんの家に向かったわけだが、別に素行の悪さなど皆無であるし、特に扱いづらい生徒、というわけではないように見えた。まあ、一応経緯や彼女についての情報は事前に上司から話を聞いており、僕に白羽の矢が立った理由も理解はしているつもりだ。そんな込み入った話は彼女の前ではするはずもなく、カリキュラムの説明をしたところで、僕は新田愛華さんの部屋へと案内してもらった。
「じゃあ、まずはどれだけの学力があるのかを確認したいので、簡単なテストを行ってもらいます」
僕はA4サイズのプリントを一枚鞄から取り出し、新田愛華さんに渡した。
新田さんは、挨拶の時からほとんど口を開いておらず、他人の存在に怯えているのか、少し俯き気味にずっと僕と目を合わせようとしない。黒髪は肩まで伸び、いわゆるショートカットと呼ばれる類の髪型だろうか。桜に近いピンク色の縁メガネを掛けた可愛らしい少女ではあるが、前髪が瞼にまでかかっているせいで、表情が上手く読み取れない。
「──緊張してる……かな」
僕も人見知りの性格なので、他人と話すのには勇気がいる。だから彼女の気持ちは痛いほど良くわかった。無理して話すのは返って逆効果だ。静かに待つことにして、相手の出方を窺うことにしようと、彼女の後ろに下がる。
静かな空間のため、カリカリと鉛筆の音が微かに僕の耳にも届いた。
三十分ほど経つと、新田愛華さんは鉛筆を置いた。僕はそれを見計らって、次のプリントを渡す。それを二回繰り返した。最後のプリントが終わると、彼女の肩がゆっくりと落ち、緊張が少し解けたのがこちらからも見て取れた。
「お疲れ様です」
僕はそう言ってプリントを受け取った。彼女には休憩をとってもらうため、一旦部屋を出てもらい、速やかに採点へと移る。
採点してみるとわかったことがある。
それは彼女の学力は平均以上に高い、ということだ。これなら普通の大学なら問題なく受かるレベルにあると思われる。少しだけ受験の要点などを教えれば、ワンランク上の大学だって夢ではないだろう。
ここまでの学力をほぼ独学で手に入れたとなると、すごい努力したのだろうな、と感心するばかりだ。
僕は彼女を呼んだ。心配そうな顔で部屋に入った彼女に椅子へ座ってもらい、今回のテストの結果を述べる。
「結果はご覧の通りです。大変よくできてるね。これなら勉強の方は楽して稼げそうだから良かったよ」
軽口を叩いてみたが、まるで反応はない。僕はぽんぽんと彼女の肩を叩く。新田さんの顔が少しだけ上がるのを確認すると、無理やり彼女の顎を持ち上げた。初対面の相手に不愉快だろうがコミュニケーションをとる上では仕方がない。ようやく彼女と目が合ったところで、僕は彼女の目を見てゆっくりと少しだけボリュームを上げて話をする。
「ようやく目が合ったね。新田愛華さん。これなら僕の口元も見えるし、何を言っているかはわかるんじゃないかな」
「──……はい」
新田さんは、小さくだが、確かに首を縦に振った。
「もし、上手く聞き取れる自信が無いのなら、これも付けるから安心して話してくれればいい」
そう言って僕は、腕や手を細かく動かしながら、彼女に見せる──そう、手話を添えて。
「大丈夫。耳が不自由でも、この世界は自由だよ。僕が保証する」
玄関先で頭を下げる僕に対し、二人の親子も同様に頭を下げた。
「よろしくお願いします。新田愛華の母です。こちらが娘の愛華です。正直、家庭教師をお願いするのも久しぶりで、わからないことも多いですが、何卒愛華をよろしくお願いします」
母親の方は心配そうな視線をこちらに向けるが、僕は笑顔で返した。隣にいる女の子は、制服姿のままこちらを見ていたが、僕が目を合わせると、すぐに俯いてしまった。
僕は林道さんと高藤さんの力添えをもらい、家庭教師のアルバイトを始めることとなった。初めの頃は緊張で上手く接することが出来ない点もあったが、教えること自体は自分の性に合っているらしく、生徒の学力向上に一助を担うことができ、それなりの評価を頂戴している。
そして、今日は僕としては二人目の生徒となる新田愛華さんの御宅へと馳せ参じたわけである。
「そうなんですか。僕も家庭教師の仕事を始めたばかりで、御無礼があるかもしれません。何卒御容赦をお願いします」
簡単な世間話に花を咲かせながら、僕は玄関からリビングへと進められた。リビングのテーブルを使い、カリキュラムの話を簡単に行なう。新田愛華さんは高校二年生ということで、国数英の三教科を週二日の二時間程度で教えてもらいたい、とのことだ。受験対策、というのももちろんあるが、まずは勉強をしっかりさせてあげて欲しい、と母親は僕に語ってくれた。まだバイトを初めて経験の浅い僕だが、今回は塾長から直々に、「小林くんに行ってもらいたいのだが」と依頼を受けたので、かなり緊張して新田さんの家に向かったわけだが、別に素行の悪さなど皆無であるし、特に扱いづらい生徒、というわけではないように見えた。まあ、一応経緯や彼女についての情報は事前に上司から話を聞いており、僕に白羽の矢が立った理由も理解はしているつもりだ。そんな込み入った話は彼女の前ではするはずもなく、カリキュラムの説明をしたところで、僕は新田愛華さんの部屋へと案内してもらった。
「じゃあ、まずはどれだけの学力があるのかを確認したいので、簡単なテストを行ってもらいます」
僕はA4サイズのプリントを一枚鞄から取り出し、新田愛華さんに渡した。
新田さんは、挨拶の時からほとんど口を開いておらず、他人の存在に怯えているのか、少し俯き気味にずっと僕と目を合わせようとしない。黒髪は肩まで伸び、いわゆるショートカットと呼ばれる類の髪型だろうか。桜に近いピンク色の縁メガネを掛けた可愛らしい少女ではあるが、前髪が瞼にまでかかっているせいで、表情が上手く読み取れない。
「──緊張してる……かな」
僕も人見知りの性格なので、他人と話すのには勇気がいる。だから彼女の気持ちは痛いほど良くわかった。無理して話すのは返って逆効果だ。静かに待つことにして、相手の出方を窺うことにしようと、彼女の後ろに下がる。
静かな空間のため、カリカリと鉛筆の音が微かに僕の耳にも届いた。
三十分ほど経つと、新田愛華さんは鉛筆を置いた。僕はそれを見計らって、次のプリントを渡す。それを二回繰り返した。最後のプリントが終わると、彼女の肩がゆっくりと落ち、緊張が少し解けたのがこちらからも見て取れた。
「お疲れ様です」
僕はそう言ってプリントを受け取った。彼女には休憩をとってもらうため、一旦部屋を出てもらい、速やかに採点へと移る。
採点してみるとわかったことがある。
それは彼女の学力は平均以上に高い、ということだ。これなら普通の大学なら問題なく受かるレベルにあると思われる。少しだけ受験の要点などを教えれば、ワンランク上の大学だって夢ではないだろう。
ここまでの学力をほぼ独学で手に入れたとなると、すごい努力したのだろうな、と感心するばかりだ。
僕は彼女を呼んだ。心配そうな顔で部屋に入った彼女に椅子へ座ってもらい、今回のテストの結果を述べる。
「結果はご覧の通りです。大変よくできてるね。これなら勉強の方は楽して稼げそうだから良かったよ」
軽口を叩いてみたが、まるで反応はない。僕はぽんぽんと彼女の肩を叩く。新田さんの顔が少しだけ上がるのを確認すると、無理やり彼女の顎を持ち上げた。初対面の相手に不愉快だろうがコミュニケーションをとる上では仕方がない。ようやく彼女と目が合ったところで、僕は彼女の目を見てゆっくりと少しだけボリュームを上げて話をする。
「ようやく目が合ったね。新田愛華さん。これなら僕の口元も見えるし、何を言っているかはわかるんじゃないかな」
「──……はい」
新田さんは、小さくだが、確かに首を縦に振った。
「もし、上手く聞き取れる自信が無いのなら、これも付けるから安心して話してくれればいい」
そう言って僕は、腕や手を細かく動かしながら、彼女に見せる──そう、手話を添えて。
「大丈夫。耳が不自由でも、この世界は自由だよ。僕が保証する」