「──子供がさ、好きなんだよ」
ぼそぼそと語る林道さんは、顔を赤らめながら恥ずかしそうに小さくなっていた。
林道さんは教師を目指し、教育学部の大学へ現役で入学し、教員免許も取った。そこまでは両親も安心して我が子の将来を見守っていたらしい。しかし、歯車が狂い始めたのは大学三年のとき、出会ったバンドから始まっている。そのバンドは林道さんと同じ大学の生徒で構成され、洋楽を中心としたコピーバンドを行っていた。そこに林道さんがスカウトされる形でバンドに加入することとなる。担当はしかもボーカルである。そのバンドで元々ボーカルだった人物というのが──……。
「……──俺だったんだよなあ」
高藤さんが手を挙げて、ひらひらと振った。
高藤さんと林道さんは大学構内で知り合い、意気投合した。元々林道さんも趣味程度でギターを齧っており、高藤さんのバンドのライブに度々顔を出したり、練習に付き合ったりしていたこともあって、バンド全体としても受け入れは万全だった。
誤算があるとすれば、林道さんの入れ込みように尽きる。
彼は練習に励み、バンドから見れば、勤勉なメンバーの一人であった。しかし、彼らの本業である勉学がその分を差し引いて見るからに疎かへとなっていった。ともあれ、教員免許は辛うじて取得もできた林道さんだが、残念ながらそのまま学校の教師に就職することは叶わず、塾講師やライブハウスのバイトで食いつなぐ生活を余儀なくされた。それでもバンドを辞めない彼を見かねた両親の堪忍袋の緒が切れるのは当然の摂理である。
しかし、林道さんも音楽活動でずっと食っていこうと思っていた訳では無い。独りよがりな物言いで勘違いされやすい性格のため、友人と呼べる付き合いが乏しかった彼にとって、唯一の居場所だったものを無くしたくない、その一心だったのだ。だからこそバンドが解散しても音楽はずっと続けていた。そうすればまた居場所ができると信じて疑わなかったから。そんななか、バンドが解散しても付き合いを続けている高藤さんがいて、僕と出会うこととなる。林道さんには悪いが、僕にとっての音楽はあの路上ライブで死に物狂いで歌っていた林道さんから始まっている。第三者からすれば、どうでもいいよくある日常の一枚に過ぎないが、僕らにとってはかけがえのない一枚なのだ。
そして、林道さんはその音楽を通じて一人のファンと出会う。それが彼をまた教育の場へと心を向かわせるきっかけとなったらしい。
僕はそれを聞いた時、林道さんのライブハウス初ライブの様子を思い返した。あの空間のどこかにそのファンの方はいたのかもしれない。
それから林道さんの努力の甲斐あって、非常勤講師の職に就くことが出来た。そして、此度非常勤講師から教員採用試験に合格し、教師としての第一歩を踏み出したのである。
「なおさらご両親に報告するべきだと思うんですけど」
高藤さんも「そう思うだろう」と同意する。
「俺もずっとそれを言っているんだ。大きい舞台での演奏はともかく、教師への就職は、両親にとって一番の孝行話じゃあないか。それを聞かされるだけでも、音楽活動に関してはかなり友好的な回答を得られるものだと思うしな。だけど、林道自身がそれを望まないと言っている。あくまでも二つの約束事が達成するまでは、両親に黙っていると聞かないんだ。そこまで頑固になる必要性が俺にはわからない」
高藤さんは首を傾げるが、林道さんの頑なな様子をみて、少しだけその意味がわかるような気がした。
林道さんは恐らく、両親に許してもらいたいわけではない。
林道さんはただ、両親に認めてもらいたいだけなのだろう。
言っている意味合いは同じでもその本質はまるで違う。
こればかりは両親の期待を一度でも裏切ってしまった者にしかわかることは恐らく無い。
「ならば、林道さんは少しでも早くご両親に報告出来るように頑張るしかありませんね」
突然の寝返りに流石の林道さんも動揺したらしく、「お、おう」と言葉を詰まらせた。
「僕も林道さんと同じように両親に心配ばかりかけている身なので、林道さんの気持ちがわかっているつもりです」
「まあ、小林の心配と林道の心配とは質が違う気もするけどな。小林の両親の想いを心配とするならば、林道のそれは呆れや侮蔑に属するだろう」
高藤さんの方が珍しく酔っ払っているようで、冗談を口にしながらけたけたと笑っている。
「小林は何か両親への想いをぶつける機会とかあるのか」
林道さんは柄にもなく、心配そうな言葉を並べるが、僕は首を振った。
「何にもです。何をしたらいいかもわからないし、僕に何が出来るのかもわからないので」
「出来ることなんて山ほどあるだろう。俺たちにだってやることで溢れているんだ。小林にだって同じだよ」
僕と林道さんや高藤さんとは明らかに違う人種だ。それなのに、僕のことを同じだと言ってくれる。普通に聞けば、気遣いから言ってくれているとしか思えないし、下手すれば嫌味にしか聞こえない。だが、林道さんの裏表の無いまっすぐな性格にはそれが無いから心地よい。彼らの目を見ればそれが本心であることなどすぐに理解できた。
「じゃあ、まずは小林も手に職をつけるところから始めるか」
林道さんは手を叩き、僕の反応を待たずに立ち上がる。
そうして、僕の職探しは林道さんを仲介役として幕を開けたのである。
林道さんは高藤さんが揶揄するように自分でも友人が少ないと思い込んでいるわけだが、実際のところ顔はかなり広い部類に入るのではないか、と思う。恐らく高藤さんが以前に言っていた自分の殻を破らないところに他のみんなもあえて距離をとっているのではないかと僕は勘ぐっている。
その証拠に林道さんは僕に多くの職を提案してくれたし、自分の人脈を使って話を聞いてくれた。その時の彼らは決して林道さんを邪見にすることもせず、僕自身も彼のことならと話自体は聞いてくれた。
「……なのに、なんで上手くいかないんだろうなあ」
「まあ、簡単に仕事なんて見つかれば、このご時世に就職難なんて言葉は生まれていませんし」
「ところで小林は将来の夢とかは何かあるのか?」
唐突に質問を投げられた僕は言葉を詰まらせた。
「ううん……そうですねえ」
改めて考えると僕の夢は何なのか。久しくそんなことを考えることを諦めていたことに気付かされる。
「別に今じゃなくて、以前に抱いていた夢とか無いのか」
「ああ、それなら……」
僕はそこで言葉を切った。なんとなくあの時の林道さんの気持ちがわかる気がする。
「林道さんの夢に近いですね──僕も教育者を夢見ていたことはありますよ」
はは、と乾いた笑い声を林道さんに向けるが、林道さんは笑わなかった。
大学は一流とまでは行かないが、勉学に励み、地元では有数の名門と呼ばれる大学を卒業している。まあ今となってはそんなもの無意味だと僕は思っていた。
「何だよー。早くそれを言えよー」
仕方ないなあ、とため息を吐きながら、スマートフォンを取り出し、誰かに電話を掛ける。その相手は高藤さんだった。
「もしもし、高藤か──」
林道さんは高藤さんと電話越しに二言三言言葉を交わすと、電話を切った。
「あいつの知り合いに小林に適した仕事をしている奴がいたもんでな。まあ小林はいい声をしているし、大人数と接するより、一対一の方がやりやすいんじゃないか」
僕にはもうなれないと一度は諦めた夢を僕はもう一度夢見てもいいのだろうか。
一抹の不安が過るなか、僕の人生の歯車は再び動き始めることとなった。
ぼそぼそと語る林道さんは、顔を赤らめながら恥ずかしそうに小さくなっていた。
林道さんは教師を目指し、教育学部の大学へ現役で入学し、教員免許も取った。そこまでは両親も安心して我が子の将来を見守っていたらしい。しかし、歯車が狂い始めたのは大学三年のとき、出会ったバンドから始まっている。そのバンドは林道さんと同じ大学の生徒で構成され、洋楽を中心としたコピーバンドを行っていた。そこに林道さんがスカウトされる形でバンドに加入することとなる。担当はしかもボーカルである。そのバンドで元々ボーカルだった人物というのが──……。
「……──俺だったんだよなあ」
高藤さんが手を挙げて、ひらひらと振った。
高藤さんと林道さんは大学構内で知り合い、意気投合した。元々林道さんも趣味程度でギターを齧っており、高藤さんのバンドのライブに度々顔を出したり、練習に付き合ったりしていたこともあって、バンド全体としても受け入れは万全だった。
誤算があるとすれば、林道さんの入れ込みように尽きる。
彼は練習に励み、バンドから見れば、勤勉なメンバーの一人であった。しかし、彼らの本業である勉学がその分を差し引いて見るからに疎かへとなっていった。ともあれ、教員免許は辛うじて取得もできた林道さんだが、残念ながらそのまま学校の教師に就職することは叶わず、塾講師やライブハウスのバイトで食いつなぐ生活を余儀なくされた。それでもバンドを辞めない彼を見かねた両親の堪忍袋の緒が切れるのは当然の摂理である。
しかし、林道さんも音楽活動でずっと食っていこうと思っていた訳では無い。独りよがりな物言いで勘違いされやすい性格のため、友人と呼べる付き合いが乏しかった彼にとって、唯一の居場所だったものを無くしたくない、その一心だったのだ。だからこそバンドが解散しても音楽はずっと続けていた。そうすればまた居場所ができると信じて疑わなかったから。そんななか、バンドが解散しても付き合いを続けている高藤さんがいて、僕と出会うこととなる。林道さんには悪いが、僕にとっての音楽はあの路上ライブで死に物狂いで歌っていた林道さんから始まっている。第三者からすれば、どうでもいいよくある日常の一枚に過ぎないが、僕らにとってはかけがえのない一枚なのだ。
そして、林道さんはその音楽を通じて一人のファンと出会う。それが彼をまた教育の場へと心を向かわせるきっかけとなったらしい。
僕はそれを聞いた時、林道さんのライブハウス初ライブの様子を思い返した。あの空間のどこかにそのファンの方はいたのかもしれない。
それから林道さんの努力の甲斐あって、非常勤講師の職に就くことが出来た。そして、此度非常勤講師から教員採用試験に合格し、教師としての第一歩を踏み出したのである。
「なおさらご両親に報告するべきだと思うんですけど」
高藤さんも「そう思うだろう」と同意する。
「俺もずっとそれを言っているんだ。大きい舞台での演奏はともかく、教師への就職は、両親にとって一番の孝行話じゃあないか。それを聞かされるだけでも、音楽活動に関してはかなり友好的な回答を得られるものだと思うしな。だけど、林道自身がそれを望まないと言っている。あくまでも二つの約束事が達成するまでは、両親に黙っていると聞かないんだ。そこまで頑固になる必要性が俺にはわからない」
高藤さんは首を傾げるが、林道さんの頑なな様子をみて、少しだけその意味がわかるような気がした。
林道さんは恐らく、両親に許してもらいたいわけではない。
林道さんはただ、両親に認めてもらいたいだけなのだろう。
言っている意味合いは同じでもその本質はまるで違う。
こればかりは両親の期待を一度でも裏切ってしまった者にしかわかることは恐らく無い。
「ならば、林道さんは少しでも早くご両親に報告出来るように頑張るしかありませんね」
突然の寝返りに流石の林道さんも動揺したらしく、「お、おう」と言葉を詰まらせた。
「僕も林道さんと同じように両親に心配ばかりかけている身なので、林道さんの気持ちがわかっているつもりです」
「まあ、小林の心配と林道の心配とは質が違う気もするけどな。小林の両親の想いを心配とするならば、林道のそれは呆れや侮蔑に属するだろう」
高藤さんの方が珍しく酔っ払っているようで、冗談を口にしながらけたけたと笑っている。
「小林は何か両親への想いをぶつける機会とかあるのか」
林道さんは柄にもなく、心配そうな言葉を並べるが、僕は首を振った。
「何にもです。何をしたらいいかもわからないし、僕に何が出来るのかもわからないので」
「出来ることなんて山ほどあるだろう。俺たちにだってやることで溢れているんだ。小林にだって同じだよ」
僕と林道さんや高藤さんとは明らかに違う人種だ。それなのに、僕のことを同じだと言ってくれる。普通に聞けば、気遣いから言ってくれているとしか思えないし、下手すれば嫌味にしか聞こえない。だが、林道さんの裏表の無いまっすぐな性格にはそれが無いから心地よい。彼らの目を見ればそれが本心であることなどすぐに理解できた。
「じゃあ、まずは小林も手に職をつけるところから始めるか」
林道さんは手を叩き、僕の反応を待たずに立ち上がる。
そうして、僕の職探しは林道さんを仲介役として幕を開けたのである。
林道さんは高藤さんが揶揄するように自分でも友人が少ないと思い込んでいるわけだが、実際のところ顔はかなり広い部類に入るのではないか、と思う。恐らく高藤さんが以前に言っていた自分の殻を破らないところに他のみんなもあえて距離をとっているのではないかと僕は勘ぐっている。
その証拠に林道さんは僕に多くの職を提案してくれたし、自分の人脈を使って話を聞いてくれた。その時の彼らは決して林道さんを邪見にすることもせず、僕自身も彼のことならと話自体は聞いてくれた。
「……なのに、なんで上手くいかないんだろうなあ」
「まあ、簡単に仕事なんて見つかれば、このご時世に就職難なんて言葉は生まれていませんし」
「ところで小林は将来の夢とかは何かあるのか?」
唐突に質問を投げられた僕は言葉を詰まらせた。
「ううん……そうですねえ」
改めて考えると僕の夢は何なのか。久しくそんなことを考えることを諦めていたことに気付かされる。
「別に今じゃなくて、以前に抱いていた夢とか無いのか」
「ああ、それなら……」
僕はそこで言葉を切った。なんとなくあの時の林道さんの気持ちがわかる気がする。
「林道さんの夢に近いですね──僕も教育者を夢見ていたことはありますよ」
はは、と乾いた笑い声を林道さんに向けるが、林道さんは笑わなかった。
大学は一流とまでは行かないが、勉学に励み、地元では有数の名門と呼ばれる大学を卒業している。まあ今となってはそんなもの無意味だと僕は思っていた。
「何だよー。早くそれを言えよー」
仕方ないなあ、とため息を吐きながら、スマートフォンを取り出し、誰かに電話を掛ける。その相手は高藤さんだった。
「もしもし、高藤か──」
林道さんは高藤さんと電話越しに二言三言言葉を交わすと、電話を切った。
「あいつの知り合いに小林に適した仕事をしている奴がいたもんでな。まあ小林はいい声をしているし、大人数と接するより、一対一の方がやりやすいんじゃないか」
僕にはもうなれないと一度は諦めた夢を僕はもう一度夢見てもいいのだろうか。
一抹の不安が過るなか、僕の人生の歯車は再び動き始めることとなった。