「明、最近出歩くようになったけど、どうしたの?」
 自宅から出るとき、母に呼び止められた僕はため息を吐いた。
「何でもいいだろう」
 短く答えるが、母は決して折れることなく、質問を続けた。
「別に出歩いていること自体はうれしいのよ。だけど、せめて、用件くらい伝えてくれないと、心配じゃない」
 手を忙しなく動かしながら、泣きそうな顔で話す母に僕はとんと嫌気が差す。
「うるさいなあ。引き篭もっていた時は、いろんなところへ出かけなさいって言っていたくせに、出歩くようになったら、今度はどこに行くか説明をしろって、もう子供じゃあないんだから」
 僕は二十七歳にもなって、未だに実家ぐらしを続けている。しかし、それは仕方の無いことだ。だって、僕の両親が独り暮らしをずっと拒み続けているのだから。
 ただ、両親が過保護なのかといえば、そういうものではない。どちらかといえば、過保護にならざるを得なかった、というのが正しい表現だろうか。それにかくいう僕に非がないわけではない。両親の気持ちは僕なりによくわかっているつもりだ。
 僕はつい最近まで引き篭もりの生活を送っていた。最近というのは、林道さんとは出会うまでの話だ。引き篭もりといっても、母がとやかくうるさいので、なんの目的もなく、ただぼんやりと電車から窓の外を眺めるだけの時間を過ごし、誰とも喋らず触れ合わず、黙って実家に帰る往復である。あの頃の僕は鬱屈した様子で、ただぼんやりと外を出ていた。
 目的のない散歩は言うなれば徘徊に近い。警察に職務質問を受けることも度々あった。その都度、事情を説明をすれば、同情する者や発破をかける者と反応は様々だったが、それもまた面倒事のひとつだった。
 そんなハンデを抱えた僕を両親が簡単に手放すこともないわけで、その時の延長線上で両親は僕を常に守ろうとしてくれている。
 僕だって決して両親が嫌いなわけではない。感謝もしているし、だからこそ早く自立せねば、とも思っている。
 それなのに、僕の母はなかなか僕から目が離せないらしく、毎日のように僕の一日の動きを把握しようとする。
 そうさせたのは僕のせいとはいえ、何とも面倒なことだ。
「とにかく行ってくるよ」
 僕は母の反応を待たずに逃げるように家を後にした。
 僕と林道さんが出会ってから一年の月日が流れ、母が言うように僕の生活は確かに変わった。一番大きく変わった点はといえば、仕事に就いたことだ。ようやくと言うべきか、なんとかと言うべきか、兎にも角にも自分で少しずつ稼ぐことが出来ている。
 ただ、まだ両親には内緒にしている。理由は幾つかあるけれども、主に自己満足だった。自分でしっかり地に足をつけて生活ができることを両親に見せてあげたい。そんな想いで仕事を始めたわけだが、今までどれだけ自分が甘やかされて育ってきたかを痛感し、感謝が生まれた。だからこそ、自分の稼いだお金で、親に何かをプレゼントしたい。そう思うようになった。
 親にはでかい態度をとっていたくせに、恩返しとは矛盾していることだが、本音と建て前という言葉があるように、言葉と心情が常に同一とは限らないのは、何も僕だけではないだろう。唯一例外があるとすれば、常に思ったことを口にできる林道さんくらいなものだろうか。