「今日は俺たち『Ring-Ring』のライブに来てくれてありがとう。最後までしっかり心を共に震わせてくれ」
 高藤さんはマイクに顔を近づけながら、ボリュームを徐々に上げてシャウトした。高藤さんのそれをきっかけに、ギターの音が鳴り響く。補聴器の調子がよく、僕の耳にもよく届いた。
 隣で聴いていた新田さんもリズムに乗って身体を上下に揺らしている。
 林道さんの葬儀から一年の月日が流れ、今日は高藤さんのバンドがライブハウス『BUMP』で行なう初ライブだった。
「こんな素敵なライブに招待してくれてありがとうございます」
 新田さんは間奏で場が落ち着いた時に、僕の顔を見て言った。
「そんなことはいいよ。今日は君の卒業祝いでもあるんだから」
 僕は彼女の頭をぽん、と叩き、口元だけ動かして「おめでとう」と伝える。
「それに今日、僕が呼んだのは君だけではないしね」
 そう言うと、彼女はふくれっ面をしてみせたが、慣れていないせいか、すぐに吹き出した。
 このライブには新田さんの他に、僕が招いた客がいる。
 林道さんのご両親と──僕の親だった。
「こんな所に来て、本当に大丈夫なの?」
 しきり僕にそう話しかける母親に、僕は「大丈夫だよ」と何度も告げる。
「あのさあ、彼女も見ているんだから、あんまり心配するのやめてくれないか」
 母親は「あら、ごめんなさい」と素直に謝り、「それにしても、すごいわね。私まで若返っちゃいそう」とはしゃぐ方に切り替えたようだ。
「まだゲストもいるらしいですよ」
 新田さんは母親にそっと耳打ちする。
 あらそうなの、ときゃっきゃする様子は母娘のそれに見えて微笑ましく思った。
 隣で静かに鑑賞している林道さんのご両親も、表情はどこか柔らかかった。林道さんの一周忌ということもあって、ライブに招待したのだが、呼んでよかった、と思うように務めている。どれが正解なんてわからない。僕らは僕らが正しい、と思うことしか出来ないのだ。林道さんがずっとそうしていたように。
 ライブは滞りなく進み、早くも一時間が過ぎたようだったた。高藤さんの前情報からすれば、あと二曲で終わるはずだ。そろそろか、と僕は新田さんらを残して、その場から離れる。母親はライブに熱中していてまったく気付いていないようだった。
 客席を出て、通路を足早に歩いていく。
「さあ、ラストの曲になったわけですが、次の曲はもう一人メンバーを加えたいと思います。今は亡き友人に捧げる曲の演奏に俺の親友が演奏をサポートしてくれます」
 客席がしん、と静まり返る。そして、ステージに現れたギターを抱える僕の姿を見るなり、ファンの方々の暖かい歓声がどっと響いた。
 初めてギターを持った日のことを思い出す。
 葬儀のあと、林道さんのご両親から、ギターを渡された時は、まさかこんな日が来るなんて思いもしなかっただろう。
「私たちは最期まで聞けずじまいだったけど、あの子の大切なものは、あの子の大切な人に持っていてもらいたいの」
「それなら高藤さんの方が──」
「あの子が言っていたの」
 僕の言葉を遮って林道さんのお母さんは語る。
「俺の弔辞は小林明に頼むって。そして、俺のギターも小林に渡してくれって。死の間際まで、あの子は自分よりも他人のことを考えていたわ」
 そう言って笑っていたご両親の顔を僕は今でも忘れない。
 ステージに立つと、広々した客席が一望でき、新田さんや母親の位置も確認できた。心配そうな母の顔がこちらからも鮮明に見える。
 母さん、見てますか。僕は心の中でそう呟く。僕はもう一人なんかじゃない。こうして支えてくれる仲間がいて、今の僕が成り立っている。だから心配しないで──。そんな想いを込めて、頭を深々と下げた。
 そして、僕はギターを構え、顔を伏せる。だらんと力の抜けた状態で立ちながら、観客の様子を肌で感じる。観客は、始まらないステージの異様さにざわめきを取り戻し始めた。それを待ちわびたかのように僕は右腕をゆっくりと高く掲げると、勢いよく振り下ろした。
 弾かれた弦はアンプを通じて空気を震わせ、僕の鼓膜を揺らす。
 観客の心を揺らす自信はないけれど、僕は神様に喧嘩を売るつもりで、一心不乱にギターの弦を弾いた。そして、林道さんに届けばいいな、と思っている。
 外はもう暗闇に覆われているが、明日はきっと雲ひとつない青空が広がっていることだろう。
 春はもうすぐそこまで来ている──。