座敷童子の大家さん

 全ての事柄には必ず【表】と【裏】がある。
 そこに一つの例外も無い。
 そしてこの世にもそれはあった。
 【表】とは人間が住む側の事を示し、【裏】は妖怪達、人ならざる者達が住まう側を指している。
 本来、表の存在は裏の存在を感知する事が出来ない。
 故に表の存在である人間は、裏側の世界へ立ち入る事はできない。

「裏……妖怪達の世界か。そんなものが本当にあったんだな」

「はい。この百鬼夜荘は、その妖怪達が住まうための宿舎なんです。ですから人間である水瀬さんが来られたのは、完全にこちらの手違いでして……」

 少女がまた謝ろうとした事を察した俺は、すかさず次の質問をした。

「それじゃ、俺はどうしてこっちの側へ来られたの? 今の話だと、人間は立ち入れない領域なんでしょ?」

「それはおそらく、水瀬さんが高い【霊力】をお持ちだからだと思います」

 【霊力】とは、文字通り霊的な力。
 魂を繋ぐ力でもあり、妖怪や人外の存在は高い霊力を持っている。
 人間も僅かながらに持っており、その中で稀に妖怪達に匹敵する程高い霊力を持って生まれる者が要る。
 霊力は魂を繋ぐ力、高い霊力を持っている者は例外的に裏側の存在を知覚できる。

「私がはじめ水瀬さんを人間ではないと勘違いしたのは、水瀬さんが高い霊力をお持ちだったからです。おそらくですが、その高い霊力の影響で、この場所へ迷い込んでしまったのでしょう」

 迷い込んだというか、自分の意思でここに来たわけだけど……でもそうか、霊力か。
 まぁそうだよな。
 俺が高い霊力を持っていても不思議じゃない。
 確かに俺は人間だけど、只の人間ってわけじゃない。
 俺には、まだ誰にも教えていない秘密がある。

「それで、今回の件なのですが……」

「あっ、はい。説明お願いします」

「畏まりました。実は――」

 少女の話によると、最近ここ百鬼夜荘は入居者の不足という問題を抱えていたらしい。
 別に問題があって入居者が集まらないのではなく、そもそもこの近辺に暮らす妖怪達が減ってきたことが原因らしい。
 そこで今回、意を決して新しい試みを行った。
 それが表の世界の仲介ショップを活用する事だったのだ。

「表の世界にも妖怪がいるって事?」

「はい。裏の世界は時代が変わるにつてれ、どんどん狭くなってきているんです。江戸時代には今の倍以上の広さがあったんですが、今ではうんと狭くなってしまいました」

 世界が広いとか狭いとか、そういう話についてはよくわからなかった。
 だけど何となく、森林が伐採されて住処が無くなっている動物と同じ感覚なのかと思った。
 詳しい事は後で聞いてみよう。

「そこでこの春から表のお店と契約して、新しい入居者を募集していたんですが……どうも情報に誤りがあったみたいで」

「誤りって、どっち道普通の店なんて使ったら、俺みたいな人間が間違えてきちゃうと思うけど?」

「その辺りは大丈夫です。お店にはこっち側の人がいるので、その人に根回しを頼んでますから」

 根回し?
 あーそういう事か。
 だから手続きを全部現地で行うって形をとってるわけね。
 普通の人間はこの場所にたどり着けない、だけど妖怪ならたどり着ける。
 それを目印にしてるってわけか。
 もしくはあの時仲介ショップで話した人が、そもそも人間じゃなかったとか?
 それも十分ありえそうだな。

「まぁ大体の事情はわかりました。でもどうしよう……そうなると新しい入居先を探さないとな……」

 入学式まで残り一週間と少し。
 その短い期間で新しく住む場所は見つかるのか?
 いいや無理だろ。
 仮に見つかったとしても、実際に入居するまでに学校が始まる。
 となると、一旦祖父母の家に戻るしかないけど、あそこから学校までは遠い。
 新幹線を使えば通えなくは無いけど、金銭的な問題で厳しい。
 これ以上祖父母に迷惑をかけたくないし、自力で何とかしないと……

 今後について考えていると、その様子を見ていた少女が口を開く。

「あの、もしよかったらこのままうちに住んでしまいませんか?」

「えっ? いいんですか?」

「もちろんです」

「でも俺、人間ですよ?」

「ですが今回はこちらの不手際が原因ですし、水瀬さんさえ宜しければこちらは大丈夫です」

 魅力的な提案だと思った。
 もともと家賃が安い事に引かれて選んだ事もあって、多少の不便は覚悟していた。
 予想していたのはもっとボロ屋だととか、そういう類の不便だったから、まさか妖怪の宿なんて思ってなかったけどね。
 まぁそれは別として、

「……」

「?」

 俺はジーっと少女を見つめた。
 そしてこう答えた。

「それじゃ、よろしくお願いします」

「はい! こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」

 こうして新しい入居先は、予定通り?決まった。

「では手続きを始めましょう。こちらに目を通してからサインをお願いします」

 少女から契約書を手渡しされる。
 俺はそれを受け取って、言われた通り目を通した。
 その最中、ふと思ったことを口にする。

「あっ、そういえば今日って大家さんは居ないんですか?」

「えっ? 大家は私ですけど……」

 俺は書類から目を逸らし、耳を疑った。

「大家……? 君が大家さん?」

「はい、そうですよ? そういえば自己紹介がまだでしたね。私がこの百鬼夜荘の大家で、【座敷童子】の幸《サチ》と言います」
 【座敷童子】――東北地方に伝わる妖怪、というより精霊的な存在である。
 座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く……見た者には幸運が訪れる……家に富をもたらすなどいくつも伝承がある。
 外見は住み着く家によって異なると言われており、少女である場合もあれば、少年の場合もあるという感じでマチマチ。
 少女の場合は、生まれたての赤子のような質の黒髪に、おかっぱ頭なのが特徴的とされている。
 彼女もその特徴にそっていて、容姿は十五歳くらいだ。

「そうか、そうだよな。ここが裏側なら、君も人間じゃないのは当然だよな。外見が普通の女の子だから忘れてたよ」

「ふふふっ、そうですよね」

 数分前に顔無しっていうもっと印象深い出会いもあった所為もあるだろう。
 彼女は見るからに普通の女の子、可愛らしい女の子だった。

「座敷童子か」

「はい。こう見えて立派な妖怪なんですよ?」

 サチは笑顔でそう言った。
 その笑顔を見た俺は、心が温まるような感じを憶えた。
 座敷童子……見た人に幸運をもたらす妖怪か。
 確かに彼女を見ていたら、何だか幸せな気分になれる気がする。
 幸せな気分……幸運……あれ?
 もしかして、

「あの時トラックが逸れたのって、君が何かしたから?」

「はい。私は運を操る力を持っていますので、あの時は少しだけその力を使わせてもらいました」

 やっぱりそうだったのか。
 今思い返してみても、あの時助かったのは奇跡と言うか不自然だった。
 急にトラックが曲がった事、その時の運転手の証言、そして一瞬だけ視界に映った彼女の姿……
 その不自然が、今ようやく繋がった。
 繋がったというより解消されたって方が正しいだろう。
 要するに全部彼女のお陰だったんだ。
 俺が、あの女の子が無事でいられたのは……
 それを知った俺は、その場で彼女に深く頭を下げた。

「ありがとう」

「えっ、やめてください水瀬さん! 私は別に大したことは――」

「君が居なかったら、俺は今こうして居ないし、あの女の子も助けられなかった。君のお陰であの子を助ける事ができたんだ」

「……」

 サチは頬を赤らめながら無言で天斗を見つめていた。

「だからありがとう。俺とあの子を助けてくれて」

「ふふっ」

 そして彼女は笑った。
 口元に手を当て、可愛らしい仕草で笑った。
 どうして笑ったのか分からない俺は、顔を上げて彼女を見た。

「やっぱり水瀬さんは優しい人なんですね。力を使って良かったです」

「いや、俺は別に優しくなんて……」

「いいえ、水瀬さんは優しい人です。そうでなければ、私はあの時力を使っていませんでしたよ?」

「え?」

「私は、水瀬さんが女の子を庇って飛び込む姿を見ました。自分の命すら省みず、赤の他人を助けようとした姿……格好良かったです」

 サチは真っ直ぐ目を見てそう言った。
 俺はその視線が恥ずかしくて顔が熱くなった。
 よく見ると彼女も、少しだけ頬が赤くなっている。

「あんな事が出来る人を、私は知りません。たとえ妖怪だったとしても、きっと無事では済まなかったでしょうし、ませてや水瀬さんは人間ですから、もしかすると死んでしまっていたかもしれない。それなのに、貴方は飛び込んだ。だから私は、助けたいと思ったんですよ?」

 何なんだろう。
 この告白でもされているような感じ……
 めちゃくちゃ照れくさいし、どう反応すればいいのかわからない。
 だけど凄く嬉しい。

「結果的に私が助けた形になりましたけど、あの女の子を助けたのは、間違いなく水瀬さんです。だから私に感謝なんてしなくても良いんです。私がそうしたくて勝手にやった事ですから」

「……いや、それでもありがとう」

 サチはそう言うけど、俺は敢えてもう一度感謝を伝えた。
 彼女の笑顔が、素直な気持ちが嬉しくて眩しくて、俺は感謝せずにはいられなかった。


「ふふっ、どういたしまして。それと水瀬さん、私の事は大家さんではなく、幸って呼んでください。私はこの名前が好きなので、そう呼んでもらえると嬉しいです」

 幸という名前は、幸せという字を書く。
 まさに座敷童子である彼女に相応しい名前だと……いや、たとえ座敷童子じゃなくても、彼女にこそ相応しい名前だと思う。
 彼女を見ていると、そんな気がしてならない。
 彼女は座敷童子であろうとなかろうと、見知らぬ誰かに幸福を齎してくれるような気がした。

「わかった。えーっと、幸?」

「はい。何でしょうか水瀬さん」

 俺はごほんと咳払いをして、

「これからお世話になります」

 彼女にそう伝えた。
 そして彼女もこう返した。
 
「はい! これからよろしくお願いしますね。水瀬さん」

 こうして俺は、高校入学を前にして一人の少女と出会った。
 彼女の名前は幸、可愛らしい座敷童子の女の子。
 言伝えによると、座敷童子は見た者に幸福をもたらすと言われている。
 はたして彼女と出会った俺には、これからどんな幸福が訪れるのだろうか?
 今はまだ、誰も知らない未来である。
 
 百鬼夜荘は、人ならざる存在妖怪達の住む家である。
 色々事情があり今日からここで暮らす事になった俺は、大家さんのサチに家の中を案内してもらった。
 その最中に知った情報によると、この建物は江戸時代前半に作られたものらしく、元々は温泉旅館だったそうだ。
 それを明治時代に入ると同時に、妖怪達の宿舎に変えたらしい。
 理由は時代が変わり妖怪達の数が減った事で、旅館としてはやっていけなくなったからだと言う。
 江戸時代には、人間よりも妖怪の方が数が多かった時期もあったらしいのだが、江戸時代の終わり頃から徐々に妖怪の数が減っていき、明治時代に入る頃には十分の一以下にまで減ってしまった。
 そういう時代背景を経て、ここは旅館から宿舎へ変わった。
 同時に名前も旅館時代の名前から、今の百鬼夜荘になったらしい。
 旅館時代の名前は聞きそびれてしまったので、今度改めて聞いておこう。
 ちなみに今でも当時の名残があって、中には温泉がある。
 他にも遊技場に宴会場、旅館らしい部屋がいくつか見受けれた。
 そして現在、入居者数は俺を入れて六人だ。

「他の入居者って不在なの? 全然見当たらないけど」

 一通りの案内が終わって、これから暮らす自分の部屋に案内されている途中で、俺はサチに尋ねた。
 人が居そうな場所もいくつか回ったのだが、今の所誰とも会っていない。
 入居者は愚か従業員の姿も無かった。
 これだけ広くて元々旅館だった建物だ。
 さすがに彼女一人で切り盛りするには広すぎる。
 きっと他にも従業員はいるはずだと思った。

「ああ、皆さんなら帰郷されている最中ですよ」

「こんな時期に?」

「はい。他の入居者うち二人は学生、一人は今年から社会人ですから。残りの二人は元から社会人なのですが、毎年この時期になると半数が留守にするので、他の方もそれに合わせて里帰りされているんです。お陰様でこの時期だけは、私も自分の事が出来るので助かってます」

「へぇ~」

 二人は学生なのか。
 高校生なのかな?
 もし同じ学校なら早めに仲良くなっておきたいものだな。
 他の人に関しては、忙しいサチに気を遣って里帰りの時期を合わせてるって感じなのかな。
 理由が他にもあるなら今度会った時にでも聞いてみよう。
 いや、その前に何の妖怪なのか知ってからだな。
 ここで暮らしているのは俺を除いて全員妖怪のはずだし。

「着きましたよ」

 話しながら歩いていると、気づけば目的の部屋の前に着いていた。
 従業員の事を聞く前についてしまった。
 目の前には山と川の模様が描かれた襖に閉じられた部屋がある。
 サチが襖に手をかけ、ゆっくりと引く。

「おぉ~」

 襖を開けた先には広々とした空間が広がっていた。
 十二畳くらいはあるだろうか?
 一人で暮らすには十分すぎる広さだ。
 それに加えて押入れが二箇所、座椅子と机も備わっている。
 床は畳が敷かれ、奥には屏風が飾られている。
 さすがは元旅館といった部屋だ。
 最初のうちはちょっとした旅行気分を味わえそうだと思った。

「それでは荷物を置いて少ししたら宴会室に来てください。食事の準備をしておきますから」

 サチはそう言って部屋を後にした。
 俺は荷物を下ろして座椅子に腰掛けて十分位部屋で寛いだ後、言われた通り宴会室へ向かった。

 部屋を出てから十分後――

「あれ……どっちだっけ?」

 向かったつもりだったのだが、気づけば知らない部屋の前に来ていた。
 さっき案内してもらったとは言え、まだうろ覚えだった所為だ。
 さてどうしたものか……
 見たところ同じような襖が並んでいる。
 仕方が無い、とりあえず一部屋ずつ開けていくか?
 もしかしたら他の従業員に会えるかもしれないし、会えたら道を聞けば良い。

「よし」

 そう思って襖に手をかけた。
 襖を開けて一番最初に視界へ飛び込んできたのは、大きな黒い仏壇だった。
 最初から何て引きをみせるんだ俺は……とても申し訳ない気持ちになった。
 でもそっと襖を閉じようとした時、そこに飾られた遺影に目を向けた瞬間、俺は閉じようとした襖から手を離した。

「幸……?」

 いや違う。
 服装も顔立ちもそっくりだけど、髪の長さが違う。
 サチは肩に少しかかるくらいで、この遺影の女性はそれよりずっと長い。
 それに今のサチより年上だ。
 もしかして彼女の母親か?
 サチが座敷童子って事は、この人も座敷童子なのかな?
 座敷童子に、というより妖怪にも寿命とかあるんだ。
 それにしてもそっくりだな……その所為なのか、とても懐かしく感じる。
 ずっと昔に会っているような、言葉を交し合ったような懐かしさだ。
 そんな事無いはずなのに……

「あっ、こんな事してる場合じゃないや」

 俺はスマホを取り出して時間を見た。
 するとすでに部屋を出てから十五分が経っていた。
 さすがに彼女をこれ以上待たせる訳にはいかない。
 この女性の事とか、父親はどうしてるのかとか、色々知りたいことはあるけど考えるのは後にしよう。
 今はそれより、考えるべき事がある。

「……宴会室はどっちだ?」

 俺は廊下を駆け足で探し回った。
 広々とした宴会室で、少女が一人待っている。
 料理の良い香りを漂わせて、彼が来るのを待っている。

「水瀬さん、遅いなぁ」

 ふと想った事を声に出す。
 部屋に飾られた普通の丸い時計、長針は十五分を、短針は七時を指し示している。
 彼女は短針がまだ七時を指す前、長針が四十五分を回った頃からここで待っていた。
 そうして待つこと三十分、廊下から間隔の短い足音が聞えてくる。
 そして、

「遅くなりました!」

 勢い良く襖が開く。
 サチがそれに反応して振り向く。

「お待ちしてました――ってどうしたんですか?」

 到着した天斗は酷く息をきらしていた。
 程よく汗も流している。
 とても食事に来ただけとは思えない状況に、サチは疑問を感じた。

「あーえっと……ちょっと道に……迷って……」

 息をきらしながら説明する。
 文字通り駆け回ってきた。
 まだ呼吸が整わない。
 俺はこの時、自分の運動不足を実感したのだった。

「そうだったのですね。あまりに遅いから心配になって、呼びに行こうかと思っていた所だったのですが……無事に到着できて良かったです。これ以上遅いと、せっかくの料理が冷めてしまいますから」

 俺は呼吸を整えてから、ふと視線を机の上に向けた。
 そこに広がる豪華な料理の数々に目を奪われた。

「すごい……これもしかして幸が作ったの?」

「はい」

 それは旅館らしい見事の料理だった。

「さぁ座ってください」

 サチに言われて、俺は彼女の前に座った。
 そして手を合わせて、

「いただきます」

 食事前お決まりの言葉を口にする。
 次に料理を口にする。

「美味い」

 料理を口にした後、無意識にその口が声に出して言った。
 美味しそうな見栄え通りの、いやそれ以上の美味さだと思った。
 さっき聞いた話によると、朝食と夕食はこれから毎日作ってもらえるらしい。
 昼食もお願いすれば作ってもらえるそうだ。
 こんなに美味しい料理が毎日食べられる。
 そう思うと嬉しくて仕方が無い。
 俺は夢中で料理を口に運んだ。
 その途中で、彼女がニコニコしながらこちらを見ていることに気づく。

「俺の顔に何かついてる?」

「あっ、ごめんなさい。食事中にじっと顔を見つめるなんて失礼ですね」

「別に失礼なんて思って無いよ。ただ何でじっと見てるのかな~って思っただけだから」

「あーそれはとっても美味しそうに食べてくださっているので、嬉しくて見ていたんです」

 俺はちょっぴり恥ずかしい気分になった。
 夢中で食べていたから気づかなかったけど、そんな顔してたのか。

「めちゃくちゃ美味しいよ」

「そうですか。それは良かったです」

 サチはまたニコニコしながらそう言った。
 それからしばらく食べ続けて、料理が半分くらいなくなった所で、俺はふとある事を思い出した。

「そういえば他の従業員って、今日は休みなの?」

「えっ?」

 思い出したのは道に迷っていた時の事だった。
 色々な部屋や場所を見たけど、誰ともすれ違いもしなかった。
 まるでこの家に、今は二人しかいないように感じた。

「さっき迷ってる途中にいろんな部屋とか見たんだけど、誰にも会わなかったんだよね」

「従業員はいませんよ?」

「へっ?」

 俺は耳を疑って箸を止めた。

「ここは私一人で管理していますから」

 これだけの屋敷を一人で管理してるって言うのか?
 という事は、

「この料理も一人で作ったの!?」

「はい」

 俺は身をよじるくらい驚いた。
 この豪華な料理をたった一人で、しかも今までこれをずっと続けていたって言うのか?
 どれほどの仕事量をこなしてきたんだ。

「凄いな君……それをずっと一人でやってきたの?」

「はい。あーでもちょっと前はお母さんと二人でやってました」

 俺はもう一つ思いだした。
 道に迷って最初に開けた襖、その先にあった仏壇。
 そこに飾られていた遺影が、サチに似ている女性を写していた事を……
 あれはやっぱり母親だったのか。
 似ているわけだよ。

「水瀬さん、ここは元々旅館だったという話をしましたよね?」

「ああ、憶えてるよ」

 確か明治時代の初期に旅館から今の形になったとか。

「ここを旅館から宿舎に変える決断をしたのは、私のお母さんなんですよ。このままじゃ駄目だぁ~って言って」

「へぇ~ という事はサチは二代目って事になるのか」

「そうですね。ここが百鬼夜荘になってからなら二代目で合っています。最初はただのお手伝いでしたけどね」

 小さい頃なんてそんなものだろう。
 むしろ手伝いをしている時点で立派だと思った。
 俺なんて我がまま言ってばっかりだったからな。

「いつ頃から手伝ってるの?」

「手伝いを始めたのは、ここが旅館だった頃ですよ」

「へぇ~ それじゃあ結構ながっ――」

 ん?
 今なんて言った?

「ちょっと待ってね? ここが旅館だったのは明治時代の前までだよね?」

「はい。そうですが……」

 そうなると、今からざっと100年以上前になるわけなんだが……

「あ、あのさ? 幸って今いくつなの?」

 俺は恐る恐る聞いてみた。

「年齢ですか? えっと、今年で丁度一六〇歳になりますね」

「……」

 俺は驚きのあまり固まった。
 そうだった。
 この女の子は、こう見えて立派な妖怪なんだった。
 百鬼夜荘の大家さんは座敷童子。
 外見年齢十五才前後、実年齢―― 一五九才。
 その事実を知った瞬間、俺はこれまでの行いを振り返った。
 そして、

「あの……えっと、今更遅いとは思うんだけど、敬語使ったほうがいいですか?」

 めちゃくちゃ失礼だと思った。

「大丈夫ですよそんなに畏まらなくて! 確かに人間に比べれば長生きしていますが、長寿の妖怪の中ではまだまだ子供な方ですから」

「そ、そうなの?」

「はい。座敷童子の平均寿命は千年って言われますから、丁度人間の十倍くらいなので、感覚的には水瀬さんと同い年なんですよ?」

 いや感覚的にはとか言われてもな~
 まぁ見た目はその通りなんだけど、事実年の差は圧倒的なわけだし……
 どう接するのが正解なのかわからない。

「えっと、今まで通りで良いならそうするけど」

「はい。今まで通り接してください」

「わかった。でもそれならそっちも敬語なんて使わないで話せばいいのに」

 サチは初めて会ってからずっと敬語で話している。
 俺はその事がなんとなく気になっていた。
 年の近い女の子に敬語を使わせて、自分だけタメ口で話している。
 罪悪感というか、申し訳なさというか。

「いえ、私はこの話し方が慣れているので」

「そう? ならいいけど」

 俺は少し距離を感じた。
 今日会ったばかりで仕方が無いはずだけど、なぜだか寂しく思えた。
 それにしても……

「妖怪に比べて、人間ってホント何も無いなぁ~」

 妖怪の事を詳しく知っているわけじゃないけど、寿命の事一つとっても差は歴然。
 人間の一生なんて、妖怪からすればほんの一瞬でしかないのかな。
 不老の妖怪とかもいるなら尚更だ。

「そんな事ありませんよ? 妖怪と人間の違いなんて容姿と寿命くらいですから」

「いやいやさすがにそれは無いでしょ。それにほら、霊力だっけ? 妖怪はそういう特別な力も持ってるでしょ?」

「霊力なら水瀬さんも持ってるじゃないですか」

「えっ? ああー……」

 そういえばそんな話もしたっけ?
 俺が人並み外れた霊力を持ってたから、彼女は最初に俺を妖怪と間違えたって言っていたな。

「俺以外にもいるの? 霊力を持ってる人間」

「いますよ? 皆さん大抵は無自覚で知らないまま一生を終えていきますが、自覚すれば修行次第で色々な術が使えます」

「へぇ~ そんな人達もいるんだな」

「はい。日本では陰陽師、海外ではエクソシストと呼ばれている方々です」

 陰陽師って妖怪を退治するやつらの事だよな?
 そんな連中が現代にもいるなら、この場所ってかなり危険なんじゃ……

「大丈夫なの? この場所が陰陽師に狙われたりとか」

「その心配は要りません。彼らが祓うのは悪行を働いた妖怪のみですから」

「そうなの?」

「はい。江戸時代の終わり頃に、当時の陰陽師達と妖怪の間である取り決めが行われました。それは、どちらかが害をなさない限り、互いに互いを害さない――という内容のものでした。今でのその取り決めは続いているんです」

 彼女曰く、街中で堂々と力を使ったりしなければ何の問題も無いらしい。
 特にここは裏の世界、人間のいる側とは反対にある場所だから、尚更問題ないらしい。
 それなら安心だ。
 さすがに俺も、自分の住処が戦場になるのは困るからな。
 それから数分で夕食を食べ終わった。

「ご馳走様でした」

「お粗末さまでした。水瀬さん、よかったらこの後お風呂に入りませんか? もう準備は出来ているので」

「そうさせてもらおうかな」

 宴会室を出る。
 長い廊下をずっと奥へ進むと、大きな庭が見える。
 その庭を越えてさらに進むと、大浴場と書かれた看板と、男湯・女湯と書かれた暖簾が目に入る。
 俺はさっとく脱衣所で服を脱ぎ、ガラガラと鳴る引き戸を開けた。

「おお~ 温泉か」

 そういえば温泉もあるって言ってたっけ。
 大人が三十人くらい浸かってもまだスペースが余りそうなくらい広いぞ。
 こんなに広い温泉を、今日は俺が独り占めできるって事か。
 これははしゃぐしかないだろ。
 俺は髪と身体を洗ってから、飛び込むように湯船に浸かった。

「ふぅ~ 良い湯だなぁ~」

 立ち昇る湯煙と天井を眺めながら、俺は湯に浸かっていた。
 妖怪専用って事は驚いたけど、それを差し引いてもここは最高だな。
 家賃は安いし、飯は上手いし……本当に良い家だ。
 それに大家さんは可愛いし――

「……」

 その時、俺の脳内に一つの煩悩が浮かんだ。

「まさか……背中流しに来てくれたりして?」

 いやいやいや、それはさすがに無いか。
 でもこれまでの待遇を考えると、可能性がゼロってわけじゃないぞ?
 あれ、もし来たらどうしよう。
 落ち着け俺、ここは平常心を意識するんだ。
 たとえ来たとしても紳士に接する事を考えろ。

 
 実際来ませんでした。


 二十分位で湯から上がった後、俺は準備されていた浴衣に着替えて浴場を後にした。
 自分の部屋へ戻る途中、ふと明かりが点いている部屋を見つける。
 この家で明かりが点いているという事は、

「幸?」

「あっ、水瀬さん」

 彼女がいることを示している。
 調理器具にコンロ、どうやらここは台所だったらしい。

「お湯加減はどうでしたか?」

「良かったよ。幸は洗い物中?」

「いえ、それはもう終わりました。今は明日の朝食の準備をしている所です」

「明日の? もうそんな事までしてるの?」

「はい。今日のうちにやっておいた方が、明日の朝は楽が出来るので」

 楽って、今が大変だろ。
 彼女はこれを毎日やってきたのか。

「俺も手伝おうか?」

「えっ? 大丈夫ですよ。水瀬さんは長旅でお疲れでしょうし、今日はゆっくり休んでください」

 幸はニッコリと笑ってそう言った。
 俺なんかより、彼女の方がずっと大変だろうに……

「……あのさ――」

 ピンポーン!

 俺が話しかけようとした時、玄関のチャイムがそれを遮るように鳴り響いた。
 インターホンの音が響く。

「来客? こんな時間に?」

 俺は部屋の時計を見た。
 壁にかけられた時計は、もうじき午後九時を指そうとしている。
 
「ちょっと行ってきますね」

「待って、俺も行くよ」

 こんな遅い時間の来客、どうにも嫌な予感がする。
 彼女を一人で行かせてはいけない。
 俺は直感的にそう思った。

「わかりました。では行きましょう」

 二人は会話を中断して玄関に向かった。
 その間にもインターホンが鳴る。
 台所から玄関までは距離がある。
 二人が歩いて向かう間に、二度の催促が鳴り響いた。
 随分せっかちな奴だと俺は思った。
 そして玄関に到着する。

「お待たせしました」

 幸が玄関の扉を引いて開ける。
 するとそこに立っていたのは、僧侶のような格好をした男性達だった。
 僧侶のようだと言っても坊主では無い様子。
 手前に一人、その奥に同じ服装の男性が二人立っている。
 幸はその男達を確認した直後、一歩後ろへ下がった。
 手前の男が口を開く。

「こんばんわ。お久しぶりですね? 幸殿」

 男は太い声でそう言った。
 二人は知り合いなのか?
 俺は幸の顔を見た。
 彼女は笑顔だった。
 しかしいつもの笑顔じゃない。とてもぎこちなくて無理をしている笑顔だった。
 知り合いだったとしても、あまり良い関係ではなさそうだ。

「はい。お久しぶりです。一体何の御用でしょうか?」

「何の用? その質問、わざわざお答えしないと解りませんか?」

 二人は無言で視線を合わせている。
 状況についていけないのは俺だけだった。
 だから、

「幸、この人は?」

 直接彼女に聞くことにした。
 それに対して幸は、顔を男達に向けたまま小声で答える。

「水瀬さん、さっきのお話を覚えていますか?」

「さっき? どれだ?」

 さっきとはいつの事だ?
 台所での話、それとも食事中の話か?
 色々話をしたからどれかわからない。

「霊力を持った人間の話です」

「ああ、それか」

「はい。そして彼らこそ、まさにその人物達。霊力を持ち、多くの術を扱う者――陰陽師の方々です」

 この人達が陰陽師?
 言われてみれば、そういう雰囲気を纏っているように感じる。
 だけど、どうしてこんな時間に、この場所に陰陽師が来るんだ?
 幸の話では、陰陽師と妖怪は互いに不可侵の条約を結んでいるはずだ。
 どちらかが害をなさない限り、互いに互いを害さない。
 彼女は何も悪い事はしていないはずだろ?

「おや? 君とは初めましてですね?」

「あっはい、今日からここに住む事になりました。水瀬と言います」

 俺は警戒しつつもあいさつをした。
 年上だったので礼儀正しくお辞儀をして。

「これはご丁寧に、礼儀正しい子だね。私は秋水《しゅうすい》、この地域の元締めをしている陰陽師です」

 元締め……それってこの辺りで一番偉い陰陽師って事か。
 余計に解らなくなった。
 そんな人がどうしてここに?

「……」

 秋水が無言で天斗を見つめる。
 そして、
 
「君、もしかして人間かな?」

「えっ? はい、どうですけど……」

 何でそんな当たり前の事を……ああ、そうか、ここは妖怪専門の宿舎だから――

「では、我々と同じ陰陽師ですか?」

「いや違いますけど……」

 秋水は再び無言で天斗を見つめる。
 それから視線を幸へ向けた。

「幸殿、これはどういうことですか?」

「どうと言いますと?」

「何故人間の彼がここにいるのです? それに今、今日から住む事になったと……これは規定違反ではありませんか?」

「ちょ、ちょっと待ってください! 規定違反って……彼女は何も悪い事なんてしてませんよ!?」

 弁解するために俺は言った。
 しかし秋水は首を横に振る。

「人間の君をこちらへ招き入れる時点で、それは許されない行為――悪行なのです」

「いや、招き入れたわけじゃ……偶々俺が迷い込んだだけで」

「それに水瀬くん、私が規定違反と言ったのはそれだけが理由ではありません。それは今初めて知ったことですから」

 そうだ……この人はどうしてここに来た?
 今の事意外に、彼女が規定違反を犯したからか??

「幸殿、貴方は今日――街中で力を使いましたね?」

 俺はその時、トラックの一件を思い浮かべた。
 確かにあの時、彼女は力を使った。
 そのお陰で俺とあの女の子は救われた。

「表側における力の私的利用……これは硬く禁じられている事です。条約に従い貴方を連行します。処遇は事情を伺ってからにしましょう」

「待ってください! 事情ならここで話します! 彼女は俺と女の子を助けようとしただけで、決して悪用なんて――」

「わかりました」

 幸が言う。
 俺は驚き彼女の方を向いた。

「大丈夫ですよ水瀬さん。ちゃんと事情を話せばわかってもらえますから」

 幸はまた無理をして作った笑顔でそう言った。
 だけど俺は、この時強く思った。
 ここで彼女を行かせてはいけない。
 そうすればもう二度と、彼女は戻ってこないような気がした。

「駄目だ幸……それなら俺も同行する。俺だって関係者だ。その権利くらいあるだろ!」

「いけませんよ水瀬君、連れて行くのは幸殿だけです。それに君は人間でしょう? こんな所にいてはいけません。早く別の部屋を探しなさい。必要なら我々が助けてあげましょう」

 秋水がそっと手を差し出す。

「お断りします。俺はここが気に入ってるので」

 それを言葉で振り払った。
 その事に腹を立てたのか、秋水の表情がこわばる。

「そうですか……どうやら妖怪と一緒に居た事で、精神に異常をきたしているようですね」
 
 何を言ってるんだこいつ?

「こうなっては仕方がありません。私が記憶を消して、真っ当な人間に戻してあげましょう」

 秋水は勝手な解釈を口にする。
 次に差し出された手に、俺は恐いものを感じた。

「待ってください秋水さん! 彼は大丈夫ですから!」

 それを幸が止める。
 差し出した秋水の手を、腕を掴む事で止めた。
 その瞬間、秋水の表情が激変する。
 先程のこわばった表情とはまるで違う。
 激昂した表情だった。

「触るな!!」

「きゃっ!」

 腕を大きく振り払う。
 それにとって幸が弾き倒されてしまう。

「幸っ!」

「彼を抑えろ」

「なっ――離せ!」

 咄嗟に駆け寄ろうとした俺を、残り二人の陰陽師が抱えて止める。
 激昂した秋水は、そのままの表情で幸を見下ろす。

「薄汚い妖怪風情が、人間である私に触れるなど……さらには人間の少年を洗脳していたとは……これはもやは事情を聞くまでも無い」

 洗脳?
 またこいつは勝手な解釈を――
 俺はもがいて拘束を解こうとした。
 しかし思いの他二人の力が強い。

「今ここで祓いましょう」

 秋水が幸に近寄る。
 懐から札を取り出し、それを錫杖に変化させた。
 それを大きく振りかざす。

「やめろ!」

「不浄の者よ……闇に散れ」

 秋水が錫杖を振り下ろそうとする。
 幸は怯えた表情でぐっと目を閉じた。
 その瞬間、まさに刹那の時の中で……俺は思い浮かべた。
 それは記憶、俺の奥底にある昔の記憶。
 俺であって俺でない者の記憶……
 幸と、彼女と瓜二つの女性と交わした……ある約束を――
 秋水が錫杖を振り下ろす。
 その瞬間に思い浮かべた記憶に心が、身体が突き動かされる。
 約束を、彼女を守れと……

 俺の半分が言っている。

 二人の拘束を振り解く。
 振り下ろされた錫杖、その間に俺は飛び込んだ。
 そして、

「なっ――」

 錫杖を両腕を頭の上でクロスする事で防いだ。
 その事に秋水が声を出して驚く。
 次に目を閉じた幸が、ゆっくりと瞼をあける。

「えっ……水瀬さん?」

「……」

 防いだ錫杖を弾く。
 攻撃を防がれ弾かれた秋水は、三歩ほど後退した。

「私の一撃を防いだ……だと? ただの人間が――!!」

 秋水が目を見開く。
 視線の先には天斗の両腕があった。
 彼の両腕は錫杖を防いだ部分だけ、服が破けている。
 そこから見える皮膚に、秋水は目を疑った。

 あれは……鱗?

「何だその腕は……」

 あれは人間のものでは――

「一つ訂正しておく事がある」

 俺は顔を伏せたまま秋水と、それから幸に向けて言う。

「俺は人間だけど……ただの人間じゃない」

「何だと?」

「水瀬さん?」

 黙っててごめん。
 あとでちゃんと謝ろう。
 俺は心の中でそう言い、続けて話した。

「三年くらい前、俺は山で死に掛けた。その時に死地へ踏み入った事で、そこに居座っている竜に出会った」

「竜だと……何をふざけた事を」

「そいつの名は竜神天武、天を統べる神だった。俺は天武と話し、目的のため互いに一つになって生きる道を選んだんだ」

 天武の未練と俺の未練、死の淵で語り合った願い。
 それを叶える為に、俺達は生きる事を決めた。
 あの時からずっと……

「何の話をして――」

 俺が顔を上げ、秋水がその目を見た。
 そして言葉を失った。
 そう……あの時からずっと――

「俺の半分は……竜で出来ている」

 済んだ大空のような瞳、そして神々しい雰囲気。
 秋水が目にしたのは、人間でしかなかったはずの少年が、人間では無くなる瞬間。
 否、人間では無かったと知った瞬間だった。

「竜……神……神だと? そんな話信じられるものか!」

「……」

 取り乱す秋水。
 幸は言葉を忘れ、ただじっと天斗を見つめていた。

「ありえない……」

「ありえたんだよ実際……あんたも陰陽師ならわかるだろ? 俺が嘘を言ってるのかどうかくらい」

「くっ……」

 秋水の目には、天斗が凄まじい力を纏っている事が見えている。
 桁外れの霊力、神々しいオーラ……
 言葉では否定しても、その目で見てしまえば信じるしかない。
 彼は、天斗は……

「本当に神なのか……」

「半分は、だけどね。さて、俺が何者なのか知ってもらった所で、それを踏まえて宣言させてもらおうか」

「宣言……だと?」

「そう、宣言だ。俺は天武の、神の名の元に宣言する。今日からここは俺の……いや、我らの領域――竜の棲家だ」

 天斗の声質が変化する。
 天斗の声に、天武の声が混ざり合う。
 話し方も同様に変化し、畏まった口調へ変わった。

「何人も、我らの許可なくしてこの地へ踏み入る事を許さない。もし、この地に住まう者達を害そうとするのなら、我らは黙っていない。人間であれ妖怪であれ、たとえ神であっても天罰を下す」

「ぐっ……」

 気迫と言葉に圧倒される。

「定命の者よ――立ち去るが良い」

 この言葉を最後に、秋水達は撤退した。
 さすがの陰陽師も神の相手では逆らえないらしい。
 こうして百鬼夜荘に突如として訪れた危機は去った。
 しかし話はまだ終わらない。

「……」

「……」

 食事をしていた宴会室、机に置かれた湯飲み。
 二人は無言で対面するように座っている。

「えっと……まずはごめん。ずっと黙ってて」

「いえ、こちらこそ助けていただきありがとうございました」

 表情からして怒ってはいないようだ。
 俺は心の中でほっと息を漏らした。

「でも、どうして黙っていたのですか?」

「それはその……いきなり神なんて言ったら驚かれそう、というか怯えられそうだったから。それに、余計な騒動に巻き込まれるから、基本は黙っていた方が言いって天武にも言われてたんだよ」

 昔それで大きな事件に巻き込まれた事がある。
 それ以来、俺はずっと力と正体を隠して生きてきた。
 その影響もあって、その事件以来大きな厄介事は起きていない。
 ただそれもあって、こんな力を持っていながら裏側の事を知る機会が無かった。

「そうだったんですね。あの……天武様というのは竜神様のお名前ですよね? そのお方の意識は、今も水瀬さんの中にあるのでしょうか?」

「あるよ。たけど今は色々あって眠ってる。たぶんそのうち起きると思うから、またその時が着たらあいさつするよ」

「そうですか……あの、もう一つ伺っても宜しいでしょうか?」

「ん? 何?」

「あの時言っていたお二人の未練というのは……」

 秋水との会話でその事を少しだけ話した。

「ああ、俺のは別に大した未練じゃないよ。単にまだ小さかったから色々やりきれなくて、死にきれないって思っただけ。天武の方は、ずっと昔に再会を約束した女性が居て、その時の約束を守りたいって今でも思ってるらしい」

 まぁ寿命的にも生きて再会できる可能性はゼロに近いから、ほとんど俺の未練、我侭に付き合ってもらってた形だったわけだけど……
 ここに来て、色々と可能性が出てきた。
 もしその相手が妖怪なら?
 妖怪の寿命は人間よりも長い。
 それなら今でも生きている可能性はある。
 そういえばあの時、天武の記憶が頭の中に流れてきたな。
 女性の姿も見たけど、生憎顔までは見えなかった。
 何であのタイミングで浮かんだんだろう……

「天武……てんぶ……」

「ん? どうしたの幸」

「いえ……ただ昔、お母さんがその名前を口にしていたような気が……」

「本当か?」

「はい。お母さんはもう亡くなっていますので確認はできませんが……」

 仏壇と遺影が脳裏を過ぎる。
 俺は言葉を詰まらせ、部屋を静寂が包んだ。
 すると、

「水瀬さん、本当にありがとうございました」

 幸が立ち上がり、俺の横に正座した。
 そして深々と手を突いて頭を下げた。

「ちょっ、ちょっとやめてくれよ! むしろ俺が勝手に騒いだ所為でああなったわけだし……まぁでも、あのまま着いていってたら、たぶん祓われてただろうけどさ」

 秋水ならやりかねない。
 今となってはそう思う。

「はい。私もそう思います」

「えっ、そう思いますって……まさか解ってて着いていこうとしたのか?」

「はい。それしかこの場所を、百鬼夜荘を守る方法が見つからなかったので」

「守るって、そのために君が危ない目にあったら――」

「この場所は私一人だけのものではありません。ここに住む皆様の……そしてお母さんが守ってきた大切な場所なんです。だから何としても守りたかった」

 そのためなら自分の身は惜しまない。
 そう言いたげな顔をしていた。

「すごいな幸は……よし! 俺も協力するよ!」

「え?」

「俺もこの場所は気に入ったし、それにほら! さっき自分の領域だって宣言もしちゃったしね」

「水瀬さん……」

「だからあんまり無茶しないでよ。幸が居なくなったら俺は悲しいよ」

 幸が顔を赤くする。
 それで要約俺は、自分が恥ずかしいセリフを吐いている事を自覚した。

「あっ、えっとあれだよ? 幸が居なくなったら毎日あの美味い飯が食べられなくなるし……いや、別に飯だけじゃなんだけど……」

「っふふ――」

 幸が笑顔を見せる。

「幸?」

「やっぱり、優しい人ですね」

 彼女は笑顔のままそう言った。
 それは普段彼女が見せる笑顔だった。

「水瀬さん、これからよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ」

 かくして妖怪たちの住処は、竜の棲家となった。
 

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