広々とした宴会室で、少女が一人待っている。
 料理の良い香りを漂わせて、彼が来るのを待っている。

「水瀬さん、遅いなぁ」

 ふと想った事を声に出す。
 部屋に飾られた普通の丸い時計、長針は十五分を、短針は七時を指し示している。
 彼女は短針がまだ七時を指す前、長針が四十五分を回った頃からここで待っていた。
 そうして待つこと三十分、廊下から間隔の短い足音が聞えてくる。
 そして、

「遅くなりました!」

 勢い良く襖が開く。
 サチがそれに反応して振り向く。

「お待ちしてました――ってどうしたんですか?」

 到着した天斗は酷く息をきらしていた。
 程よく汗も流している。
 とても食事に来ただけとは思えない状況に、サチは疑問を感じた。

「あーえっと……ちょっと道に……迷って……」

 息をきらしながら説明する。
 文字通り駆け回ってきた。
 まだ呼吸が整わない。
 俺はこの時、自分の運動不足を実感したのだった。

「そうだったのですね。あまりに遅いから心配になって、呼びに行こうかと思っていた所だったのですが……無事に到着できて良かったです。これ以上遅いと、せっかくの料理が冷めてしまいますから」

 俺は呼吸を整えてから、ふと視線を机の上に向けた。
 そこに広がる豪華な料理の数々に目を奪われた。

「すごい……これもしかして幸が作ったの?」

「はい」

 それは旅館らしい見事の料理だった。

「さぁ座ってください」

 サチに言われて、俺は彼女の前に座った。
 そして手を合わせて、

「いただきます」

 食事前お決まりの言葉を口にする。
 次に料理を口にする。

「美味い」

 料理を口にした後、無意識にその口が声に出して言った。
 美味しそうな見栄え通りの、いやそれ以上の美味さだと思った。
 さっき聞いた話によると、朝食と夕食はこれから毎日作ってもらえるらしい。
 昼食もお願いすれば作ってもらえるそうだ。
 こんなに美味しい料理が毎日食べられる。
 そう思うと嬉しくて仕方が無い。
 俺は夢中で料理を口に運んだ。
 その途中で、彼女がニコニコしながらこちらを見ていることに気づく。

「俺の顔に何かついてる?」

「あっ、ごめんなさい。食事中にじっと顔を見つめるなんて失礼ですね」

「別に失礼なんて思って無いよ。ただ何でじっと見てるのかな~って思っただけだから」

「あーそれはとっても美味しそうに食べてくださっているので、嬉しくて見ていたんです」

 俺はちょっぴり恥ずかしい気分になった。
 夢中で食べていたから気づかなかったけど、そんな顔してたのか。

「めちゃくちゃ美味しいよ」

「そうですか。それは良かったです」

 サチはまたニコニコしながらそう言った。
 それからしばらく食べ続けて、料理が半分くらいなくなった所で、俺はふとある事を思い出した。

「そういえば他の従業員って、今日は休みなの?」

「えっ?」

 思い出したのは道に迷っていた時の事だった。
 色々な部屋や場所を見たけど、誰ともすれ違いもしなかった。
 まるでこの家に、今は二人しかいないように感じた。

「さっき迷ってる途中にいろんな部屋とか見たんだけど、誰にも会わなかったんだよね」

「従業員はいませんよ?」

「へっ?」

 俺は耳を疑って箸を止めた。

「ここは私一人で管理していますから」

 これだけの屋敷を一人で管理してるって言うのか?
 という事は、

「この料理も一人で作ったの!?」

「はい」

 俺は身をよじるくらい驚いた。
 この豪華な料理をたった一人で、しかも今までこれをずっと続けていたって言うのか?
 どれほどの仕事量をこなしてきたんだ。

「凄いな君……それをずっと一人でやってきたの?」

「はい。あーでもちょっと前はお母さんと二人でやってました」

 俺はもう一つ思いだした。
 道に迷って最初に開けた襖、その先にあった仏壇。
 そこに飾られていた遺影が、サチに似ている女性を写していた事を……
 あれはやっぱり母親だったのか。
 似ているわけだよ。

「水瀬さん、ここは元々旅館だったという話をしましたよね?」

「ああ、憶えてるよ」

 確か明治時代の初期に旅館から今の形になったとか。

「ここを旅館から宿舎に変える決断をしたのは、私のお母さんなんですよ。このままじゃ駄目だぁ~って言って」

「へぇ~ という事はサチは二代目って事になるのか」

「そうですね。ここが百鬼夜荘になってからなら二代目で合っています。最初はただのお手伝いでしたけどね」

 小さい頃なんてそんなものだろう。
 むしろ手伝いをしている時点で立派だと思った。
 俺なんて我がまま言ってばっかりだったからな。

「いつ頃から手伝ってるの?」

「手伝いを始めたのは、ここが旅館だった頃ですよ」

「へぇ~ それじゃあ結構ながっ――」

 ん?
 今なんて言った?

「ちょっと待ってね? ここが旅館だったのは明治時代の前までだよね?」

「はい。そうですが……」

 そうなると、今からざっと100年以上前になるわけなんだが……

「あ、あのさ? 幸って今いくつなの?」

 俺は恐る恐る聞いてみた。

「年齢ですか? えっと、今年で丁度一六〇歳になりますね」

「……」

 俺は驚きのあまり固まった。
 そうだった。
 この女の子は、こう見えて立派な妖怪なんだった。