季節は春。
 今日は3月21日木曜日、晴天。
 ここは都心から少し離れた西の町――九十九町。
 都市部に近づくほど増えるビル、離れていくほど増える民家。
 朝になると、町の住民は皆同じ方向へと歩いていく。
 都心はこの町から東側で、学校も会社もそのほとんどが都心側にある。
 だから朝になると、学生も社会人も皆同じ方向へ行く。
 街を繋ぐ電車も同じだ。
 朝は都心へ向かう電車が込み合い、逆に都心から来る電車は空いている。
 もちろんこの街にも会社はあるし、学校だってある。
 しかしわざわざ都心から通うものはいない。
 よって朝の電車は空いている……どころか人一人乗っていない事もしばしば。
 そんな電車に一人だけ、珍しく乗客の姿があった。
 身長は170cm前半、髪は黒で短髪。
 服用や雰囲気からしてまだ学生だろうか?
 大きなキャリーバッグを引き、リュックサックを背負っている。
 その青年が電車の窓から景色を眺めていると、携帯電話に着信がくる。

「はいもしもし――ああ、婆ちゃん?」

 どうやら相手は祖母だった様子。

「うん、大丈夫だって。それじゃ着いたら連絡するよ」

 青年が通話を切る。
 そして再び窓の外を見つめる。

「ふぅ……戻ってきたんだな。この町に」

 街の景色が遠ざかり、近づいていくホーム。
 青年を乗せた電車が速度を緩めていく。
 かすかに聞えるブレーキの音と共に、電車は駅へと入っていく。
 反対側のホームには人だかりが出来ているのに対し、こちらのホームは人っ子一人いやしない。
 停止する電車、開く自動ドア。
 青年は席を立ち、荷物を持って電車を降りる。
 そのままエレベーターに乗って下へ降り、改札へと向かう。
 ポケットから切符を取り出し改札機に通す。
 1番出口はコチラですと書かれた看板に従い駅を出た。
 広がる景色は駅前商店街と通勤通学に急ぐ人々。
 青年は立ち止まり、空を見上げて言った。

「ただいま、九十九町」

 皆さん始めまして、そしておはようございます。
 とても良い朝ですね。
 おっと、先に自己紹介をしておきましょう。
 俺の名前は水瀬天斗(みなせそらと)です。
 この春から晴れて高校生になります。

 天斗はリュックサックを背負い直して歩き出す。
 行き交う人々や建物を見ながら歩く。
 歩きながらしばしば立ち止まり、ふと携帯電話の画面を見る。

「えっと、確かこっちだな」

 天斗は目的を地図で確認していた。
 そして再び歩き始める。

 さっきも言ったけど、俺はこの春から高校生です。
 通う高校の名前は、九十九第一高等学校。 
 ここ九十九町にある唯一の高校で、割と有名な新学校だったりします。
 俺が今日この街に訪れているのは、これから高校生活を送るにあたって引っ越す必要があったからです。
 実はこの街には初めて来たわけではないんです。
 そもそも俺の生まれた場所が、ここ九十九町ですから。
 中学に入学する前まではこの町に住んでいました。
 それから訳あって祖父の家に引越しましたが、こっちの高校に通うために戻ってきました。

「結構変わってるな~」

 天斗は街を眺めながら歩いていく。
 彼がこの街に住んでいたのは3年前まで。
 その頃に比べると、やはりいろいろと変化が見受けられるらしい。
 空き地だった場所に家が建ち、良く訪れた店が移り変わっている。
 3年という期間は短いようで長かったようだ。
 目的地に向かって歩き続ける天斗。
 このまま進めば信号のある横断歩道へ差し掛かる。
 丁度その付近から、彼はこれから住む家について考えていた。

 少し遅くなったけど、今は新しい住居に向かっている途中です。
 前に住んでいた家は、ある事情で無くなってしまったので、まったく新しい家に住む事になりました。
 家の名前は確か「ひゃくやそう」?だったと思います。
 ネットで見つけて決めたのですが、ここの家賃……なんと1万円。
 しかも水道光熱費込みでこの値段なんです。
 最初はあまりの安さに詐欺だと思いましたが、提携していた不動産屋で確認した所、案外普通に良かったのでここに決めました。
 ただ珍しい事に契約をその場で行うらしく、相手側の都合がつかなかった事もあり実物は見ていません。
 写真は見せてもらっています。
 なんでも元々旅館だった建物らしく、古いですが風情があって良い感じです。
 加えて管理人さんは旅館だった頃の女将さんが勤めているらしく、朝食・夕食も提供してくれるという好条件。
 これは住まない訳にはいかないでしょ?
 そんなこんなで荷物を持って歩いているんです。
 それにしても、駅からだいぶ遠いな……

 信号に差し掛かる。
 丁度渡ろうとしたタイミングで点滅しだしたので、天斗は急いで渡った。
 なんとかギリギリ渡りきって少し息をきらす。
 その時だった。
 後ろでドスンと誰かが倒れる音が聞える。
 天斗が振り返ると、幼い女の子が転んでしまっていた。
 それも横断歩道のど真ん中で……

 危ないな~
 まぁあれだけ分かりやすく転んでたら、さすがに車も止まってくれるだろ……
 立ち上がれ無さそうだったら助けに行くか。

 心の中で暢気に考える。
 しかし事はそう上手くいかなかった。
 遠距離から青信号になった事を確認したトラックが接近する。
 しかもかなりのスピードで……

 おいおい!
 あのトラックちゃんと止まるよな?
 さすがに引いたりしないよな?

 トラックは減速する気配が無い。
 転んだ女の子も泣いていてすぐには立ち上がれない様子。
 どうやらトラックの運転手は信号しか見てないらしい。
 トラックは運転席が高い分目線も高い。
 その所為で下に転んでいる女の子に気づいていないのだ。

「くそっ!」

 天斗が飛び出す。
 焦りから大量の汗を流し、転んでいる女の子に駆け寄る。
 ここでようやく運転手がブレーキを踏む。
 しかしもう遅かった。
 距離的にも減速しきれない。
 天斗は女の子を抱かかえる。

 ちくしょう!
 もう間に合わない――

 衝突を覚悟した瞬間。
 天斗の視界に映ったのは走馬灯ではなく、トラックの奥にある歩道を、和服姿で歩いている少女の姿だった。
 その少女の口元が動く。

 大丈夫。

 そう言っているように見えた。