秋水が錫杖を振り下ろす。
 その瞬間に思い浮かべた記憶に心が、身体が突き動かされる。
 約束を、彼女を守れと……

 俺の半分が言っている。

 二人の拘束を振り解く。
 振り下ろされた錫杖、その間に俺は飛び込んだ。
 そして、

「なっ――」

 錫杖を両腕を頭の上でクロスする事で防いだ。
 その事に秋水が声を出して驚く。
 次に目を閉じた幸が、ゆっくりと瞼をあける。

「えっ……水瀬さん?」

「……」

 防いだ錫杖を弾く。
 攻撃を防がれ弾かれた秋水は、三歩ほど後退した。

「私の一撃を防いだ……だと? ただの人間が――!!」

 秋水が目を見開く。
 視線の先には天斗の両腕があった。
 彼の両腕は錫杖を防いだ部分だけ、服が破けている。
 そこから見える皮膚に、秋水は目を疑った。

 あれは……鱗?

「何だその腕は……」

 あれは人間のものでは――

「一つ訂正しておく事がある」

 俺は顔を伏せたまま秋水と、それから幸に向けて言う。

「俺は人間だけど……ただの人間じゃない」

「何だと?」

「水瀬さん?」

 黙っててごめん。
 あとでちゃんと謝ろう。
 俺は心の中でそう言い、続けて話した。

「三年くらい前、俺は山で死に掛けた。その時に死地へ踏み入った事で、そこに居座っている竜に出会った」

「竜だと……何をふざけた事を」

「そいつの名は竜神天武、天を統べる神だった。俺は天武と話し、目的のため互いに一つになって生きる道を選んだんだ」

 天武の未練と俺の未練、死の淵で語り合った願い。
 それを叶える為に、俺達は生きる事を決めた。
 あの時からずっと……

「何の話をして――」

 俺が顔を上げ、秋水がその目を見た。
 そして言葉を失った。
 そう……あの時からずっと――

「俺の半分は……竜で出来ている」

 済んだ大空のような瞳、そして神々しい雰囲気。
 秋水が目にしたのは、人間でしかなかったはずの少年が、人間では無くなる瞬間。
 否、人間では無かったと知った瞬間だった。

「竜……神……神だと? そんな話信じられるものか!」

「……」

 取り乱す秋水。
 幸は言葉を忘れ、ただじっと天斗を見つめていた。

「ありえない……」

「ありえたんだよ実際……あんたも陰陽師ならわかるだろ? 俺が嘘を言ってるのかどうかくらい」

「くっ……」

 秋水の目には、天斗が凄まじい力を纏っている事が見えている。
 桁外れの霊力、神々しいオーラ……
 言葉では否定しても、その目で見てしまえば信じるしかない。
 彼は、天斗は……

「本当に神なのか……」

「半分は、だけどね。さて、俺が何者なのか知ってもらった所で、それを踏まえて宣言させてもらおうか」

「宣言……だと?」

「そう、宣言だ。俺は天武の、神の名の元に宣言する。今日からここは俺の……いや、我らの領域――竜の棲家だ」

 天斗の声質が変化する。
 天斗の声に、天武の声が混ざり合う。
 話し方も同様に変化し、畏まった口調へ変わった。

「何人も、我らの許可なくしてこの地へ踏み入る事を許さない。もし、この地に住まう者達を害そうとするのなら、我らは黙っていない。人間であれ妖怪であれ、たとえ神であっても天罰を下す」

「ぐっ……」

 気迫と言葉に圧倒される。

「定命の者よ――立ち去るが良い」

 この言葉を最後に、秋水達は撤退した。
 さすがの陰陽師も神の相手では逆らえないらしい。
 こうして百鬼夜荘に突如として訪れた危機は去った。
 しかし話はまだ終わらない。

「……」

「……」

 食事をしていた宴会室、机に置かれた湯飲み。
 二人は無言で対面するように座っている。

「えっと……まずはごめん。ずっと黙ってて」

「いえ、こちらこそ助けていただきありがとうございました」

 表情からして怒ってはいないようだ。
 俺は心の中でほっと息を漏らした。

「でも、どうして黙っていたのですか?」

「それはその……いきなり神なんて言ったら驚かれそう、というか怯えられそうだったから。それに、余計な騒動に巻き込まれるから、基本は黙っていた方が言いって天武にも言われてたんだよ」

 昔それで大きな事件に巻き込まれた事がある。
 それ以来、俺はずっと力と正体を隠して生きてきた。
 その影響もあって、その事件以来大きな厄介事は起きていない。
 ただそれもあって、こんな力を持っていながら裏側の事を知る機会が無かった。

「そうだったんですね。あの……天武様というのは竜神様のお名前ですよね? そのお方の意識は、今も水瀬さんの中にあるのでしょうか?」

「あるよ。たけど今は色々あって眠ってる。たぶんそのうち起きると思うから、またその時が着たらあいさつするよ」

「そうですか……あの、もう一つ伺っても宜しいでしょうか?」

「ん? 何?」

「あの時言っていたお二人の未練というのは……」

 秋水との会話でその事を少しだけ話した。

「ああ、俺のは別に大した未練じゃないよ。単にまだ小さかったから色々やりきれなくて、死にきれないって思っただけ。天武の方は、ずっと昔に再会を約束した女性が居て、その時の約束を守りたいって今でも思ってるらしい」

 まぁ寿命的にも生きて再会できる可能性はゼロに近いから、ほとんど俺の未練、我侭に付き合ってもらってた形だったわけだけど……
 ここに来て、色々と可能性が出てきた。
 もしその相手が妖怪なら?
 妖怪の寿命は人間よりも長い。
 それなら今でも生きている可能性はある。
 そういえばあの時、天武の記憶が頭の中に流れてきたな。
 女性の姿も見たけど、生憎顔までは見えなかった。
 何であのタイミングで浮かんだんだろう……

「天武……てんぶ……」

「ん? どうしたの幸」

「いえ……ただ昔、お母さんがその名前を口にしていたような気が……」

「本当か?」

「はい。お母さんはもう亡くなっていますので確認はできませんが……」

 仏壇と遺影が脳裏を過ぎる。
 俺は言葉を詰まらせ、部屋を静寂が包んだ。
 すると、

「水瀬さん、本当にありがとうございました」

 幸が立ち上がり、俺の横に正座した。
 そして深々と手を突いて頭を下げた。

「ちょっ、ちょっとやめてくれよ! むしろ俺が勝手に騒いだ所為でああなったわけだし……まぁでも、あのまま着いていってたら、たぶん祓われてただろうけどさ」

 秋水ならやりかねない。
 今となってはそう思う。

「はい。私もそう思います」

「えっ、そう思いますって……まさか解ってて着いていこうとしたのか?」

「はい。それしかこの場所を、百鬼夜荘を守る方法が見つからなかったので」

「守るって、そのために君が危ない目にあったら――」

「この場所は私一人だけのものではありません。ここに住む皆様の……そしてお母さんが守ってきた大切な場所なんです。だから何としても守りたかった」

 そのためなら自分の身は惜しまない。
 そう言いたげな顔をしていた。

「すごいな幸は……よし! 俺も協力するよ!」

「え?」

「俺もこの場所は気に入ったし、それにほら! さっき自分の領域だって宣言もしちゃったしね」

「水瀬さん……」

「だからあんまり無茶しないでよ。幸が居なくなったら俺は悲しいよ」

 幸が顔を赤くする。
 それで要約俺は、自分が恥ずかしいセリフを吐いている事を自覚した。

「あっ、えっとあれだよ? 幸が居なくなったら毎日あの美味い飯が食べられなくなるし……いや、別に飯だけじゃなんだけど……」

「っふふ――」

 幸が笑顔を見せる。

「幸?」

「やっぱり、優しい人ですね」

 彼女は笑顔のままそう言った。
 それは普段彼女が見せる笑顔だった。

「水瀬さん、これからよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ」

 かくして妖怪たちの住処は、竜の棲家となった。