座敷童子の大家さん

 インターホンの音が響く。

「来客? こんな時間に?」

 俺は部屋の時計を見た。
 壁にかけられた時計は、もうじき午後九時を指そうとしている。
 
「ちょっと行ってきますね」

「待って、俺も行くよ」

 こんな遅い時間の来客、どうにも嫌な予感がする。
 彼女を一人で行かせてはいけない。
 俺は直感的にそう思った。

「わかりました。では行きましょう」

 二人は会話を中断して玄関に向かった。
 その間にもインターホンが鳴る。
 台所から玄関までは距離がある。
 二人が歩いて向かう間に、二度の催促が鳴り響いた。
 随分せっかちな奴だと俺は思った。
 そして玄関に到着する。

「お待たせしました」

 幸が玄関の扉を引いて開ける。
 するとそこに立っていたのは、僧侶のような格好をした男性達だった。
 僧侶のようだと言っても坊主では無い様子。
 手前に一人、その奥に同じ服装の男性が二人立っている。
 幸はその男達を確認した直後、一歩後ろへ下がった。
 手前の男が口を開く。

「こんばんわ。お久しぶりですね? 幸殿」

 男は太い声でそう言った。
 二人は知り合いなのか?
 俺は幸の顔を見た。
 彼女は笑顔だった。
 しかしいつもの笑顔じゃない。とてもぎこちなくて無理をしている笑顔だった。
 知り合いだったとしても、あまり良い関係ではなさそうだ。

「はい。お久しぶりです。一体何の御用でしょうか?」

「何の用? その質問、わざわざお答えしないと解りませんか?」

 二人は無言で視線を合わせている。
 状況についていけないのは俺だけだった。
 だから、

「幸、この人は?」

 直接彼女に聞くことにした。
 それに対して幸は、顔を男達に向けたまま小声で答える。

「水瀬さん、さっきのお話を覚えていますか?」

「さっき? どれだ?」

 さっきとはいつの事だ?
 台所での話、それとも食事中の話か?
 色々話をしたからどれかわからない。

「霊力を持った人間の話です」

「ああ、それか」

「はい。そして彼らこそ、まさにその人物達。霊力を持ち、多くの術を扱う者――陰陽師の方々です」

 この人達が陰陽師?
 言われてみれば、そういう雰囲気を纏っているように感じる。
 だけど、どうしてこんな時間に、この場所に陰陽師が来るんだ?
 幸の話では、陰陽師と妖怪は互いに不可侵の条約を結んでいるはずだ。
 どちらかが害をなさない限り、互いに互いを害さない。
 彼女は何も悪い事はしていないはずだろ?

「おや? 君とは初めましてですね?」

「あっはい、今日からここに住む事になりました。水瀬と言います」

 俺は警戒しつつもあいさつをした。
 年上だったので礼儀正しくお辞儀をして。

「これはご丁寧に、礼儀正しい子だね。私は秋水《しゅうすい》、この地域の元締めをしている陰陽師です」

 元締め……それってこの辺りで一番偉い陰陽師って事か。
 余計に解らなくなった。
 そんな人がどうしてここに?

「……」

 秋水が無言で天斗を見つめる。
 そして、
 
「君、もしかして人間かな?」

「えっ? はい、どうですけど……」

 何でそんな当たり前の事を……ああ、そうか、ここは妖怪専門の宿舎だから――

「では、我々と同じ陰陽師ですか?」

「いや違いますけど……」

 秋水は再び無言で天斗を見つめる。
 それから視線を幸へ向けた。

「幸殿、これはどういうことですか?」

「どうと言いますと?」

「何故人間の彼がここにいるのです? それに今、今日から住む事になったと……これは規定違反ではありませんか?」

「ちょ、ちょっと待ってください! 規定違反って……彼女は何も悪い事なんてしてませんよ!?」

 弁解するために俺は言った。
 しかし秋水は首を横に振る。

「人間の君をこちらへ招き入れる時点で、それは許されない行為――悪行なのです」

「いや、招き入れたわけじゃ……偶々俺が迷い込んだだけで」

「それに水瀬くん、私が規定違反と言ったのはそれだけが理由ではありません。それは今初めて知ったことですから」

 そうだ……この人はどうしてここに来た?
 今の事意外に、彼女が規定違反を犯したからか??

「幸殿、貴方は今日――街中で力を使いましたね?」

 俺はその時、トラックの一件を思い浮かべた。
 確かにあの時、彼女は力を使った。
 そのお陰で俺とあの女の子は救われた。

「表側における力の私的利用……これは硬く禁じられている事です。条約に従い貴方を連行します。処遇は事情を伺ってからにしましょう」

「待ってください! 事情ならここで話します! 彼女は俺と女の子を助けようとしただけで、決して悪用なんて――」

「わかりました」

 幸が言う。
 俺は驚き彼女の方を向いた。

「大丈夫ですよ水瀬さん。ちゃんと事情を話せばわかってもらえますから」

 幸はまた無理をして作った笑顔でそう言った。
 だけど俺は、この時強く思った。
 ここで彼女を行かせてはいけない。
 そうすればもう二度と、彼女は戻ってこないような気がした。

「駄目だ幸……それなら俺も同行する。俺だって関係者だ。その権利くらいあるだろ!」

「いけませんよ水瀬君、連れて行くのは幸殿だけです。それに君は人間でしょう? こんな所にいてはいけません。早く別の部屋を探しなさい。必要なら我々が助けてあげましょう」

 秋水がそっと手を差し出す。

「お断りします。俺はここが気に入ってるので」

 それを言葉で振り払った。
 その事に腹を立てたのか、秋水の表情がこわばる。

「そうですか……どうやら妖怪と一緒に居た事で、精神に異常をきたしているようですね」
 
 何を言ってるんだこいつ?

「こうなっては仕方がありません。私が記憶を消して、真っ当な人間に戻してあげましょう」

 秋水は勝手な解釈を口にする。
 次に差し出された手に、俺は恐いものを感じた。

「待ってください秋水さん! 彼は大丈夫ですから!」

 それを幸が止める。
 差し出した秋水の手を、腕を掴む事で止めた。
 その瞬間、秋水の表情が激変する。
 先程のこわばった表情とはまるで違う。
 激昂した表情だった。

「触るな!!」

「きゃっ!」

 腕を大きく振り払う。
 それにとって幸が弾き倒されてしまう。

「幸っ!」

「彼を抑えろ」

「なっ――離せ!」

 咄嗟に駆け寄ろうとした俺を、残り二人の陰陽師が抱えて止める。
 激昂した秋水は、そのままの表情で幸を見下ろす。

「薄汚い妖怪風情が、人間である私に触れるなど……さらには人間の少年を洗脳していたとは……これはもやは事情を聞くまでも無い」

 洗脳?
 またこいつは勝手な解釈を――
 俺はもがいて拘束を解こうとした。
 しかし思いの他二人の力が強い。

「今ここで祓いましょう」

 秋水が幸に近寄る。
 懐から札を取り出し、それを錫杖に変化させた。
 それを大きく振りかざす。

「やめろ!」

「不浄の者よ……闇に散れ」

 秋水が錫杖を振り下ろそうとする。
 幸は怯えた表情でぐっと目を閉じた。
 その瞬間、まさに刹那の時の中で……俺は思い浮かべた。
 それは記憶、俺の奥底にある昔の記憶。
 俺であって俺でない者の記憶……
 幸と、彼女と瓜二つの女性と交わした……ある約束を――