「……もう少し、待ってくれないか」
「何をですか?」
「アンナのことだ」
「アンナさんのこと……?」
「今お前と顔を合わせたら……お互いを傷つけることになるかも知れない」
「そう、なんですか?」
「……命日なんだ。もうすぐ」
ウィリアムがエリーと視線を合わせずに言う。
エリーは切なそうな表情でウィリアムを見ている。
「……エリカさん、ですか?」
「ああ」
返事をして、ウィリアムはため息をつく。
「この時期、アンナは人と距離を取るんだ。もう少し、待ってやってくれ」
「……はい」
エリーはそう言って、持っていたアイスクリームを口に運ぶ。
その反対側を、リヒトが遠慮なく舐め続けている。
「エリー?」
そんな声にエリーは顔を上げる。
驚いた顔でエリーを見るテオの姿があった。
「テオさん」
「こっち来てたのか!」
「はい。お祭りに招待していただいて」
「そっか。おれもな、祭りにいたんだけど……なんだ、会いたかった」
心底残念そうな顔をするテオ。
エリーはクスッと笑う。
すると、テオは少し顔を赤くした。
「……あ、あのさ」
「はい?」
「……め、珍しいよな。その、そんな、格好、というか」
「……? 水着ですからね」
街中では着ませんよ、と言ってエリーは笑う。
「そりゃあそうだけど! あの、その! に、似合ってる、なって」
語尾を弱めながらテオは言う。エリーは嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
「あ、ああ」
そんな話をしていると、エリーは不意に腕を引っ張られた。
驚いたように隣を見る。ウィリアムだ。
「……そろそろ、プール行くか」
「は、はい」
「浅いところなら大丈夫だろう」
「そうですね」
「……お前も、来るか」
そう言って立ち上がったウィリアムはテオに視線を向ける。
身長差があいまって、テオは見下ろすウィリアムに威圧感を感じる。
「い、いえ……おれは、いいっす。じゃ、じゃあね、エリー」
そう言って慌てたように去っていく。
エリーはその後ろ姿を見送り、そしてウィリアムを見上げる。
「ウィリアムさん?」
「なんだ」
心なしか無表情に戻っているような感じをエリーは覚えた。
最近は随分と表情が読めるようになってきたが、まだまだだ。
「いえ……なんでもないです」
エリーは少し残念に思いながら、ウィリアムと共にプールへ向かった。
水の都、トレーネから風の都へ帰ることに。
行く時は列車だったが、帰りは船でも乗ろうという話になった。
「列車でも船でも、水の都の外観の美しさは変わらないからね」
そう言ってダニエルは微笑む。
エリーもまた、船からの景色を見てみたいと思った。
「私たちは列車でしか帰れませんので」
「船を泊める場所がないからな」
「またな!」
そう言ってリートとシャール、そしてカイも去っていく。
「また来てね。エリー」
「はい。ありがとうございました、ビアンカさん」
「ええ。あんたは人魚じゃなかったけど、もうあたし達の仲間みたいなもんだから」
そう言ってビアンカが艶やかに微笑む。
エリーは嬉しそうな笑みを返した。
「ありがとうございます。また来ます!」
そう言って、エリーは荷物を持って船に乗り込む。
ウィリアム達も船に乗る。
船から見える景色は、一体どのようなものなのだろう。
まだ出発までに時間がある。
エリーは胸を高鳴らせながら、甲板から海の奥を見た。
すると、突然。
頭痛が走り、エリーは頭を押さえる。
じわじわと吐き気も催してきた。
立っていられなくなり、エリーは崩れ落ちるように座り込む。
リヒトが驚いたようにエリーの傍を飛んでいる。
「おい、エリー!」
エリーの様子に気が付いたシェルが駆け寄る。
ウィリアム達もまた駆け寄ってきた。
そんな姿を見ながら、エリーは意識を手放した。
全員が困惑したような表情で顔を見合わせた。
「ん……」
目を覚ますと、そこは列車の中だった。
「起きたか」
「……ウィリアム、さん」
寝ているエリーの前の席にウィリアムは座っていた。
ダニエルやサラ、シェルの姿は見当たらない。
「……あいつらは別の席だ」
エリーの視線に気づいたように、ウィリアムは補足する。
「あの、私……」
「倒れたんだ。船の上で」
「そう、なんですね。ごめんなさい」
「お前は悪くない」
「でも、皆さん船で帰るの楽しみにしていたんじゃ」
「それは違う」
「……?」
「皆、お前の喜ぶ顔が見たくて船を選んだんだ。だから、何も問題はない」
そう言ってウィリアムは心配そうに眉を顰める。
「……具合は、どうだ」
「……大丈夫です。ご心配をお掛けしました」
そう言ってエリーはゆっくり起き上がる。
窓際でリヒトが心配そうにエリーを見つめている。
「私、どうしたんでしょう」
不安そうにエリーが眉を下げる。
ウィリアムは真剣な顔でエリーを見つめる。
「……記憶が、関係あるのかも知れないな」
「記憶……」
「海辺に倒れていたんだ。船に関係があってもおかしくはない」
「でも私、何も思い出してないです」
そう言って俯く。
そんなエリーの頭を、ウィリアムが優しく撫でた。
「大丈夫だ」
エリーは首元の指輪に手を添える。
「でも、もし、船に乗ることで何か思い出せるなら」
「ダメだ」
エリーの言葉を遮るウィリアム。
エリーは不安そうにウィリアムを見つめる。
「どうしてですか……?」
「気を失うまでして思い出す記憶に何の価値があるんだ」
「そんな……」
エリーの顔が歪み、ウィリアムはエリーから視線を逸らした。
「……すまない。とにかく、無理はするな」
寝てろ、と言ってウィリアムは窓の外に視線を移した。
エリーもまた窓の外に視線を移す。
流れる景色を見守る空は、曇っていた。
エリーはダニエルの図書館に来ていた。
カウンターを挟み、二人で椅子に座っている。
もちろん、リヒトも一緒だ。
濡羽色の髪をした少女が、コトン、とカップを二人の前に出す。カフェオレだ。
「どうぞ」
少女に向かって、エリーはにっこりと笑う。
「ありがとうございます」
「ありがとう、ミサトちゃん」
同じように礼を言うダニエルに、少女はわずかに微笑みながら会釈をした。
「いえ。私、配架してきますね」
「うん。お願いします」
ダニエルの言葉に、少女は図書館の奥へ向かう。
その後ろ姿を見送り、エリーはカフェオレを一口飲んだ。
「図書館って、こうしてカフェオレ飲んだりお話したりしても大丈夫なんですか?」
「よくはないよね」
にっこりと言うダニエルに、エリーは苦笑する。
他に利用者がいないのが幸いだ。
「あの、先日は」
「そんなに責任感じないで、エリーちゃん」
エリーの言葉を遮り、ダニエルは真剣な顔をする。
「そもそも君に新しい景色を見せたくて僕たちは船を選んだんだ。その君が船に乗れなかったことで、罪悪感は感じなくていいんだよ。僕たちは何度も船に乗ったことがあるしね」
エリーを安心させるようにダニエルは穏やかな声で言う。
エリーは切なそうに笑い、そしてカフェオレをもう一口。
「……でも、船が苦手とか、そういう感じではなかったよね」
「はい……。記憶が、関係しているんだと思うんですが」
そう言ってエリーは首を左右に振る。
「何一つ思い出せていません」
「そっか」
ダニエルはカップを指でなぞる。
カフェオレの良い香りが漂っている。
「まぁ、いいんじゃないかな」
「はい?」
「考えたって仕方ないよ。記憶の手がかりになるとしても、誰も無理にまた君を船に乗せようなんて思わないし、君自身が乗ろうとしたら止めると思う」
「……はい」
エリーは柔らかく微笑む。
その頭上で、リヒトが大きく何度も頷いている。
「違う話をしよう。何か聞きたいこととか、ある?」
「えっと……そうですね」
ダニエルの言葉に、エリーは考えるように視線を巡らせる。