*
今日の放課後も阪南に付いて行かれ、家に着くと母にニヤニヤとされながら、部屋の中に入っていった。こんな事を見慣れた光景に絶対したくない。
「じゃ、早速作戦会議しよっか」
「…………今度はどうするんだ?」
俺はそこが気になっていた。ノープランで話し合いをした結果、何も案が出ず終わってしまった昨日の事があったからだ。しかし、阪南はそれを聞いた時ニヤリとした顔で堂々と宣言をした。
「今度は状況を整理してからどうするか決めるんだよ!」
これを聞いて、思わず言ってしまいたい事があった。
「何で、俺達こんな簡単な事に昨日気づかなかったんだ……?」
しばし、無言が続いた。昨日はそんな状況の整理すらまともにせず、ノープランで話し合いをした結果、何も案が出ず終わってしまっていたのだ。しばらくして阪南が「まあ、それは置いといて」と重い唇を開いて無理やり話題を戻す。
「まず、2人の状況はどんな感じだっけ⁉」
「……簡単に言えば一触即発な状況だな」
「そうね‼ それなら……」
「二人を落ち着かせて話させたらいいんじゃないかな⁉」
阪南は立ち上がってそう宣言した。それだけじゃ、こちらにはどういう事かわからなかったので、続きを引っ張り出す事にする。
「……というと?」
「要は、二人ともイライラが重なっているから、落ち着かせるように場所を移動するのよ! そうしたら二人とも冷静になれるから、ちゃんと話し合えるんじゃない⁉」
俺から見たら、悪くないアイディアだった。問題はそれをどうやって実行するがだが……。
「どうやってやるんだ?」
「う~ん……そうねぇ……まず、二人を放課後に呼び出して街を散策するっていうのがいいんじゃない?」
「でも、どうやって」
「私達二人で朝の口論に割り込んで、一緒に行こうと言うの‼」
なんて突拍子もない事をしなければならないんだ。朝の口論の輪の中に突っ込むのは、リスクが高すぎるだろ。
「それぐらいしか二人が集まる機会無いんだから、ね?」
……阪南は同意を求めている。俺が彼女の作戦に協力するか、しないか。今俺は問われている。
「……もし、同意ができなかったら?」
「その時は、一人で行く」
……阪南がうまくやれるかが心配だった。どうやって説得して、二人が冷静に話し合えるまで街中を歩き回れるか……。
ここで同意ができなかったら、果たしてどうなるのか?それなら、俺は……
「……行くよ」
同意をする。阪南はとびっきりの笑顔で、「じゃあ、明日7時30分に!」と言った。
「おはよ!」
阪南は笑みを浮かべてこちらに声を掛ける。今日は、昨日話し合った事を実行する日なのだ。遅れるわけがない。
「二人が邂逅するのは大体7時50分ぐらいか?」
「うん、そのくらい」
一応の確認を取った後、俺達はいつも口論が始まる下駄箱近くの通路で待機をする。ここには置時計が設置されており、時間を確認できるのもあったし何よりここなら二人の様子を確認する事ができる。
「それじゃ、20分ぐらい待つけど良い?」
「……もちろん」
間を置いて、承認する。これから、二人を和解させるために話を付けるのだ。そのタイミングは、二人と確実に話せるタイミング……要は、口論中のタイミングに入り込むしかない。
成功するかどうかわからないが……もうやるしかないのだから。
「……そろそろ二人が来る時間だよね」
「ああ……」
時計の針は7時50分を指していた。このぐらいに秋と神無月が学校に着き、そして口論が始まる。よく先生に気づかれなかったものだ……いや、良く考えたら見て見ぬふりをしていたのではないか? そんな疑問をよぎった時、それは始まった。
「……また同じ時間に来たのね」
「別に、そんな訳じゃないですよ」
二人の声が聞こえる。まだ、冷静さがあるその声の響きは緊張感を極限まで高める。
「阪南、大丈夫か?」
「……大丈夫、大丈夫! 平気だから」
そう言いながらも、少し震えている。どうやら、緊張や恐怖を無理にごまかして明るく振る舞っているらしい。
「……無理はするな、いざとなったら俺一人でやるから」
「……んな! そんな事できるわけないよ、私がやらないと気が済まないの‼」
小声で会話をしていると、段々二人の声は大きくなり始めて来た。
「いつもぶつかってくるよね‼ 何なの⁉」
「先輩こそ、思い込みをやめてくださいよ!」
これは、完全に一方的だな……。神無月の方が攻めに入っていて、秋の方はというと防戦一方だ。これをこじらせたら、もはや騒ぎに発展するかもしれない。
「……今が良いんじゃない⁉」
「……適当に言ってるだろ、まあそろそろ言った方がいいな」
そして、俺達が二人の間に介入するのを実行する。二人の周りには野次馬が居たが、それをのけて二人の元へ着く。
「待って!」
阪南が大声を上げ、制止する。それと同時に周りは一転し、静かになる。みんなこちらに注目しているのか、目線が集中する。
「……先輩?」
秋は、驚いた様子で言葉を発す。ここからは完全にアドリブでやらなければならないが、やらなければならない。
「ちょっと‼ 何邪魔してるの‼」
「邪魔なんかしてない‼ ただ二人が毎日口喧嘩するのを止めただけ」
神無月は言葉で弾圧する。阪南はそれを否定して、目的を述べる。
「ちょっと! 原因はこっちにあるんだから‼ 毎日の様にスカート越しに触ってきて……‼」
「だから、あれはただの事故で……」
「……ス、ストップ、ストップ! また口喧嘩始めても仕方ないだろ‼」
俺は慌てて制止させる、そして阪南の方を見る。俺は首を頷け、阪南はそれを了承した。これが、本題だ。
「今ここじゃ和解なんて無理だと思うから……」
なんとか上手く行けた。しかし、これはまだ始まりなのだ。ここからが本番にして最難関。しかし、これ以外に思いつかない。
そして、阪南は本題に入らせる。
「――放課後、街中を歩いてお互い落ち着いてからしっかり話し合お?」
それを述べた直後、神無月の方から抗議を受けるがなんとか説得して放課後4人で街中を歩いて話し合う場を設けさせる事に成功した。
その日は、ぐったりしていて授業の内容をほとんど覚えていない。今日の時間割に体育が入ってなかったため、ぐったりした状態で受けずには済んだが。
しかし、こんな事でぐったりしている場合ではない。何故なら、この後の話し合いが控えているのだから。一応、外ですることにしたのには理由がある。外の方が落ち着けさせるスポットはいくつかあるし、何より歩いている中で、お互いの特徴に気づけられるかもしれない。
「なあ……」
阪南に声を掛ける。今は、校門前で2人を待っている所なのだが、声を掛けた理由は、不安が一つあったからだ。
「二人とも、来てくれると思うか?」
そこが一番の問題だった。俺達より先に校門を抜けて帰っていった可能性があるのかもしれない。特に、神無月に関しては相手といる事を嫌がっているきらいがあった。
「大丈夫、大丈夫。ここからしか学校出る事できないし、何より私たちは割と早めに着いたんだから大丈夫だって」
そんな事言われても、大丈夫と思えないものを大丈夫と思うのは難しかった。ただ、待つことしかできなかった。
結果としては、二人は来てくれた。どちらかというと、阪南が無理やり連れてきたようなものだったが。ただ、本当に成功するかどうか自信が無い。
「来たわよ……早く行きましょ」
やたらと突き刺さる冷たい口調だった。それが、彼女にとって望まない事であるというのを痛感させてくる。
「行こ行こ、さっさと行かないと置いてくぞ」
阪南は神無月の後を追いかける。ついでに、秋の手を引っ張って連れていく。
そうして、4人での街歩きが始まったのだが……。
「…………」
俺達4人の輪の中は無言でった。あんなに良く喋る阪南も、何も言わない。その理由はよくわかる。秋と神無月の険悪な雰囲気を身で感じて、とてもではないが話をしづらい。
やはり、二人を連れだすのは失敗だったのか。気分を落ち着かせるにはダメだったのか。
すると、阪南がこちらに寄ってきて耳元に何か声を掛ける。
「どうしよっ、空気悪くて話かけづらいよ」
小声で「だろうな」と答える。
「それだけ⁉ もうちょいなんとか動かさないと」
なんとかって言われても、どこが一番落ち着けるか。自分で選ぶなら、あそこしかないと思う。ただ、どうやってそこに行こうと切り出すには勇気が必要だった。
「河川の方を行くように言うか」
阪南にその場所を伝える。阪南は不安げな顔で覗いてくる。俺は大丈夫だと伝え、二人の方へ行く。
「あの……二人とも」
神無月はすぐにこちらを睨み付ける。こいつと一緒に呼ばないでと言っているのだろうか。俺は一旦咳き込み、そして改めて言い直す。
「河川の方に行ってみないか?」
今日の川は、底の一部が少し見えた。それでも、流れている所は底を見せず強く水が流れ続けている。
「僕は、河川の方に行くの、いいと思います」
秋のこの一言がきっかけでなんとか2人の了承を得て、ここにくることができたのだ。人にもよるが、川が作り出す静かでそれでも、耳には確かに伝わるその音は、誰もが癒されるものだと思う。
「……今日は、良い天気だね」
阪南は静かに、その事実を述べる。日は、俺達が学校を出た後より少しずつ、空から降りはじめている。少し、地面が赤くなってきた気がした。
「……」
俺も、阪南も、秋も、神無月も。誰も、何も言わない。ただ川の変化をずっと見ていた。少し、空に小さな白い光がごく僅かだが点いていた。昔はこの小さな光が空を覆い尽くしていたと言う事をたまに聞いていたが、多分光らないだろう。
「……帰る」
一言呟かれる。神無月が動き始める。
「……もう、帰る。時間の無駄だった」
少しずつ声に圧が出始める。このままでは、和解のための街回りが失敗してしまう。
「え、ちょっと……」
阪南が声を上げる。そして、神無月の方へと行く。
「お願い。帰らして」
阪南は、彼女の感情が籠るその声に怖気なかった。
「お願い。返事を教えて。落ち着いた? そうじゃない? どっち?」
「落ち着いた。でも、やっぱり気が許せない」
「……許せなくても、良いんだよ?」
阪南は突然神無月に対してそう言った。秋の方はと言うと、ただ目を見開いて二人を見つめているだけで何も言わない。
「だって、まだ許せる段階じゃないと思う。なら、少しずつ許せる気持ちを作っていけばいいと思う。ほら、昌弘も」
阪南は俺にバトンタッチしてくる。そんな事言われても、何も聞かされていないのにどうしろと。
彼女の方をおもむろに見る。彼女はただ、頷いた。俺は、それを見て自分が言うべき事がなんとなくわかる気がした。
「神無月さん!」
神無月は肩をすくめて、こちらを向いてくる。
「阪南が言ってるんです! 少しずつ許せていけたら良いんです‼ 誰だって許せない事だってあります‼ でも、彼はあなたが思う程嫌で、残念な人間では無いと思います‼」
「……そんな事言われても」
彼女は拳を作る。そして、
「そんなこと言われても、許せないものは許せない‼」
大声を上げる。声が何度も響いてくる。空が、音で少し響いている様な気もした。
「わかってます……そんな事」
秋が突然、声を震え上げてきた。
「わかってますよ‼ 僕だって許せないです‼ 毎日あんなことを言ってきて、もう限界なんですよ‼ 確かに最近は何度も激突して、お互い痛い目にあうけどだからと言ってこっちばかりが責められて、もう限界ですよ‼ 何なんですか、いい加減にしてくださいよ‼」
秋が今まで会って始めて、怒りを神無月に主張する。すると、阪南がこちらに駆け出してくる。そして俺の耳元でささやいて一言、
「多分なんだけど、これでわかだまり解消できると思う」
阪南はそれだけを伝えて、視線を2人に向けた。
それから、口喧嘩は続いた。今まで抱いてきた怒り、それぞれが思っていた事が何度も激しくぶつかり合って、そして一つに収束していった。
「……なあ、阪南」
「ん?」
「一応、アレで和解できたんだよな?」
秋達と別れ、阪南と二人で家に帰る最中だった。秋も神無月も、もう大丈夫だと言ってそのまま帰ってきた。二人とも同じ方向だったからだ。
「さあ、でも二人とも謝ってたんだし、大丈夫じゃない?」
口喧嘩は簡単に言えば、お互いの謝罪で幕を引いた。
「多分、和解したと思うよ。昌弘はどう思う?」
それを聞かれ、一瞬悩む。和解。それは、お互いの過ちを認めて繋がろうとする事。俺は、そう思う。昌弘はそれが本当に正しいかどうかはわからない。でも、一つだけ言いたかった。
「俺は、和解できたと思う」
「ふふっ、やっぱり」
そうやって少し微笑む。風で少し髪が揺れていた事もあって、どう微笑んでいたかはよくわからない。多分、それはとても良い微笑みだったと思う。
「……じゃあ、本題に入るが」
「……ん? 何?」
「何で無関係と言ってもいい俺が勝手に巻き込まれているのか原因、わかるか?」
「……ん?」
その事を言いたかった。出会った時も、御崎さんと田月をくっつけようと色々試行錯誤した時も、そして今回の神無月と秋の和解も。全部、俺一人だったらやっていなかった。だとしたら。
「……俺が関わらなくても良い事で、関わっている原因は誰だろうか?」
「……え~っと、それは……」
彼女は少しずつ後ずさりをし始める。どんどん、俺から離れてく。後ろの方はいつもの交差点だった。
「……じゃあね!」
「あっ、おい待てよ‼」
彼女が突然駆け出した。阪南は荷物を背負っているというので、走るスピードはいつもより少し遅い気がした。まあ、それは俺もなんだが。
「待てよ‼ 少しは労ってくれよ‼」
「え、何のこと? 私知らないよ~!」
「とぼけるなー‼ お前が巻き込ませたんだろぉ‼」
2人の赤い影は横断歩道を一瞬と言ってもいいほどの速さで駆け抜けていった。
「ごめんごめん~! 私が悪かったから、許してぇ~!」
「自覚してるんなら、俺を巻き込ませるな‼」
こんなことを口走っていたが、結局追いかけっこは何だかんだ言ってお気楽だった。俺にとっては深刻な事だが。
「わあああああぁぁぁぁぁ‼」
この夜は、街中に彼女の悲鳴が鳴り響いた。
*
それからは、何もない日常だった。変化があったと言えば、
「昌弘~! アッキーや美代ちゃんが一緒に食べれるらしいって! あそこ行こ!」
「……昨日も一緒に食べなかったか?」
「んもお! 別にいいじゃん! さ、行った行った!」
阪南は俺を急かしてあの場所に連れていく。そこは、田月や御崎さんをくっ付ける事が出来た、あのグラウンドの広場だった。
「あ、今回もう二人来るんだった!」
「……誰?」
「田月くんと夢ちゃん‼ 夢ちゃんが、気になって一緒に来ていい? って言ってくれたの!」
そこに田月が入っているのは、その説明では不十分だろう。一体田月はどこから出て来たのか。阪南は次の言葉を出す。
「田月くんは、夢ちゃんの付き添い‼ なんか、心配なんだって簡単に言えば」
簡単に言えばって一体何なんだよ。というか俺の心を読んだ様に気になった事を話してきたな。
「お、お前ら今日もか?」
そこに、ややこしいのが。拓海が俺達を見て、ニヤリとした顔つきで声を掛けてきた。
「そそ! そういうわけで、じゃあ!」
「おう! あ、昌弘に話あるからちょっとだけくれよ」
「いいよ!」
俺は物じゃない。そして阪南は即答するな。阪南は俺が言う間も無く、教室から出て行った。
「……にしても、お前の周囲変わっていったよな……少しお前らの事噂になってるぞ」
「……ッな⁈」
驚いた所で、理由を探る。そういえば、あの口論は結構生徒間ではかなり噂になりえるような事だった。証拠に、野次馬がたくさんいたのだから。……ということは。
「‘救世主’だってよ。お前らの事」
「……微妙にニュアンス違うんじゃないか? それ」
確かになと拓海が笑う。まったく、能天気でいいな。
「じゃ、行って来いよ。阪南とか待ってるだろ」
「……ああ」
そう答えて、教室から出ていく。教室にいるクラスメイトは俺達に目もくれず、何人かで何かを話し合ったり、ふざけあったりしている。
俺も、似たような……いや、同じ事をこれからするのだと思った。手に持っている弁当箱を見て、なんとなくそう確信した。
これからあのグラウンドには阪南が待っている。いや、阪南達が待っている……という事なのだろう。
思えば、こんなことをしていたのだろうか。記憶の中を探りあてる。そういえば、一度も無かったような気がしてきた。多分、俺にとってはこういう経験は新鮮なんだとなんとなく、そう、なんとなく、そう思った。
〈第3話 完〉
――想いを伝えたい。
でも、どうしたらいいのだろう。素直に声で? でも、勇気が出ない。手紙で? それでもいい。でも、どうやって届けたらいい? もう、私達はバラバラになってしまったのに、どうやって?
――私は、この心とどう向き合っていけばいいの?
誰も答えてくれる人はいない。自問自答を続けている。周りには人がいるはずなのに、その問いをしてほしいのに。私にはそれを言う勇気が無い。
*
あの激動の1学期も後は終業式を残すのみになった。ひと月に一回は何かしら大事が起きたが、それらは無事に解決して臨んだ期末テストもいい結果で終わった。
一応、他のみんなにも聞いてみる。大体結果は何となく納得するものだった。阪南は勉強時間増やさないと、と嘆いていた。
俺は、阪南に夏休みはどうするかを聞いていた。すると、阪南は「みんなでどこかに遊びに行ってみたい!」とワクワクしながら答えた。何でも、とてもしたい事らしい。放課後にそれを俺以外にも話をしたという事らしいが……
「……この6人なのか?」
「? そうだけど」
イマイチ質問の意図がわからない、という様な顔をしている。少なくとも俺には不安な要素しか出てこない。御崎さんに田月、秋と神無月。そして俺と阪南。この6人でどこかに出かけようと阪南は提案してきたのだ。俺や阪南はともかく、他のメンバーは友人がいる。なのに、誘ってはいけないというのは少し理不尽ではないだろうか。
「せめて、阿須和さんはダメなのか?」
「ごめん、何というかこれ以上人が多くなったら色々大変だと思うから、6人で行きたいの……」
阪南は頭を下げる。そんな大げさにやられても困るので、頭を上げさす。
「まあ……そこまで言うならそれでいいけど……、んでどこに行くんだ?」
「それは、これからだよ」
まあ、その線もアリではあるか。みんなで話し合ってから行く場所を決めるという事なのだろう。察しはつく。
「それで、他の皆には次の土曜日に喫茶店で集合する事にしてるから」
俺は首を頷かせる。次の土曜日……それは、1学期最後の休日の始まりだった。その日に、あの喫茶店に行くという事だろう。
「へへっ、喫茶店行くの久しぶりだよね」
阪南は感慨深そうに、喫茶店の事を話す。そういえば、あの喫茶店は5月以来行っていない。理由としては金銭的な問題が挙げられた。要は、中学生が何度も喫茶店に行けるぐらいのお金を持っている訳が無いという事なのだ。
「じゃ、次の土曜日に……また」
この会話はそこで終わった。その後はいつも通り二人で帰っていった。そして、いつもの交差点に着いた。3か月ちょっとじゃこの交差点にあまり変わりは無い。強いていえば、草木がとてもキレイな緑色一色になって虫を見かける事が増えた事……だろうか。
「それじゃ、また今度ね」
阪南は手を振って、いつもの横断歩道を渡っていく。俺はその背中を見送っていった。ある程度阪南が遠くなっていくと、横断歩道の信号は青になっていた。俺は、そのまま横断歩道を渡っていく。途中、車が曲がって通ろうとしているのが見えたので走って向こうまで渡った。
最近は陽がなかなか落ちなくなった。外が明るいと、安心感を得られる事ができる。代わりに少し暑くなり始めて来たが。
歩いていると、少しずつ声が聞こえる。それは、子どもの声だ。帰り道を進めば進む程、声は大きくなる。声の主が居たのは、俺の家と対極的に位置する公園だった。
子ども達は全員で3人。公園にはこの3人の子どもだけで、それで俺はこの辺りに住んでいて、恐らく小学生なのだろうと思った。
「わ~! 待て~!」
「待たないよーだ!」
様子を見る限りは追いかけっこで遊んでいるようだ。正直声だけを聞いたら、いじめか何かと思っていただろう。
しばらくすると、子ども達は公園から出てどこかへ行ってしまった。俺は、その様子を見届けると家のテレフォンを鳴らした。
「ん~おかえりー」
家から帰る度に聞くその言葉に対し、「ただいま」と返した後は最初に手を洗ってうがいをしている。次に自分の部屋に入って服を着替える。
一連の作業を終わらせると、外は少し暗くなり始めてきていた。俺は、部屋の電気を点けた後、のんびりと残りの1日を過ごした。
*
土曜日、俺は阪南からの電話で今日は喫茶店に行って話し合いをする日だという事を聞くまで、用事をすっかり忘れていた。急いで準備をして外に出る。実は、6月終わり頃に連絡を交換していたのだが、それが活かされた形になる。
「遅~い! 遅いよ!」
阪南が商店街前で待っていた。俺が遅れた事を謝った後は、喫茶店まで歩いていく事になった。どうやら俺以外は全員喫茶店で集合していたらしい。
「もー! 遅れたの昌弘だけだよー⁉」
「だから、悪いって言ってるじゃん」
「ぶー」
阪南は頬を膨らませる。彼女の顔だちはしっかりとしているため、その顔も男子受けには十分なぐらい愛らしい……とは思ったが、心の底からは到底思えなかった。
あの喫茶店前まで行く。阪南が扉を開けて先に入っていった。俺はその後に続いて入る。
「あ、江口先輩やっときましたね」
秋から始まり、全員にそう言われた。俺が悪いのはわかっているからそれはやめてほしい。
「……じゃ、早速夏休みどこいくか話し合いましょ」
阪南は仕切りなおす様に話し合いを始める事を促す。そう思えば、彼女が大体何かしらの始まりだった。この3か月間、ずっとそうだったような……。
そんな回想を挟ませる間も無く、話し合いは進んでいった。
「僕としては、楽しめる場所がいいと思いますよ……大人数ですし」
「私、静かな場所が好きだけど……皆で楽しむのならどこでもいいですよ」
「私はショッピングモール行ってみたい! なんか皆で買い物するの楽しいじゃん!」
「いや、そうは言っても何も買うものないだろ」
遊びのための会議はどれだけ時間が経ったのかわからないぐらいには白熱していた。皆が皆、アイディアを出し続けて、どんな所がいいか入念に話あった。遊ぶために話し合っているだけなのに、ここまで楽しめるのが自分としてもすごく、驚いていた。
「ちょっと待ちなさい」
彼女の一言によって、その話し合いは止まった。全員、神無月の方へと注目していった。
「まだ一つ挙がってないものがあるでしょ? ……阪南、わかる?」
「ん~? ……海?」
「確かにそれもそうだけど……私としては、遊園地が良いんじゃないかな……と」
神無月から挙がったのは、複数人で楽しむ施設でお馴染みの遊園地だ。俺は遊園地に行った事があるのは幼稚園の時ぐらいなので、少し興味を持ったが周りはと言うと……。
「でも、お金かからないですか?」
「そうですよ、遊園地って楽しいんですけど、結構お金かかりますよ」
少し難色を示していた。どうやら、金額に関する話が問題だったようだ。
「あら? 皆そこまでお金持ってないの?」
全員一斉に頷く。……遊園地はちょっと厳しいのか? そんな疑問を浮かび上がる。
「……なら、私が全部払うわ」
神無月からとんでもない発言が出る。全部払う? 自分ひとりで?
「いや、何言ってるんだよ……」
「大丈夫よ、私のお父様は大会社の会長だしお金なら余りに余ってるから」
「えっ⁉ 美代ちゃんの家ってそんなに大金持ちだったの⁉」
阪南が驚きの声を上げる。それは、周りも同じ事だったのだろう。だって彼女から何も聞かされていない事をここでさりげなく聞かされては、驚くのも無理は無い。
「あら? 言ってなかったっけ?」
「言ってないよ‼ 驚いたよ‼」
「ごめん,ごめん。何も言ってなかったわね。まあ、でも一応お嬢様という事。後、お嬢様学校とかじゃなくて一般的な中学校に通ってるのは私の希望だから、ね? いきなり現実味の無い話だろうけど、信じてね」
そう言って、神無月は口元に人差し指を置く。まさか、神無月がお嬢様だったとは誰もが意外だっただろう。
この事が決めてとなり、夏休みに遊びに行く場所は遊園地……さらに、行けたらとびきりの高額がかかる場所にすると言う事になった。神無月は行けなかったらレベルが下がるかもしれないけどそこはよろしくと言っていたが、それを抜きにしても非常にありがたい事だった。
「すごく頼りになる人いて良かった! 友達っていいよね!」
「何だそれ……」
ちなみに、今日の集まりでの会計は俺に任された。いつの間にか満場一致で俺が支払う事で決定したのだ。
「じゃ、よろしくー!」
俺を残し、最後に店内からでたのは阪南だった。何故、毎度の如く俺がこういう細かい事をしなければならないのか、都合がいいからなのか、わからない。
考えても仕方のない事なので、さっさと会計を済ませる事にする。
「あの、すみません」
「あ、……お会計ね」
喫茶店の若い女性のオーナーである、亜美さんは俺の声に気づくと笑顔で対応する。これを一人で切り盛りするのは結構大変だろうと、いつも思っている。
「あなたの周り、ずいぶん友達できたじゃない?」
「え……と、そう、ですかね」
いつもいるメンバーではないと、いつも俺はこんな感じに飛び飛びに発言をしてしまう。まだ、他の人との会話には慣れていないという感じなのかは、よくわからない。
「……まあ、私が言うのもなんだけど、どんな事があってもしっかりと前をみないとダメよ」
「は……はあ」
これを言った時だけ、妙に真剣な顔だった。そして、亜美さんは金額を伝えた。そこには、いつもの笑顔があった。
「あ、戻ってきたね! それじゃ帰ろっか」
お店から出ると全員が待っていた。俺は阪南に同意して全員で帰える事にした。
商店街を歩いていると、何となく気づく事がある。この商店街は3つの交差点が一定の距離感にある事だったり、昔ながらのコーヒー店があったり、少し道を外れて路地の方へ行くと居酒屋がたくさん経営していたり……そんな細かい事に今更のように気づいていた。
「楽しみだよね~」
「そうですね……! 遊園地行けるの、とてもわくわくします」
「流石、神無月先輩ですね」
「流石じゃないわ、当然よ」
そんな会話が繰り広げられている。そんな中、田月が俺の横に移動して話しかけてくる。
「ひとつ、聞いていいですか?」
「? 何をだ」
「あの喫茶店の若いオーナーの人と何か話していたでしょう。少し深刻そうな雰囲気ありましたよ」
突然の事に困惑する。確かに窓から中の様子が見えるのだが彼は、よくそんな細かい顔の変化に気づけたとは思う。
「ああ……多分、亜美さん心配しているだけだと思うから」
「そうですかね……なんとなく、なんですが。彼女、近い内にそうなるのかもしれないと感じて忠告しています……そんな顔でしたよ?」
田月は、妙に勘ぐり深い様子で聞いてくる。俺に言われても、それがどういう意味なのかがわかりにくい。
「……まあ、大丈夫だと思っとけばいいと思う」
「そうだといいんですが……」
田月はあまり、納得のいっていない様子だった。それを見ていると、こっちまで心配してきてしまう。他のメンバーが楽しそうに会話している分、余計に。
「あのさ……俺」
「あの! 田月さんはどう思いますか?」
御崎さんが、横から田月に声を掛けてくる。田月は驚いて、御崎さん達の方へ向いた。
「えっ……何が、ですか?」
「何って……聞いてなかったの? アトラクションの話だって!」
阪南が今の話の内容を説明する。どうやら、4人でどのアトラクションをいくのか話し込んでいたらしい。
「ほら! 田月はどこ行ってみたいの⁉」
そうして、田月も会話の中に引っ張られていく。俺は、一人考え事をする。亜美さんの言っていた事、田月の懸念している事。それが、一体どういう意味をもたらすのか。
その時は、まったく考えられなかった。もうすぐ、商店街の出口が見えてきた。
*
「よお、昌弘!」
教室に入って聞いた第1声が拓海のものだった。拓海は俺の席に座っていたので、とりあえず荷物を置く。
「……もう1学期も終了だってな」
「おお、そうみたいだな。もう3分の1が終わったという事か」
3分の1が終わった。一言で言ってみれば、あっさりとしたものだったが、それは本当に重みのあるような事だった。もう、3分の1が終わってしまったと言う事なのだ。
阪南と一緒に居たのが、3か月弱程でそれがあっという間という感覚がとても重みがあって、ずっしりとのしかかってくる。
「……ん? 阪南じゃん! おはよう!」
拓海の声に合わせて振り向くと、そこには通学カバンを背負っている阪南がいた。しかし、その様子は昨日までと明らかに違った。
「……おはよう」
元気が無かった。挨拶からはいつもの元気いっぱいで「おはよう!」と言うのに、今日は違った。やる気がない、そんな挨拶だった。
「ん? どうかしたのか?」
「あっ……何でもない」
そう言って黙りこくる。それから、しばらくの沈黙があった。俺も、拓海も、阪南にどう声を掛ければいいのかわからないのだ。今まで阪南が元気のない事が一度も無かったので、どうすればいいのかわからなかったのだ。
「……と、とりあえず座ろ、もうすぐ先生来るし」
阪南は俺をそそのかして、席に座らせようとする。しかし、生憎俺の席には拓海が座っていたので、座る事は出来ない。拓海は一瞬の判断で席から立つ。
「拓海くんも、ほら、早く座ろ?」
「おっ……おお」
流石の拓海も困惑気味だった。そうだろう。彼女がこんな一面を見せるのは今までで初めてだった。
阪南の変化の意味は、まだわからなかった。
*
「それでは、これからくじ引きを始めますので皆さん一つずつ引いて行ってください……」
先生が言う。席替えで、次の席を決めるためのものとして、くじ引きをする事になったのだ。このくじ引きの結果で、2学期からの新しい席が決まる。
一つ、残念だと言える事は阪南と席が離れてしまうと言う事だろう。今の席では、いつも彼女が横から話しかけてくれたのだが、2学期からはそれが無くなると言う事だ。無理もなかった。
しかし、その阪南はなんだか元気が無い様子だった。くじを引く番になっても、彼女は遅れて反応していたので、何か思い詰めている事でもあるのだろうか。
しかし、昨日はまだ元気だったはずだ。という事は、家に帰った後に何かあったのだろう。
「阪南、今日は一緒に帰るか?」
放課後、俺は横の席にいた阪南に声を掛ける。阪南は少し驚いたかと思うと、微笑んで「うん」と答える。微笑みは、どう見ても自然では無かった。
「……なあ」
帰宅中、俺は阪南に声を掛ける。一緒に歩き始めてから数分は経つのだが、いつものようなマシンガントークは全然してこず、斜め下を向いて俺の横を歩いていた。
「あの後、一体何があったんだ?」
俺は質問をしてみる。あの後、一体何かあったのかが知りたかったのだ。すると、阪南は驚いた顔をしてこちらの方に顔を少しずつ向かせる。
「ごめん、心配かけちゃった? 何でもないから」
そう言うと、阪南は少し笑い声を上げる。阪南が笑い声を出す事は今まで無かった筈なのに、何故今。
「……阪南、お前」
「あっ、もうすぐいつもの所に着くからここでお別れだね。じゃあね」
俺の言葉を遮った阪南は言った。前の方を見ると、そこはいつもの交差点だった。気が付くと、阪南は駆け足で信号を渡っていってしまっていた。
「……一体何があったんだよ」
俺は、それを見る事しかできなかった。何故、この時追いかける事が出来なかったのだろう。
*
「んでな、その選手がうまくシュートを決めて……!」
僕は放課後、教室に残って友達と色々な話をしていた。友人の彼と僕は趣味が共通している。それがきっかけで友達になった。
「すごいな! 僕もそんな選手になってみたいって!」
「だろ⁉ やっぱりスポーツは面白いよな‼」
僕は友達の意見に同意をする。こんなにもスポーツは面白いのだから、もっと認知されても良い。
「……あ、僕もう帰るよ」
「秋、もう帰るんだな。んじゃまたな!」
僕はそう言って荷物を持って教室を出る。今日は、早めに帰ろうと思っていたから彼には悪かったが、先に帰った。
8月の初め頃に遊園地に6人で行く。といっても、同年代は僕だけで後は全員1学年上の先輩である。正直、肩身が狭いが神子先輩がいる事で少しは安心できる。ちなみに、友人に言うと嫉妬されるので、この事は話していない。
「……若木くん、今いいですか?」
「はい?」
声を掛けられる。その声の正体は田月先輩だった。少し、無骨な表情だった。
「どうしたんですか?」
「御崎くん、の事なのですが」
……なるほど、彼女の事か。御崎先輩に関しては、神子先輩から聞かされていたので知っている。少しおとなしめな性格で……田月先輩の事が気になっているという事らしい。
「彼女、毎日の様に何か見せてきたリ、アピールしてきたり……何故か、変なんですよ」
それは、アプローチだと内心で思いつつも、率直に言ってしまっては困惑させてしまうかもしれないので、少し気づかせようと話を進める。
「……そうなんですか。所でどんなアピールをしてきたんですか?」
「何か成功したり、テストの点が良かったりした時にアピールを……」
「なるほど」
彼女なりのアプローチは、田月先輩には伝わっていないという事か。
「それなら先輩、大丈夫ですよ。彼女、全然変じゃないです」
「? どういうことですか?」
「その内わかると思うので、では」
そう言って、廊下をまた歩き始めた。御崎先輩のアプローチがいつか芽生える様に願っておこう。
*
一体なにを言いたかったんだ。僕は、頭を悩ませる。
最近、夢が僕に対してだけ反応がおかしかった。そのために、神無月に聞いたら「秋なら知ってると思う」と答えたから彼に聞いたのに、ニヤニヤとされて帰られてしまった。
「僕だけがわからないのか……」
ぶつくさ独り言を呟く。そうだ、夢のクラスに行けば彼女に会えるかもしれない。一応、行ってみよう。
夢の教室の前まで行くが、教室はもぬけの殻で電気は一つも点いてなかった。
「そうだよな……」
まあ、放課後に残っている生徒なんて数少ないので、仕方のないことだと思って諦める。今日はもう家に帰ろうと思った所だった。
「あ、田月くんやっほう」
ゆいが声を掛けてきた。そういえば、ゆいは夢と仲が良かった。たまに彼女から夢の話題が出る事もあった日があったので、相当仲が良いんだと思う。
「ああ、ゆい。そういえば、御崎くんは?」
「夢ちゃん? ……ああ」
納得したような表情をされる。何故、その顔になるんだ。
「夢ちゃんはもう帰っちゃったよ」
「……そうですか」
やはりか。なんとなくわかっていたのだが、つい聞いてしまった。最近、夢の動向が気になり過ぎて仕方なかった。自分でも変なのはわかっているのだが、気にしないようにする事ができなくなってきている。
「……ちなみに私は忘れ物取りにきたの」
ゆいは笑顔で鍵を見せる。そして、教室のドアの鍵を開けた。