「おはよ!」
阪南は笑みを浮かべてこちらに声を掛ける。今日は、昨日話し合った事を実行する日なのだ。遅れるわけがない。
「二人が邂逅するのは大体7時50分ぐらいか?」
「うん、そのくらい」
一応の確認を取った後、俺達はいつも口論が始まる下駄箱近くの通路で待機をする。ここには置時計が設置されており、時間を確認できるのもあったし何よりここなら二人の様子を確認する事ができる。
「それじゃ、20分ぐらい待つけど良い?」
「……もちろん」
間を置いて、承認する。これから、二人を和解させるために話を付けるのだ。そのタイミングは、二人と確実に話せるタイミング……要は、口論中のタイミングに入り込むしかない。
成功するかどうかわからないが……もうやるしかないのだから。
「……そろそろ二人が来る時間だよね」
「ああ……」
時計の針は7時50分を指していた。このぐらいに秋と神無月が学校に着き、そして口論が始まる。よく先生に気づかれなかったものだ……いや、良く考えたら見て見ぬふりをしていたのではないか? そんな疑問をよぎった時、それは始まった。
「……また同じ時間に来たのね」
「別に、そんな訳じゃないですよ」
二人の声が聞こえる。まだ、冷静さがあるその声の響きは緊張感を極限まで高める。
「阪南、大丈夫か?」
「……大丈夫、大丈夫! 平気だから」
そう言いながらも、少し震えている。どうやら、緊張や恐怖を無理にごまかして明るく振る舞っているらしい。
「……無理はするな、いざとなったら俺一人でやるから」
「……んな! そんな事できるわけないよ、私がやらないと気が済まないの‼」
小声で会話をしていると、段々二人の声は大きくなり始めて来た。
「いつもぶつかってくるよね‼ 何なの⁉」
「先輩こそ、思い込みをやめてくださいよ!」
これは、完全に一方的だな……。神無月の方が攻めに入っていて、秋の方はというと防戦一方だ。これをこじらせたら、もはや騒ぎに発展するかもしれない。
「……今が良いんじゃない⁉」
「……適当に言ってるだろ、まあそろそろ言った方がいいな」
そして、俺達が二人の間に介入するのを実行する。二人の周りには野次馬が居たが、それをのけて二人の元へ着く。
「待って!」
阪南が大声を上げ、制止する。それと同時に周りは一転し、静かになる。みんなこちらに注目しているのか、目線が集中する。
「……先輩?」
秋は、驚いた様子で言葉を発す。ここからは完全にアドリブでやらなければならないが、やらなければならない。
「ちょっと‼ 何邪魔してるの‼」
「邪魔なんかしてない‼ ただ二人が毎日口喧嘩するのを止めただけ」
神無月は言葉で弾圧する。阪南はそれを否定して、目的を述べる。
「ちょっと! 原因はこっちにあるんだから‼ 毎日の様にスカート越しに触ってきて……‼」
「だから、あれはただの事故で……」
「……ス、ストップ、ストップ! また口喧嘩始めても仕方ないだろ‼」
俺は慌てて制止させる、そして阪南の方を見る。俺は首を頷け、阪南はそれを了承した。これが、本題だ。
「今ここじゃ和解なんて無理だと思うから……」
なんとか上手く行けた。しかし、これはまだ始まりなのだ。ここからが本番にして最難関。しかし、これ以外に思いつかない。
そして、阪南は本題に入らせる。
「――放課後、街中を歩いてお互い落ち着いてからしっかり話し合お?」
それを述べた直後、神無月の方から抗議を受けるがなんとか説得して放課後4人で街中を歩いて話し合う場を設けさせる事に成功した。
その日は、ぐったりしていて授業の内容をほとんど覚えていない。今日の時間割に体育が入ってなかったため、ぐったりした状態で受けずには済んだが。
しかし、こんな事でぐったりしている場合ではない。何故なら、この後の話し合いが控えているのだから。一応、外ですることにしたのには理由がある。外の方が落ち着けさせるスポットはいくつかあるし、何より歩いている中で、お互いの特徴に気づけられるかもしれない。
「なあ……」
阪南に声を掛ける。今は、校門前で2人を待っている所なのだが、声を掛けた理由は、不安が一つあったからだ。
「二人とも、来てくれると思うか?」
そこが一番の問題だった。俺達より先に校門を抜けて帰っていった可能性があるのかもしれない。特に、神無月に関しては相手といる事を嫌がっているきらいがあった。
「大丈夫、大丈夫。ここからしか学校出る事できないし、何より私たちは割と早めに着いたんだから大丈夫だって」
そんな事言われても、大丈夫と思えないものを大丈夫と思うのは難しかった。ただ、待つことしかできなかった。
結果としては、二人は来てくれた。どちらかというと、阪南が無理やり連れてきたようなものだったが。ただ、本当に成功するかどうか自信が無い。
「来たわよ……早く行きましょ」
やたらと突き刺さる冷たい口調だった。それが、彼女にとって望まない事であるというのを痛感させてくる。
「行こ行こ、さっさと行かないと置いてくぞ」
阪南は神無月の後を追いかける。ついでに、秋の手を引っ張って連れていく。
そうして、4人での街歩きが始まったのだが……。
「…………」
俺達4人の輪の中は無言でった。あんなに良く喋る阪南も、何も言わない。その理由はよくわかる。秋と神無月の険悪な雰囲気を身で感じて、とてもではないが話をしづらい。
やはり、二人を連れだすのは失敗だったのか。気分を落ち着かせるにはダメだったのか。
すると、阪南がこちらに寄ってきて耳元に何か声を掛ける。
「どうしよっ、空気悪くて話かけづらいよ」
小声で「だろうな」と答える。
「それだけ⁉ もうちょいなんとか動かさないと」
なんとかって言われても、どこが一番落ち着けるか。自分で選ぶなら、あそこしかないと思う。ただ、どうやってそこに行こうと切り出すには勇気が必要だった。
「河川の方を行くように言うか」
阪南にその場所を伝える。阪南は不安げな顔で覗いてくる。俺は大丈夫だと伝え、二人の方へ行く。
「あの……二人とも」
神無月はすぐにこちらを睨み付ける。こいつと一緒に呼ばないでと言っているのだろうか。俺は一旦咳き込み、そして改めて言い直す。
「河川の方に行ってみないか?」
今日の川は、底の一部が少し見えた。それでも、流れている所は底を見せず強く水が流れ続けている。
「僕は、河川の方に行くの、いいと思います」
秋のこの一言がきっかけでなんとか2人の了承を得て、ここにくることができたのだ。人にもよるが、川が作り出す静かでそれでも、耳には確かに伝わるその音は、誰もが癒されるものだと思う。
「……今日は、良い天気だね」
阪南は静かに、その事実を述べる。日は、俺達が学校を出た後より少しずつ、空から降りはじめている。少し、地面が赤くなってきた気がした。
「……」
俺も、阪南も、秋も、神無月も。誰も、何も言わない。ただ川の変化をずっと見ていた。少し、空に小さな白い光がごく僅かだが点いていた。昔はこの小さな光が空を覆い尽くしていたと言う事をたまに聞いていたが、多分光らないだろう。
「……帰る」
一言呟かれる。神無月が動き始める。
「……もう、帰る。時間の無駄だった」
少しずつ声に圧が出始める。このままでは、和解のための街回りが失敗してしまう。
「え、ちょっと……」
阪南が声を上げる。そして、神無月の方へと行く。
「お願い。帰らして」
阪南は、彼女の感情が籠るその声に怖気なかった。
「お願い。返事を教えて。落ち着いた? そうじゃない? どっち?」
「落ち着いた。でも、やっぱり気が許せない」
「……許せなくても、良いんだよ?」
阪南は突然神無月に対してそう言った。秋の方はと言うと、ただ目を見開いて二人を見つめているだけで何も言わない。
「だって、まだ許せる段階じゃないと思う。なら、少しずつ許せる気持ちを作っていけばいいと思う。ほら、昌弘も」
阪南は俺にバトンタッチしてくる。そんな事言われても、何も聞かされていないのにどうしろと。
彼女の方をおもむろに見る。彼女はただ、頷いた。俺は、それを見て自分が言うべき事がなんとなくわかる気がした。
「神無月さん!」
神無月は肩をすくめて、こちらを向いてくる。
「阪南が言ってるんです! 少しずつ許せていけたら良いんです‼ 誰だって許せない事だってあります‼ でも、彼はあなたが思う程嫌で、残念な人間では無いと思います‼」
「……そんな事言われても」
彼女は拳を作る。そして、
「そんなこと言われても、許せないものは許せない‼」
大声を上げる。声が何度も響いてくる。空が、音で少し響いている様な気もした。
「わかってます……そんな事」
秋が突然、声を震え上げてきた。
「わかってますよ‼ 僕だって許せないです‼ 毎日あんなことを言ってきて、もう限界なんですよ‼ 確かに最近は何度も激突して、お互い痛い目にあうけどだからと言ってこっちばかりが責められて、もう限界ですよ‼ 何なんですか、いい加減にしてくださいよ‼」
秋が今まで会って始めて、怒りを神無月に主張する。すると、阪南がこちらに駆け出してくる。そして俺の耳元でささやいて一言、
「多分なんだけど、これでわかだまり解消できると思う」
阪南はそれだけを伝えて、視線を2人に向けた。