もがく真生の口を塞いで、腹に手を回した男は、今の廃病棟に真生を引きずり戻そうとした。

 廊下には、あの男の霊が迫っている。

 だが、生きている男が真生を抱え上げて、そこを通ったので、霊はそのまま、廊下の端まで、一人が這って行った。

 行ったか……と振り返るが、安心出来るような状況ではない。

 男は一番近い部屋に入ると、まだマットレスの残るベッドに真生を放り投げた。

 ベッドの上にも、その側にある小さな台にも、ガラスの破片が飛んでいる。

 真生はその破片で、半袖のシャツから出ている剥き出しの腕を斬りそうになった。

「おい、娘……」

 そう言いかけた男は真生の顔を真正面から見て、一瞬、黙る。

 だが、それは真生も同じだった。

 ようやく見られた男の顔に、息が止まるかと思った。

 固まっている真生の前で、男はにやりと笑って言う。

「なんだ、お前。
 高坂(こうさか)の愛人じゃないか」

 誰かと勘違いされているようだ、と真生は思った。

 それがいいことなのか、悪いことなのか、まだわからないが――。