「あの、助けてほしくて……」
「はて? 助けてほしい?」
「はい。僕は昔から……変なモノが見えるんです。でも、いつも無視してきました。もう、関わりたくないし、いいことなんて……なにもないし。目も合わせないようにしてきました」

 そう言いながら真司は、長い前髪にそっと触れる。真司の視界は、長い前髪のせいでとても狭い。

「ふむ。それが妥当の判断やねぇ」
「それで、あの……数日前から、家の中で泣き声が聞こえ始めたんです。あ、正確には、家の庭にある物置の中からなんですが……」
「泣き声?」

 少し興味が湧いたのか、女性は真司の話に耳を傾ける。真司は自分の話を聞いてくれることにホッと安堵の息を吐くと、話を続けた。

「はい。両親には聞こえないようなので、人間じゃないとわかって……今までどおり、無視して過ごそうと思いました。でも、その……なんだか、本当に悲しそうだったんです。結局、無視できなくて……声が聞こえる物置の中を探ってみたら、古い掛け軸を見つけたんです」
「ほぉ。掛け軸かえ。それで?」

 女性は興味深そうに頷くと、真司の話の続きを促してきた。瞳の奥は、興味津々といった様子でキラキラ輝いているような気がした。
 真司は俯いていた顔を少しあげ、今度は女性の顔を見て話を続ける。

「はい。その掛け軸は、泣きながら僕に『助けて』って言ってきたんです」
「ふむ。それで?」
「詳しい理由を聞いてみても、泣くばかりで……それに、僕には助ける方法もわからなくて……そしたら、学校で噂を聞いたんです。子の正刻にあかしや橋を渡ると、妖怪の町に繋がるって。それで、妖怪ならきっと、この掛け軸を助けられるんじゃないかと思って」

 真司が夜中に橋にいた理由がわかると、彼女は「なるほどねぇ」と小さく呟いた。

「せやから、あんな時間におったんやね。しかし、そんな噂が流れていたとは初耳やのぉ。相変わらず、人間の情報網は謎だらけやねぇ」
「最初は、その……半信半疑だったんですが――」
「半信半疑やったけれども、怪しい気配のする橋を渡る私を引き止めた。そしてこの町に辿り着き、存在するとわかった……と、いった感じかえ?」

 図星を突かれ、真司は一瞬ピクッと反応すると気まずそうな顔をして、女性から目を逸らした。

「は、はい。なんかこう……はっきりとは見えないんですけど、なにかがあるのは確かだと思ったので」
「ふふふ、なるほどなぁ。お前さんの目の力は、相当強いみたいやねぇ。ところで、お前さん、名は?」
「え? あ、宮前真司です」
「宮前真司、か。ふむ、そうか……私は、この商店街の管理人をしている菖蒲という者じゃ。よろしゅうお頼み申します」

 菖蒲はそう言うと、手のひらの先を畳につけ真っ直ぐな姿勢で深く頭を下げた。顔を上げると、真司に向かってニコリと微笑む。
 その微笑みがまた美しく、かわいらしく、真司は照れたように返事をした。

「よ、よろしくお願いします……」
「さてさて、真司や。その掛け軸は今はどこに? ぜひ私にも見せてほしいんやけどなぁ」
「あ、すみません。今は持ってないんです……」
「ん、そうか……それは残念。なら、仕方あらへんね」

 掛け軸を持ってないことに、ちょっぴりシュンとなり落ち込む菖蒲に、真司は申し訳なくなった。

「あの……明日、持ってきます!」
「ふふっ、そうやね。そうしておくれやす。……さてと、もう時間も遅い。橋まで送ってあげるから、今夜は、はよぉ帰り」
「あ、はい」

 菖蒲はすっと立ち上がって部屋を出る。真司も立ち上がると、菖蒲のあとを追うように廊下へ進んだ。
 真司がいた部屋は客間だったらしく、他にも空いている部屋があった。右手には広い庭と小さな池があり、池の中央には鹿威しが置いてある。廊下というより、真司にはまるで内縁を歩いているように思えた。
 そして、廊下を進んだ先には暖簾が垂れ下がっていた。

 暖簾をくぐると広い板張りの部屋へと出た。その部屋には小さなカウンターがあり、壁や棚、テーブルには置物や小物、壺、絵画などが飾られていた。
 真司は物珍しそうに飾られている物を見る。

 ――なんだか、小さな博物館みたいだ……。

 そう思っていると、隣にいた菖蒲が静かに笑きだした。

「置いてある物が、そんなに珍しいかえ?」
「あ、はい……。なんだかすごいですね」
「ふふっ。ここに置いてある物は、すべて誰かに大切にされてきた物たちじゃ」

 菖蒲は、近くにあった色とりどりの石が填め込まれているガラスのコップの縁をツーッと優しく撫でて部屋を見渡す。

「この家は以前、骨董屋でね。私が訳あってこの家をもらうことになったのじゃ。この部屋にある物は、前の持ち主の物もあれば私が気に入って置いている物もある。ときたま、寂しくなった物がこの家にやってくるときもあるの」
「……はぁ」

 菖蒲の言っていることがいまいちピンとこず、真司は曖昧な返事をして、菖蒲が触ったガラスのコップとその隣に置いてある雪兎の絵が描かれた陶器を不思議そうに見つめた。

 ――物でも寂しくなるんだ……。

「ほら、さっさと来んしゃい」

 菖蒲が表玄関の扉を開けながら言った。真司は慌てて返事をすると、コップと陶器から視線を逸らし、菖蒲の家を出たのだった。