「うっ……ううっ。お願い、お願い助けて……助けて」
「……菖蒲さん」

 真司の呼びかけに菖蒲は、わかったというように深く頷き、掛け軸に向かって優しく話しかけた。

「おまえさんだねあ? ずっと、泣いていたのは」
「うう……えぐっ、えぐっ……」
「お前さんは、なぜ泣いている? なにを願うのだ?」

 女の子は菖蒲の優しい言葉に少し落ち着くと、菖蒲が人間ではないとわかったからか、真司のときとは違い、すぐに心を開いた。
 女の子は、小さな子供が拙いながらも一生懸命相手に伝えるように、菖蒲の問いかけに答えた。

「私のわんちゃん……私のわんちゃんが消えたの。えぐっ、うぅっ。寂しいよぉ……」
「消えたって、どういうことでしょうか?」

 ――もしかして、死んじゃった……とか?

 そう考えると、体からサーッと血の気が引いた。
 菖蒲は真司のそんな不安を感じ取り、真司に向かって「大丈夫じゃ」と、優しく声をかけた。

「掛け軸から逃げ出してしまったんやろうね」
「逃げ出す?」
「うむ。物には、それぞれ生命が宿る。古い物やと特にね。この作者のことはようわからんが、どうやらこれは相当古い物やの。して、問題は、なんの拍子で抜け出し、どこに行ったかじゃ。真司、この掛け軸を見つけたときは、どういう状況やった?」

 真司は、女の子の声が聞こえたときのことを思い出す。

「……たしかあの日、雨が降っていました。すごく天気が悪い日で、雷が近くに落ちたような音もしましたね」
「ふむ。なるほど」
「ううっ。あのね……あのね」
「ん?」

 ふたりは同時に掛け軸を見る。

「大きな音にね、わんちゃん驚いたの……」
「となると、やはり、雷で逃げ出したんやろうねぇ」
「でも、どこに逃げたんでしょうか?」

 菖蒲は顎に手をやり掛け軸を見ながらしばし考える。すると、なにか思いつくことがあったのか「真司、この掛け軸は物置にあったんじゃな?」と、聞いた。

「え、そうですけど……」
「なら探すまでもなく、まだそこにおるかもしれぬ。どうやら、そのわんちゃんは臆病者らしいからの。外に出ず物置の中に隠れてるかもしれんな」

 真司は菖蒲の考えに納得し、まだ犬がここにいることに、ホッと息を吐いた。

「あ、でも、それならどうして自分から戻らないんですか?」
「戻りたくても、戻れなかったんやろうね」
「え……?」

 真司は菖蒲の言っていることがわからずに首を傾げる。
 菖蒲はコホンっとひとつ咳をすると、真相を真司に説明し始めた。