「あははは。大丈夫だよ、咲衣さん。僕ら、『神さま』だから人間の女の子なんかには興味ないんだよね」

「は?」

 いま何か変なこと言わなかった? カミサマ?

「うん。神さま。八坂神社の素戔嗚尊の子供。さっきはお参りありがとう」

 言うや、弥彦さんがふわりとその場で宙に浮き上がった。何これ!? いわゆるイリュージョン的なもの? それともワイヤーアクション?

「種も仕掛けもない。たとえばこんなこととかも」

 拓哉さんが塩をひとつまみして息を吹きかけた。白い塩が宙に舞い、きらきら光る。色が金色になって大きくなって菊の花びらのようにカウンターに降る。

「え――?」

 手に取ろうとしたら、菊の花びらが生き物のように寄り集まっていく。

 ついには花びらは何羽かの蝶になった。金色の蝶が店内の明かりに照らされながらひらひらと幻想的に舞う。

 やがて蝶は、天井をすり抜けてどこかへ消えていった。

 一体何が起こっているのだろう。

 夢? 幻覚?

 ひょっとして、いま食べたおばんざいに何か変なモノでも入ってた?

 弥彦さんは相変わらず宙に浮いたまま、腹ばいで寝そべるような姿勢で私を覗き込んでいる。

「いまの人間って、目に見えないものなんて信じられないっていう人が多いけど、目に見えたものさえ信じられないのかなぁ」

「神々と人間が共に生活をする惟神(かんながら)の道こそ京都の心。だから、この店だって町中にある」

 混乱の極致にある私に、弥彦さんが軽やかに笑っている。

「あははは。もう一度、説明するよ。おばんざい処『なるかみや』は一日一組限定で献立のないお店。料金も決まっていないお店。ここまではオーケー?」

「は、はい」

「ただし、僕たち神さまがいまのあなたの心と身体と人生にぴったりのお料理とおもてなしをするお店。このお店で食事を取る人はいまここでこの料理を食べるべき人だから。こんなこと、グルメサイトに載せられないでしょ?」

「まあ、そうですね……。それより、『食べるべき人』って?」

「悩みを抱えていたり、人生の岐路にあったり、どうしても元気が出なかったり、それこそ、にっちもさっちもいかなくなって『神さま助けて!』みたいな気持ちの人たちがたくさんやってくるのさ。きみみたいに引き寄せられてくる人もいれば、何度かそういう体験をして、ここに宿る神さまの力を信じて何度も足を運ぶ人もいる。ね、拓哉?」

「ああ。人生はいたるところで神さまと出会うようにできている。誕生や死だけではなく、病気や恋愛や挫折のときに、そのときはある。その出会い方のひとつとして俺たちの店もある」

 そのときだった。勝手口から「まいどー」という女の人の声がした。
「静枝(しずえ)さんだ。珍しいね。こんな時間に」

「今朝の納品で九条ねぎが漏れてたから、改めて持ってきてくれたんだろう。ちょうどいい。静枝さん、店の方まで持ってきてくれ」

 拓哉さんがそう声をかけると、「はーい」という返事がして明るい表情の女性がジーンズに薄手のブルゾンを羽織った姿で九条ねぎを手にやって来た。念のために状況を説明すると、拓哉さんが調理場に立ち、私がお料理をいただき、弥彦さんが宙に浮いている。

「今日は失礼しました。九条ねぎ、三束。お持ちしました」

 静枝さんと呼ばれた女性は拓哉さんに笑顔でねぎを渡す。

「たしかに」

「遅くまでありがとう、静枝さん」

「いいえ、私が数を間違えちゃったのが悪いんで。じゃあ、私はこれで」

「あ、ちょっと待ってください!」

 双子たちと普通に言葉を交わして出ていこうとする静枝さんを私は呼び止めた。

「はい、何か」

「この人、弥彦さん、どんなふうに見えますか」

「どんなふうって……浮いてますね」

「……浮いてますよね?」

 何だこの会話――。

「ええ、確実に浮いています。目の錯覚じゃないです。あ、弥彦さん、初めてのお客さんをからかってるんでしょ?」

「やだなぁ、静枝さん。僕はそんなことしない真面目な性格だよ。ねえ、真面目な拓哉お兄様?」

「おまえから『お兄様』とか言われると背中がかゆくなるからやめろ」

「あはは。本当の兄さんなんだからいいじゃん。そうそう、静枝さんからも言ってあげて。僕らは神さまだって」

 私は一縷(いちる)の望みをかけて静枝さんの顔を見つめた。

 どうか、嘘だと言って。トリックだと言って――。

「ええ、拓哉さんは五十猛神(いそたけるのかみ)、弥彦さんは大屋毘古神(おおやびこのかみ)という神さまの分け御霊。どっちも素戔嗚尊のお子様ですよ。私はただの出入り業者だけど、いつもお世話になっています。ときどきおばんざいもいただいたりして」

 素敵な笑顔の静枝さんに、私はただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。


 ここは、どうやら本物の、双子の神さまがやっているおばんざい処らしい――。