リナは家の玄関の近くにある姿見の前に立った。
爽やかな朝の陽光が天井近くにある窓から入ってきていて、室内はとても明るい。
鏡の前で、出かける前の身だしなみチェックをしていたリナだったが、鏡に映った自分の姿を見て、なんとも言えない気持ちになった。
今日は新しい職場の初出勤日というのもあって、とりあえずスーツを着込んでみた。
簡単にメイクを済ませ、肩よりも長い黒髪も丁寧に櫛くしで梳すき、とても清潔そうな見た目になっている。
いつもなら、準備完了とばかりに外に出るのだが、どうにもそういう気分になれない。それは、リナの右手にあるものが原因だった。
リナは現在、右手に提灯を持っている。
真っ赤な、自分の顔程の大きさの紙製の提灯だ。正面に【もののけ道】という文字が書かれている。
黒いスーツに、この真っ赤な提灯が不釣り合いすぎて、どうにもリナは出かける気になれなかった。
しかし、この提灯は昨日粟根に『この提灯に火をつけて、道なりにそって歩けばすぐに着きますよ』と言われて渡されたものだ。
昨日の道のりは、家から車で一時間ほどかかったはずだ。しかもそのあと山道をひたすら登った。
自宅の玄関から歩いていける距離ではない。
しかし、なんといってもあそこは『あやかし』専門なのである。
上司は狐耳を自在に出したり消したりすることが可能な御仁だ。
この古臭い提灯を使えばあの山奥にすぐ着ける、というのがなんとも信じ難いけれど、まずは試してみようと、リナは父の書斎から拝借したライターを握る。
玄関で靴を履くと、外には出ずに提灯に火をつけてみた。
するといきなりあたりが暗くなり、リナは驚きでびくりと肩を揺らした。
つい先ほどまでは、玄関は明るかったはずだ。
慌てて窓があるはずの場所へ目を向けるも、そこに窓はなく薄暗い闇が広がるのみ。
それどころかすぐ近くにあったはずの下駄箱や、目の前にあったはずの玄関扉もまったく見えない。
暗くて見えないだけで扉は前にあるのだろうかと、提灯を持っていない左手をゆっくりと前に出すが、なにも触れない。勇気を出して小さく一歩進むと、ジャリと小石を踏む音がした。驚いて下を見ると、タイルが貼られているはずの硬い床が、細い砂利道になっていた。
そして砂利のなかにはぽつりぽつりと光る珠たまが見え、まるでこっちへ来いとリナを誘っているようだ。
ありえない、そう思って提灯を握る右手に力がこもる。
そのときリナは、この提灯の持ち主である粟根の言葉を思い出した。
『道なりに歩けばすぐに着きます』
道なりというのはこの砂利道のことなのだろうか。
それならそうともっと丁寧に教えてほしかったと、リナは粟根の顔を思い出して文句を言いたくなる。
しかしここで恨んでばかりいても先には進めないと、リナは細く長く息を吐き出してから前を向いた。
あたりは薄暗く、この砂利道の淡い光だけが頼りだ。
リナはどうにか一歩、そしてもう一歩と道に沿って進む。
ジャリジャリと小石を踏む自分の足音が妙に耳に響く。
そして、何歩か歩いたところで、急に目の前が明るくなった。
唐突な光の刺激に目をつぶり、そして徐々に目を慣らしてからゆっくりと瞼まぶたを開けると、目の前には看板を掲げたぼろい相談所が見える。
気付けば提灯に先ほどまで灯っていたはずの火がひっそりと消えていた。
「本当に、道なりに進んだら、着いた」
相談所の扉の前で、呆然としながらリナはそう呟いた。自ら体験した不思議な出来事にじっとりと変な汗が出た。昨日の出来事は、心のどこかで夢でも見ているんじゃないだろうかという感覚があった。
でも、一瞬で別の場所へと歩いていったというこの現象を目の当たりにして、リナは改めてこの不思議な世界に自分も足を突っ込んだのだと感じた。しかし、こんなことで怖気づいてる場合ではない。
もうリナはここでしばらく働くと決めたのだから。
爽やかな朝の陽光が天井近くにある窓から入ってきていて、室内はとても明るい。
鏡の前で、出かける前の身だしなみチェックをしていたリナだったが、鏡に映った自分の姿を見て、なんとも言えない気持ちになった。
今日は新しい職場の初出勤日というのもあって、とりあえずスーツを着込んでみた。
簡単にメイクを済ませ、肩よりも長い黒髪も丁寧に櫛くしで梳すき、とても清潔そうな見た目になっている。
いつもなら、準備完了とばかりに外に出るのだが、どうにもそういう気分になれない。それは、リナの右手にあるものが原因だった。
リナは現在、右手に提灯を持っている。
真っ赤な、自分の顔程の大きさの紙製の提灯だ。正面に【もののけ道】という文字が書かれている。
黒いスーツに、この真っ赤な提灯が不釣り合いすぎて、どうにもリナは出かける気になれなかった。
しかし、この提灯は昨日粟根に『この提灯に火をつけて、道なりにそって歩けばすぐに着きますよ』と言われて渡されたものだ。
昨日の道のりは、家から車で一時間ほどかかったはずだ。しかもそのあと山道をひたすら登った。
自宅の玄関から歩いていける距離ではない。
しかし、なんといってもあそこは『あやかし』専門なのである。
上司は狐耳を自在に出したり消したりすることが可能な御仁だ。
この古臭い提灯を使えばあの山奥にすぐ着ける、というのがなんとも信じ難いけれど、まずは試してみようと、リナは父の書斎から拝借したライターを握る。
玄関で靴を履くと、外には出ずに提灯に火をつけてみた。
するといきなりあたりが暗くなり、リナは驚きでびくりと肩を揺らした。
つい先ほどまでは、玄関は明るかったはずだ。
慌てて窓があるはずの場所へ目を向けるも、そこに窓はなく薄暗い闇が広がるのみ。
それどころかすぐ近くにあったはずの下駄箱や、目の前にあったはずの玄関扉もまったく見えない。
暗くて見えないだけで扉は前にあるのだろうかと、提灯を持っていない左手をゆっくりと前に出すが、なにも触れない。勇気を出して小さく一歩進むと、ジャリと小石を踏む音がした。驚いて下を見ると、タイルが貼られているはずの硬い床が、細い砂利道になっていた。
そして砂利のなかにはぽつりぽつりと光る珠たまが見え、まるでこっちへ来いとリナを誘っているようだ。
ありえない、そう思って提灯を握る右手に力がこもる。
そのときリナは、この提灯の持ち主である粟根の言葉を思い出した。
『道なりに歩けばすぐに着きます』
道なりというのはこの砂利道のことなのだろうか。
それならそうともっと丁寧に教えてほしかったと、リナは粟根の顔を思い出して文句を言いたくなる。
しかしここで恨んでばかりいても先には進めないと、リナは細く長く息を吐き出してから前を向いた。
あたりは薄暗く、この砂利道の淡い光だけが頼りだ。
リナはどうにか一歩、そしてもう一歩と道に沿って進む。
ジャリジャリと小石を踏む自分の足音が妙に耳に響く。
そして、何歩か歩いたところで、急に目の前が明るくなった。
唐突な光の刺激に目をつぶり、そして徐々に目を慣らしてからゆっくりと瞼まぶたを開けると、目の前には看板を掲げたぼろい相談所が見える。
気付けば提灯に先ほどまで灯っていたはずの火がひっそりと消えていた。
「本当に、道なりに進んだら、着いた」
相談所の扉の前で、呆然としながらリナはそう呟いた。自ら体験した不思議な出来事にじっとりと変な汗が出た。昨日の出来事は、心のどこかで夢でも見ているんじゃないだろうかという感覚があった。
でも、一瞬で別の場所へと歩いていったというこの現象を目の当たりにして、リナは改めてこの不思議な世界に自分も足を突っ込んだのだと感じた。しかし、こんなことで怖気づいてる場合ではない。
もうリナはここでしばらく働くと決めたのだから。