リナはそこで初めてこの白衣の人がこの心理相談所の店主であり、詐欺師かもしれない男なのだと気付いて、美しいがなにかを企んでいそうな含みのある笑みを浮かべる男を見る。

 思ったよりも、若い。
 そして、父が言ったとおり、たしかにイケメンではあった。


「粟根さんですね?昨日は父が大変お世話になったようで」「まあ、こんなところで話もなんですし、どうぞなかへ。お茶でもお出ししますよ」

 粟根は極上の笑みを浮かべてそう言った。

 しかしリナの耳にははっきりと彼の心の声が聴こえてきた。

『たしか、五年くらい前に買った紅茶のティーバッグがあるはず……』

 と、客をもてなす態度としてあるまじきことを彼は思っており、リナは横に首を振る。

「いいえ、結構です。私はただあなたに文句を言いに来ただけですから。もう父にも私にも関わらないでください! もちろん労働契約なんてなしです。それに五年も前のお茶なんて飲みたくありません!」

 リナがそう言うと、粟根は目を見開いて固まった。

 それもそのはず。古いお茶を出すつもりだったことなんて、彼は言葉に出していないのだ。
 心の声を言い当てられた粟根の衝撃は相当なものだろう。

 そして、リナの今までの経験からすると、この怪しげな男は心を読めるリナを警戒し、怯えて追い出しにかかるはずだ。

 そうなれば、父が受け取った契約書はなしになり、このイケメン詐欺師をギャフンと言わせることができる。彼

 は二度とリナたちに関わろうとしないはずだ。心のなかを暴かれることほど怖いものはない。

 リナは、驚きで絶句している様子の粟根の次の反応を待った。

 しかし、彼の心の声が『本物だ!』と喜んでいたのでぎょっとした。

「私の心を読みましたね?素晴らしい‼」

 予想外にも粟根の歓迎するムードに、今度はリナのほうが戸惑った。

 言葉を失うリナに、粟根は悪魔のような笑みを浮かべた。

「やはり奥の部屋にどうぞ、私たちには話し合いが必要です。リナさんはここで働いてもらいますよ。それにコーヒーなら最近買ったのがありますから」

 そう言った粟根は強引にリナを奥の部屋へと連れていった。

 リナがどんなに彼の心を読んでも、彼は本心でリナを雇いたいらしいことしか聴き取れなかった。
 リナは粟根に受付の奥、『心療室』と書かれた表札が出ている扉のなかに案内された。

 部屋のなかは想像よりも広く、中央には木製の長いローテーブルが置かれ、そのテーブルを囲むように、ふたり掛けの黒いソファと、ひとり掛け用のソファが並べられていた。

 壁際に設置された本棚にはぎっしりと難しそうな本が並んでいて、その隣の小さなデスクにも本が積まれていたが、ほかに家具はない。

 初夏の日差しが窓の白いレースから透けるように照らされて、部屋のなかは異様に明るかった。
 それに妙に静かだ。

「とりあえず座って」
 と言って、心療室のさらに奥にあるカーテンのような仕切りをくぐって白衣の男は行ってしまった。

 男が行く際にカーテンの隙間からコンロが見えたので、あの仕切りの向こうは給湯室のようだと、どうでもいいことを思いながらリナは部屋の中央に置かれている黒革のソファに身を沈める。

 そして、リナは今自分が置かれている状況をどうにも理解できず眉根を寄せた。

 たしか、変人詐欺師に父が変な契約を結ばされ、それを取り消そうとここまで来たはずだ。それがどうして、こんな暖かな日差しに照らされた部屋で、のんびりとソファに座っているのだろうか。
 しかもこれからコーヒーを振る舞ってくれるらしい。湯を沸かす音が聞こえる。