粟根の言葉を聞いて、吾郎は困ったように頭をポリポリと掻いた。
「いや、そういうわけじゃねぇけどもよ」

「まあ、吾郎さんがご自身の癇癪をどうにかしたい、治したいというお気持ちがたしかなら、また個人的にこちらに来てください。僭せん越えつながら、サポートします。ですが、吾郎さんの癇癪を治すのはなかなか大変な道のりです。癖というものは、すぐに治るものではありませんから、時間がかかりますよ」
 にやりと口角を上げ粟根は言った。

「で、でも、先生、さっき手っ取り早い方法があるって」
「私が言ったのは、ご主人が夫婦喧嘩中に雷を鳴らさずに済む手っ取り早い方法です」

「へ?それって同じ意味じゃねぇのか? ま、まさか!」
 と顔色を悪くした赤鬼の吾郎は、悔しそうに顔を歪めて下を向いた。

 先ほど雷を鳴らした迫力からは一変し、いまや消えいってしまいそうなほど小さく背中を丸めている。

「先生は、あれだろ? こんなろくでなしとは別れたほうがいいと、光子に言い
たいんやろ? おでもな、本当は、光子のためを思えば、それがいいんじゃないかと、考えたりもする」
 そう言って吾郎は、でっぷりとしたお腹にちょこんと飛び出ている自分のへそをおもむろに指さした。

「見てくれ先生、おでのデベソ。小さいし、不格好やろ?雷鬼族にとって、デベソは男の誇りだ。ずっと弟の立派なデベソと比べられてな、おでは、自分のデベソが嫌いやった。でも、光子はな、こんなちんけなデベソのおでのこと好き言うてくれてな。でも、おでのデベソはやっぱりブサイクや。光子にはっきりとそう言われちまったしな」

 そう言って吾郎は斜め上を見てどこか懐かしそうに目を細めると、光子のほうに顔を向けた。

 吾郎に穏やかな顔で見つめられて、光子が少し困ったような顔をする。吾郎は、再び視線を粟根に戻すと小さく口を開いた。

「光子は、怒って雷を鳴らしちまうおでみたいな鬼にはもったいねぇ。でも、おで、光子を手放したくなくてずっと言えないでいたんだ」
 そう小さく呟くと、吾郎は覚悟を決めたかのように背筋をピンと伸ばした。

「先生がそう言うなら、おで、光子と、光子と別れる。それが光子のためや」

 苦渋の選択だ、とでも言いたそうに、唇を噛みしめた吾郎がつらそうに言った。
 目には涙が滲んでいる。まさに鬼の目にも涙。

「ア、アンタ……」
 吾郎の真剣な様子に虚をつかれたような光子は戸惑いを隠せない。

「悪かったな、光子。ずっと縛り付けちまってよう。もう自由や。光子といた三百年、最後は喧嘩ばかりやったけど、幸せやった」
 と言って、悲しさを耐えるように唇を噛んだ吾郎が、熱い眼差しで光子を見つめる。
 目を見開いた光子の口が微かに震えた。

 そして、吾郎の眼差しに応えるように、光子も真っ直ぐ吾郎を見つめ返す。
 ふたりは大粒の涙をその目に溜め、お互いがお互いをその目に映していた。

「あ、すみません。盛りあがっているところ悪いのですが、私は別れろとは言うつもりはありませんよ。まあ、もちろんそれもひとつの選択肢ではありますが」

「ええ!?」

 粟根の言葉に、鬼の夫婦は再び声を揃えて、ぴょんと飛び上がって驚きを表現する。さすが三百年連れ添っているだけあって、息がぴったりだ。

「じゃ、じゃあ、その方法ってなんなんだ? それをすれば、おでは光子と別れなくてもいいのか? 癇癪を起こさなくて済むんか?」

「ええ、そのとおりです」
と自信たっぷりに答える粟根に吾郎が怪訝そうな顔をすると、粟根は光子のほうに顔を向けた。

「光子さん、喧嘩になったときに、ご主人の『へそ』については、言わないでほしいんです」
「へそについて? それは、まあ、先生がそうおっしゃるなら言わないようにはしますけど。それで、ほかにはなにをすればいいですか?」
「いえ、ほかにはなにもありません。それだけです」

 粟根があっさりとした口調でそう言うと、鬼の夫婦もリナも、目をぱちくりと瞬かせて粟根を見た。

「それだけ、なんですか?」
 とリナが思わず口を挟むと、粟根は当然だと言うように頷いた。