「またそれかい⁉あー嫌になるねぇ。アンタはいつもそう言うけど、一度だって自分で片付けたことがあるのかい?アンタが放った汚い腰布を毎回拾って洗ってやってるアタシの身にもなりなさいよ!」

 と、光子がカッと噛みつくように怒鳴りつけると、先ほど弱り切っていた様子の吾郎も唇をプルプルと震わせ、顔に怒りの色があらわれた。

「はあ⁉ お前、自分の亭主の腰布をそんな汚ねぇもんみたいに言いやがって!」

「汚いもんでしょうよ!」
「なんだとぅ⁉」

 と、まるで子供の喧嘩のように収拾のつかないふたりを、粟根とリナはどうしたものかと見つめていた。

 なんといってもとにかく大柄鬼の夫婦の喧嘩だ。
 ビリビリと雷のようにふたりの声が心療室に響き渡り、小さな壁掛け時計がガチャンと音を立てて床に落ちた。

 迫力がすごいなんてもんじゃない。ちらりとリナが粟根に視線を向けると、彼は真剣な顔で、ふたりの喧嘩をじっと見入っている。
 そして眺めているうちに口角がにぃっと上がった。
 なにかを企んでいるような様子だ。不審に思ったリナは思わず粟根に尋ねる。

「と、止めなくていいんですか、先生?」
 喧嘩をしているふたりには聞こえないように、リナが小さな声で耳打ちすると、粟根は夫婦喧嘩から視線を離すことなく、頷いた。

「ええ、そうですね。そのうち止めますが、今はまだ止めません」

 そう答える粟根の声色が、なにかおもしろいものを発見した子供のように楽しそうな響きに聞こえて、リナは戸惑った。

「で、でも、このままだと、どんどん喧嘩がエスカレートしそうですよ!?」

 そう小さく抗議の声を上げるリナに、粟根はちらりと視線を動かした。

「あ、そうだ、リナさん。喧嘩のときのふたりの心を読んでてくださいよ。今が一番大事なとこなんですから」

 粟根は静かにそう言って、すぐに視線を鬼の夫婦に戻したが、リナはその言葉に目を丸くした。
 あの鬼の形相の人たちの心を読めと⁉と、さっと血の気が引く。口に出る言葉ですらかなり乱暴である。
 さぞかし心のなかの暴言は凄まじいに違いない。リナはそう思って躊ちゅう躇ちょして、再び粟根を見る。
 彼は再び真剣な眼差しで鬼の夫婦喧嘩を見続けていた。

 先ほどまでの外面ばかりがいい様子とは見間違えるような彼の姿に、リナはこれも仕事なのだと腹をくくる。

 覚悟を決めたリナは、ふたりの鬼の心に気持ちを集中させた。怒鳴る光子の言葉とともに、彼女の心の声がリナに流れ込んでくる。

『なんでこの人はアタシのことを……ザザッ……わかってくれないんだろうねぇ!』

 吾郎の心の声は『最近の光子は怒りっぽいんだ!』と、口にしている言葉とほぼ同じ音が心のなかで呟かれていた。

 何故か光子の心の声にザザッという雑音が入るのは気になったが、お互いが本音でぶつかり合っているのは心の声を聴いても明白だった。

 むしろ心の声のほうが、飛び交うふたりの暴言よりもずっと冷静で、ふたりの本音が伝わりやすい。
 けれどふたりの乱暴な口喧嘩は止まらない。

「じゃあアンタは、アタシが神経質だから悪いって言ってるの⁉」
「別に悪いとは言っとらんだろ!」
「言ってるわよ!ああもうアンタと話してると、イライラするよ!アタシがねぇ、どんな気持ちでいるのかわかってんのかい!」
「わ、わかるわけねぇだろ!そんなに乱暴に言われちゃぁ、わかれっていうほうが無理だ!」

 と吾郎が言い放ったタイミングで、光子から強烈なほど強い感情を持った心の声が、リナのなかに入ってきた。

『グチグチ言う私が悪いっていうの⁉ 頭にきた! ザザッもう許せない!』

 光子は立ちあがり、そして文字どおり鬼のような形相で、吾郎を見下ろす。

「アンタがだらしないから言いたくないのに文句言わなくちゃいけないのよ⁉この、ブサイクなデベソ!!」

 と、今までにないほどの怒声が光子の怒りで歪んだ口から放たれた。
 そして言ってやったとばかりに、ふんと鼻息を鳴らす。

 そんな光子を、吾郎が信じられないものを見ているかのように目を見開く。

 しかしその顔はすぐに怒りに変わった。