カラン。
 駅前の商店街のはずれにひっそりと佇たたずむ小さなバーで、溶けた氷がグラスを鳴らした。
 木目調のシックな店内は、カウンター席が八席ほどしかない。

 カウンターの奥には、綺麗に磨かれたグラスが並べられ、店内に吊るされたペンダントライトの明かりを照らし返している。グラスが並べられている棚の隣には、亜あ麻ま色の酒が入った瓶が所せましと並び、酒に対する店主のこだわりが感じられた。

 その酒瓶の棚の前には、大柄な男が繊細な動きでグラスを磨いている。鼻の下に小さいひげを蓄えて、シャツのボタンを上まできっちりと留めて蝶ネクタイを結んでいる男。彼はこの小さなバーの店主だ。

「うちの娘はよぉ人の心の声が聴けるんだよ。サトリの一族の血を色濃く引いちまってよぉ、それで昔っからいらねぇ苦労ばかり背負ってヒック。なあ、マスター、サトリって知ってるか?」

 そう言って、バーのカウンター席に座って店主に絡む酔っ払いの中年の男がいた。
 スーツ姿のその男は、第一ボタンを外してネクタイを緩めただらしない格好で、グラスに注がれたウイスキーを投げやりともいえる動きで口に運ぶ。

 顔は酒で真っ赤に染まり目も虚ろ。呂ろ律れつも回らない男の様子を、グラスをクロスで拭きながら店主は心配そうに見やった。
 その酔っ払いの男はこの店の常連だった。男は、自分の娘は人の心の声を聴くことができるのだと時折言い張る。
 そしてその話をするときは、必ず悪酔いしているのだ。
 店主はまた始まったとばかりに眉尻を下げて首を横に振る。

「サトリ?なんだいそれは。知らないねえ。それよりも徹とおるさん、飲みすぎなんじゃないかい?」
「娘はよぉ、心根の優しい娘なんだよぉ。わかるか?なあ、マスター?ヒック。ただちょっと、心が読めるってだけで、どうしてこうも生きづらいもんかねぇ」

 徹と呼ばれた男は、亜麻色の液体が入ったグラスを握りながら、酒が回って真っ赤になった額をテーブルに押し付ける。

「徹さん、もう酒はやめておきな。その自慢の娘さんも、父親がこんな遅くまで店で酔いつぶれてたら心配しちまうよ」

「これが酒を飲まずにいられるかってんだ。だってよぉ、娘はなにも悪くないんだ。 心根の汚ねぇやつにちょっとばかし活を入れただけさ。なあ、そうだろう?   ヒック。 それなのに、会社をクビにさせられてよぉ。こんなのあんまりじゃねぇか、なあ?」

「これが酒を飲まずにいられるかってんだ。だってよぉ、娘はなにも悪くないんだ。心根の汚ねぇやつにちょっとばかし活を入れただけさ。なあ、そうだろう?ヒック。それなのに、会社をクビにさせられてよぉ。こんなのあんまりじゃねぇか、なあ?」

 カウンターに突っ伏しながら嘆く徹を見て、店主はため息を吐いた。

 すると、先ほどまでカウンターの隅で飲んでいた若い男が、徹の隣に移動してきた。
 黒い髪に、鼻筋がすっと通っていて、誰もが口を揃えて美形だと言うであろう顔だ。男の格好は、藍染の作さ務む衣えの上に白衣を羽織るという一風変わった身なりだった。
 しかし、この世の者とは思えないほどの美貌のせいだろうか、古い洋館のような落ち着いた雰囲気のバーに、その和装は妙にしっくりとくる。

 しばし目を奪われたかのように呆然と男を見ていた店主だったが、うるさい徹に文句をつけに来たのかもしれないと思い、「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げた。

「この人は悪い人じゃないんですが、娘さんになにかあると酒が悪さしてこうなってしまうんですよ。さっきも自分の娘が心を読めるだなんだって変なこと言って。端のほうに移動させますんで、大目に見てやってください」
 店主がそう言うと、男は首を左右に振り、詮索するように話し始める。

「いえいえ、私は別に怒ってるわけではありません。とても興味深い話が聞こえたので、もう少し詳しく話を伺いたいと思っただけですから」
 そう愛想よく答える男の声が耳に入った徹は、突っ伏していた顔を怠そうに上げた。

 徹が目にしたのは、榛はしばみ色の瞳を持つ若い男だった。切れ長の目元は涼しげで、顔の輪郭も顎が細く、そのうえ肌も色白だ。誰が見ても男にしておくにはもったいないと思うほどの美しさを放っていた。
 その目の覚めるような美青年に、徹は思わず眩しそうに目を眇すがめる。

 すると若い男は一枚の名刺を恭うやうやしく差し出した。

「私、実はこういう者でして。是非、人の心を読めるという娘さんの話を伺いたいのです。もしよかったら、娘さんにうちで働いてもらえないでしょうか」

 そう言って渡された名刺には、
【粟根あやかし心理相談所 店主 粟根仁】
 と、書かれていた。

 粟根と名乗ったその男は、そう言って口角を上げると悪魔のような妖艶さを浮かべ、にっこりと微笑んだ。