* * *
「新入部員の御厨です。よろしくお願いします」
「柚木です。よろしくお願いします」
次の日。事情を話すとふたつ返事で承諾してくれた二人は、揃って部活に初参加してくれた。調理室に四人もいるのはなんだか慣れなくて、こそばゆい感じ。
「二人とも改まっちゃって、なんだか変な感じね。部長の百瀬菓子です。これからよろしくね。と言っても私は文化祭までだから、一緒に部活できるのはあとちょっとになっちゃうんだけど」
「はい、こむぎちゃんに聞きました。さびしくなりますね」
「うん、でもギリギリで部員が増えて良かったわ。二人ともありがとうね」
「お世話になったんだから当然っていうか。今まで部員じゃないのに遊びに来ていたのがおかしかったんだし」
柚木さんはあの日以来週一ペースで遊びに来ていて、そのたび菓子先輩に簡単な夕食メニューを教わっていた。
「うちの母も感謝してます。母も私に触発されたおかげで、今うちの夕飯のレパートリーがけっこうすごいことになってます」
「それは良かったわ。お母さまの腰の具合は大丈夫?」
「はい、おかげさまで手術にならずに済んで、夜勤にも復帰して元気にやってます。これに懲りてこれからは身体をいたわるって言ってました」
「それがいいわ。さて、二人には今度エプロンと三角巾を準備してもらうとして、今日は文化祭のミーティングをしましょうか。その前にお茶を淹れるわね」
人数が増えたので、お茶を淹れるのも大変だ。菓子先輩はいつも通りティーポットで紅茶を淹れている。昨日までは二客しかなかった揃いのカップが、四客になっていた。アンティークっぽいティーセットは、よく考えたら菓子先輩の私物なのだろうか。
いつも淹れてくれていた高価そうな紅茶の茶葉も、きっとそう。菓子先輩がいなくなったら、それらの物すべてが、ここからなくなってしまうのだろうか。
「小鳥遊さん、どうしたの。お茶入ったよ」
「あ、うん」
「元気なくない?」
柚木さんはいろいろと鋭いので、私が不安に思っていることも全部伝わっていると思う。でも泣いたりすがったりして菓子先輩を困らせたくないから、せめて部活のときだけは元気でいなきゃ。
「そんなことないよ、大丈夫」
「ならいいけど」
さびしい。不安。ひとつでも口にしたら張りつめていたもの全てが崩壊してしまいそうで、私はそれを誰にも打ち明けられない。友達にも、菓子先輩にも。
たった半年たらず一緒にいただけなのに、今や菓子先輩は家族よりも近い存在になってしまっている。
たった半年。菓子先輩にとっては、半年だけ一緒にいた後輩なんて特別でも何でもなくて、卒業したら私のことなんてすぐに忘れてしまうんだろう。
「さあ、お茶も入ったところで本題に行きましょうか。今年の文化祭の出展だけど、料理部らしく料理は提供したいのね。でも人数が四人だと限界があるしってことで、私なりに考えてみたことがあるの」
菓子先輩の声で我に返った。何やら自信満々の顔をしているので、期待しつつ訊ねてみる。
「なんですか?」
「英国式アフタヌーンティーよ」
どやっ、と効果音が出そうなくらいの得意げな笑みで菓子先輩が発表する。
「アフタヌーンティーってあれですか? 三段重ねのケーキスタンドみたいなのがあるやつ……」
私は実際にそれを見たことはないが、映画や本で知識だけはある。
紅茶専門店などに行けばアフタヌーンティーセットも食べられるらしいが、紅茶だけでもお高いし、高校生には無理である。いつか行ってみたいなという憧れだけがあった。
「そうそう。スコーンやサンドイッチ、キッシュやケーキが載っているあれ。それをつまみつつ紅茶を飲むのがイギリスの伝統的なアフタヌーンティーなの」
「でもそれってかなり大変なんじゃ。四人でそれを作って給仕するんですか?」
「だからね、時間制で人数限定にするの。入ってもらったお客様には、三人にお茶を淹れてもらって、私がアフタヌーンティーの作法を講義する……これなら文化的な側面もあるし、四人でも対応可能かなって。幸い、スコーンやキッシュは作り置きしておけるものだし」
フランス料理店で開催されている、テーブルマナー教室のアフタヌーンティー版みたいなものかな? とぼうっと考えていると、
「なるほどー。すごく面白そうだし、女子受けも良さそうですね!」
みくりちゃんがまっさきに賛成し、
「すぐに席が埋まりそうだから、整理券を作って予約制にするのが良さそうですね」
柚木さんが具体案を提案した。
なんだかこの二人、私よりも菓子先輩といいコンビなのではないか? 私も何かためになる意見を出さなければ。
「あ、あの。茶器とかケーキスタンドはどうするんですか?」
「ティーポットとカップは調理室に揃っているぶんでまかなえそうだし、ケーキスタンドも実は在庫があるのよ……。確かこのへんの棚だったはず……」
菓子先輩は調理室のすみっこにあった棚をがさごそ探り始めた。
「あ、あった。これこれ」
菓子先輩が埃をかぶった箱から取り出したるは、金色の装飾が美しい、白いお皿のケーキスタンド。
「実は昔、料理部の人数が多かったときは、月一でお茶会をしていたのよ。部費にも余裕があったしね。そのときに揃えたものなの。また使うことになるなんてねぇ……」
「へえ、優雅ですね」
きっと浅木先生が顧問だったころなのだろう。みくりちゃんはあの先生を知らないから、のほほんとしたコメントをしているが、浅木先生を囲んだ月イチのお茶会なんて、王子を取り合う貴婦人たちのぎらぎらした抗争しか思いつかない。怖すぎる。もしくはアリスたちに囲まれた帽子屋?
そこまで妄想したところで、ピーンと思いつく。
「あ、あの。予算とか準備的に大丈夫か分からないんですけど、ちょっと思いついたことがあって」
「なあに? なんでも言ってみて」
「アフタヌーンティーって、ちょっと敷居が高い感じだと思うんです。それをなくすためにテーマを決めて、服装とか装飾とかに凝ってみたらどうかなって。例えば、不思議の国のアリスとか」
言ったはいいけれど、的外れのアイディアではないか、菓子先輩たちを呆れさせてしまうのではないかと緊張した。だけど、私の言葉を聞いた菓子先輩は顔をぱあっと輝かせて、
「アリス! 素敵だわ。帽子屋のお茶会のシーンも有名だものね。それなら真面目なお茶会というより、アトラクションみたいな感じで楽しんでもらえるかも」
と喜んでくれた。
「ま、まさか服装もアリスの仮装をするとか?」
柚木さんは少し引き気味のようだ。
「コスプレは私も抵抗あるし、テーマパークに売っているカチューシャみたいなのをつけて、キャラを演出するくらいでいいんじゃないかな。予算もないし」
説明すると柚木さんはあからさまにホッとした顔をして、「それならいいな」と言った。
「え~、どうせなら仮装したいわぁ」
そりゃあ菓子先輩ならフリフリのエプロンドレスでも着こなせてしまうのだろうけど。意地悪をして、そうなっても菓子先輩にはチェシャ猫の着ぐるみしか着せてあげなかったらどうするだろう。
……いや、それでも多分喜ぶな、菓子先輩なら。
「百瀬先輩、どうせならその分の予算をメニューとか内装に回したほうがいいですよ。スコーンをハートとかトランプのモチーフにしたり、ペーパーフラワーで赤と白の薔薇を作ったりしたらアリスっぽくないですか?」
「そうねえ、それがいいかもね。さすが御厨さんね」
あの菓子先輩をさらっと懐柔できてしまうなんて、みくりちゃんって実はとてもすごい人なのでは。
「じゃあ、出展希望の申込用紙を書いてしまうから、さっさと提出しちゃいましょう」
「あ、それなら私とみくりちゃんで提出してきます」
少し思うところがあってみくりちゃんと二人になりたかったので、菓子先輩に申し出る。
柚木さんが「え? 私は?」という顔をしていたが、こちらも「ごめん」とアイコンタクトで伝える。ちゃんと伝わっているかどうかは分からないけれど。
「そう? じゃあお願いね、顧問の先生に渡せば大丈夫だから」
職員室までの道のりをてくてく、みくりちゃんと歩く。いろんな部活やクラスが文化祭に向けて準備を始めているから、放課後もいつもよりにぎやか。
「なんかこうざわざわしてると、文化祭前だ~って感じするよね」
お祭りとかイベントって、始まる前の準備が一番楽しいのってなんでだろう。遠足で前の日に眠れないのと同じ理論なのかな?
「うん。クラスの出展は簡単なものになっちゃったから、こむぎちゃんに誘ってもらって良かったよ。運動部は文化祭で何もしないし」
「みくりちゃん、前に料理部には私だけがいたほうがいいって言ってたから、すんなり入部してくれてびっくりした。あ、もちろん、嬉しかったんだけど」
「こむぎちゃん、私にそれを聞きたくて誘ったでしょう」
ぎくっと身体をこわばらせたけど、みくりちゃんはいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「ごめんね。怒ってない?」
「ぜんぜん。でも柚木さん、いきなり先輩と二人きりになったから、きっとあたふたしてるよ」
「悪いことしちゃったかな」
「大丈夫じゃないかなあ。どのみち慣れないといけないんだし」
一番聞きたいことが聞けないまま、職員室に着いてしまった。なんとなく入りづらい扉を「失礼します」と言いながら開ける。先生たちも忙しいらしく、近くにいた先生が私たちをちらりと一瞥しただけで終わった。
誰先生に用があるのか聞いてくれればいいのに。だから職員室は苦手なんだ。
「こむぎちゃん、調理部の顧問って柿崎先生でいいんだよね? 女の先生の」
「うん、そう」
私が入口でもじもじしている間に、みくりちゃんは座席票で柿崎先生の机を調べ、躊躇なく職員室の奥に進んで行ってしまった。これが優等生の対応なのかと感心している場合ではないので、あわてて後を追う。柿崎先生は机でなにやら書類整理をしていた。
「柿崎先生。調理部一年の御厨と小鳥遊です。文化祭の出展が決まりましたので、申込用紙を持ってきました」
みくりちゃんの声で顔を上げた柿崎先生は、若い女の先生。ショートカットに眼鏡をかけているのがボーイッシュだけど色っぽくて私は好きだ。さっぱりしていて男勝りな先生なので、生徒にも人気がある。
「ああ、百瀬さんから聞いているわ」
ふだんなら溌剌とした雰囲気の先生なのだが、今日は顔色も悪くて声もよわよわしい。
「はい。判子を押しておいたから、文化祭実行委員の人に渡してね」
これで終わりではないのか。どうして学校の提出物って判子がたくさん必要なんだろう。
「じゃあ明日クラスで、実行委員の子に渡します」
「そうね、分かったわ」
みくりちゃんが先生から申込用紙を受け取ったとき、先生の薬指でキラリと光るものがあった。
「あ……っ、指輪」
私が口に出してつぶやいてしまうと、柿崎先生はハッとして顔を赤らめた。先生の薬指には控えめなダイヤがついたリングが光っていた。飾り気のない柿崎先生が指輪をつけているなんて、もしかしてエンゲージリングかもしれない。
「婚約指輪ですか?」
「ええ。来月に挙式することになったの」
先生は若干気まずそうに、私たちと目を合わせずに答える。結婚のおめでたい話題なのに、なんだかおかしい。生徒には知られたくなかったのだろうか。
「そうなんですね。おめでとうございます」
なんでみくりちゃんはこんなに、大人みたいな対応ができるのだろう。私は心の中で先生に「余計なことを言ってごめんなさい」と謝りながら、柿崎先生の席を後にした。
職員室を出たあと、二人同時にふぅ~っと深いため息をつく。
「みくりちゃん、ごめん、私余計なこと言って」
「ううん。指輪してたってことは先生も隠してないってことだと思うし」
「でもこれで分かったよ。柿崎先生、最近顔色も悪いし前よりやつれたでしょ? きっと結婚式のためにダイエットしてるんだね」
ドレスを着るためにダイエットをする花嫁が多いと、何かで読んだ気がする。柿崎先生はそのままでも充分細いと思うけれど、そこは私には分からない女心の葛藤があるんだろう。
「……そうなのかな」
みくりちゃんはそう言って足を止める。
「こむぎちゃん、ちょっとこっち」
もう少しで調理室に着いてしまうので、みくりちゃんは階段下のスペースに私を引っ張って行った。階段下は学校内のエアポケットみたいに、廊下からも階段からも死角になっている。こうして奥の壁にぴったりくっついていれば誰にも見つからないし、内緒話にはもってこいだ。
「みくりちゃん、どうしたの」
まわりに人気はないけれど、自然とひそひそ声になってしまう。
「こむぎちゃん、柿崎先生がダイエットしてるって話、あまり他の人にしないほうがいいかも」
「え、どうして?」
「たぶんダイエットじゃないと思うんだよね……。実は前に、先生がトイレで吐いてるとこに遭遇しちゃって」
「ええっ」
「夏休み前だったかな。ちょっと職員用トイレを借りたことがあって。先生と目が合う前に逃げたから、向こうは私だって分かってないと思うけど……」
そのときのことを思い出したのか、みくりちゃんは眉間に皺を寄せて、苦いもののように唾を飲みこんだ。
「あと、二学期始まるときに支部総会があったでしょう? うちの地区の担当が柿崎先生なんだけど、父によると、柿崎先生、出てきたものをまったく食べなかったらしいんだよね」
支部総会は保護者と先生による懇親会のようなもの。地区ごとに分かれていて、年に数回、お寿司屋さんやうなぎ屋さんなどで会合がある。
「それって、もしかして、拒食症……とか?」
「分からない。でも結婚前ってマリッジブルーになったりするらしいし、先生も大変な時期なのかも」
そういえば、私にも思い当たることがある。週に一回、活動日に先生が様子を見に来てくれるのだが、以前は菓子先輩がすすめれば一緒にお茶してくれた先生が、ここのところお茶を断ってすぐに戻ってしまうようになった。でも拒食症って、お茶も飲めなくなるのだろうか? ――そうだ、菓子先輩は。
「みくりちゃん。……菓子先輩のことはどう思う?」
「それがこむぎちゃんが聞きたかったことだよね」
私は頷く。拒食症――。菓子先輩の今までの行動について考えた結果、思い当たったのがそれだった。けれど菓子先輩はお茶は普通に飲んでいるし、柿崎先生のように顔色も悪くない。