多岐川さんに迷惑をかけてはいけないと、散々自分に言い聞かせていたというのに、今日のアルバイトは散々だった。お客様の商品を一品通し忘れたり、売り物のたまごを落として割ってしまったり。土曜の忙しい中でやらかしてしまったから、明らかに今日の僕は邪魔者でしかなかった。

 それなのに多岐川さんは、「そういう日もありますよ」と励ましてくれて、店長は二日目だからと言ってそこまで怒りはしなかった。ミスをしたのは自分の気持ちの問題だったから、ただただ申し訳ないという気持ちが募っていく。

 バタバタとした営業時間が終わり、更衣室で着替えをしている時、岡村さんは僕の肩をポンと優しく叩いてきた。

「お疲れ、滝本」
「お疲れ様です」
「どうした? 浮かない顔して」

 意識して普通を装っていたのに、やはり見抜かれてしまうようだ。僕は岡村さんに叱ってほしくて、今日腑抜けていた理由を話すことにした。

「実は、好きな人にフラれちゃいまして……」
「もしかして、多岐川ちゃん?」

 そう僕に聞いてくる岡村さんの目は、なぜか期待の色に染まっている気がした。

「違います。高校の頃から、片思いしていた相手がいるんです」
「あ、あぁ。そうなんだ」

 僕はそれから、水無月との一件をかいつまんで話した。高校の頃に、彼女のことを好きになったこと。告白をして、フラれたこと。そして最近偶然にも再開して、またフラれてしまったこと。そのフラれてしまった理由。

 まだ二日目の後輩だというのに、岡村さんは割と真剣に聞いてくれた。そして全てを話し終わった時、彼は言った。

「それは、向こうが悪いんじゃないか?」

 予想もしていなかったその言葉に驚き、僕は目を丸める。

「えっ、どうしてですか?」
「いやだって、友達のこと応援してるって言っても、二年間連絡もしなかったんだからさ。それって応援してないじゃん」

 そういえばそうだと、今更ながらに僕は気付いた。牧野が僕のことをまだ好きなのは、つい昨日知ったことなんだから。連絡を取ろうと思えば、いつでも取れたというのに。

「まあ、二回告白してダメだったんだからさ、新しい恋でも見つけろよ」

 岡村さんは澄ました顔でそう言ったが、すぐに我に返ったのかハッとした表情になり、僕の両肩を掴んでくる。

 僕はびっくりして、一歩後ろへ後ずさった。

「でも、多岐川ちゃんはダメだからな!」
「えっ」
「とりあえず、多岐川ちゃんはダメだ!」

 そこまで必死に言わなくてもと思ったが、やや遅れて岡村さんの言葉の意味を理解できた。なんとなく、薄々勘付いてはいた。

「もしかして、多岐川さんのこと好きなんですか?」

 その言葉に、岡村さんは子どもみたいに顔を赤くさせる。それから慌てたように、更衣室のドアの方を振り返った。おそらく、誰かに聞かれていないか確認したのだろう。再びこちらへ振り返った時には、先ほどより強く肩を掴まれた。

「今のは、ここだけの話だからな」
「は、はあ……」
「多岐川ちゃんには、間違っても言わないように」
「わかりました」

 僕の言葉を聞いて安心したのか、ようやく肩を解放してくれる。

「あの、岡村さんはどうして多岐川さんのことが好きなんですか?」

 参考までに僕はそう聞いてみる。そうすると彼は、当然だと言わんばかりに堂々と、胸を張って言った。

「そんなの、可愛いからに決まってるじゃん」
「あ、あぁ……そうですよね。可愛いですもんね」
「だろう?」

 同意を求められ、とりあえずは頷いておいた。思っていたより数倍単純な理由で、思わず拍子抜けしてしまう。でもまあ、多岐川さんは明らかに周りの女性より可愛い……というより美人だから、一目惚れする人も多いのかもしれない。

 そんなことを考えながら着替えを済ませ、店内の戸締りをしてから外へ出た。五月の夜は生暖かい。寒いよりも暖かいが好きな僕は、これぐらいの気温がちょうどよかった。

 昨日と同じく岡村さんは自転車に乗って帰り、僕と多岐川さんだけが店の前に残る。荒井さんは、今日は出勤日ではなかった。

 多岐川さんはみんなが帰ったのを見計らって、僕に柔らかい笑みを浮かべてくる。

「それじゃあ、行きましょうか」
「待って。家近いし、車取ってくるよ」
「車はダメです。歩いて行きましょう」
僕は一度首をかしげたが、すぐにその意図が読めた。
「居酒屋行くの?」
「おいしい焼き鳥屋さんが近くにあるんですよ。今日はそこで飲み明かしましょう」
「いや、僕お酒飲んだことないんだけど……」
「明日も休みの日なので、万が一酔いつぶれても大丈夫ですよ。行きましょう」

 何が大丈夫なのか、あまりよく分からなかった。しかしやや強引に多岐川さんが焼き鳥屋へ前進してしまったため、僕は仕方なく後をついて行く。

 歩きながら、僕は前を歩く彼女へ質問を投げる。

「多岐川さんって、女子校に通ってたんだよね?」
「はい。そうですよ?」
「男性に免疫がないって言ってたけど、僕は大丈夫なのかな」

 すると多岐川さんは一度立ち止まり、僕の顔をまっすぐに見つめてくる。僕といえば、突然見つめられて恥ずかしくなってしまい、明後日の方向へ視線を投げた。

「滝本さんって、中性的な顔立ちしてますよね」
「はい?」

 予想外の言葉が返って来て、今度は僕が首をかしげてしまう。

「滝本さんって、そこまで男っぽくないので!」
「男っぽくないって……」

 初めて女性からそんなことを言われ、僕は割と落ち込んでしまう。そんな僕の姿を見て慌てたのか、彼女は言葉を付け加えた。

「も、もちろんいい意味です! それに、初めて会った時に突然助けてくださったので、信頼してるんだと思います!」

 なんとなく腑に落ちなかったが、僕はとりあえず納得しておくことにした。

「岡村さんのことは、どう思ってるの?」
「えっ、岡村さんですか?」

 明らかに彼女の口元が引きつったのを、僕は見逃したりしなかった。おそらく、苦手意識を持っているのだろう。かわいそうに、岡村さん。

「えと、嫌いではないんですけど……初めて会った時から、上手く話せないんですよね……」
「岡村さん、男らしいからね」

 そう言うと、多岐川さんはすぐに首を縦に振って同意してくれた。男らしいというのは恋愛面ではプラスになるけれど、彼女にとってはマイナスにしかならないようだ。これは、よっぽどのことがなければ脈が無さそうだなと、再び岡村さんのことを不憫に思った。